■118 花の妖精?いえ、お人よしです■
初めて君を見たのは、まだ肌寒い春の初めでした。父さんの仕事の都合で、遠くから引っ越してきたのは小学校3年生の1月の終わり。引っ込み思案な僕は、転入して1カ月しても、友達は出来なかった。そんな僕に、君はたぁっくさんのお花に囲まれながら、僕に黄色いチューリップをくれたんだ。
白い肌に、ピンク色の頬、ちょっと垂れた焦げ茶色の瞳、ふっくらした桜色の小さな唇、薄茶色のふわふわした髪の毛、小柄な体に、パステルカラーのオレンジ色のワンピース、フリルのついた白いエプロン… 絵本で見た天使だと思ったんだ。
今日のお昼は、学校の温室です。今の時期だと、卒業式と入学式に合わせて育てている花もありますが、殆どがサボテン類です。
この温室は凄いんです。第2武道場の3階には、50メートの開閉式室内プールがあって、水泳部が使っています。秋からは温水プールになって、その熱の余りを温室で使わさせてもらっています。温水プールが稼働していない時は、科学部が独自に作った太陽光発電システムで、室内を温めています。
幾つかのテーブル席や、広めの芝スペースもあるので、主達みたいにここでお昼を食べる生徒も少なくないんです。
主達、今日は芝のスペースでお弁当を広げています。主を中心に右へ、
「は、初恋、だったんですね」
「うん…。母さんと、お使い用の花束を買いに行ったんだけれど、オマケでくれたんだよね。黄色いチューリップ。お花の妖精だって、暫くおもっていたよ」
主との出会いを、懐かしそうに告白した中先輩に、松橋さんが肉巻きを食べる手を止めて、しみじみと言いました。恥ずかしそうに頷く中先輩の顔は、ボコボコに腫れあがっていて、色も青かったり赤かったり、黄色も見えて、とてもカラフルです。ご飯を確り食べているので、目は見えているし、口も開いてるみたいです。… 口、どこだか分かりませんけれど。
「… 頭痛いわ」
「大変、桃ちゃん風邪ひいちゃった? 頭痛薬持ってるけれど、食後に飲む?」
眉間に皺を寄せて、ギリッと歯ぎしりをした桃華ちゃんに、主が僕の入っている小袋から、薬の入ったポーチを取り出しました。
「違う。ここに、なぜ、このストーカーが居るのよ!」
「お昼だから?」
ビシッ!と、中先輩を指さした桃華ちゃんに、主がおっとりと答えます。
「違うでしょ! あれだけの事をしたのだから、逮捕されて当然でしょう?! なのに、なんで、ストーキングした相手に初恋に落ちた瞬間の話をしながら、お昼食べているのよ! 言っとくけど、今後、第2の被害者がでないとも限らないんですからね!? 出たら、どうする気?」
桃華ちゃん、勢いよく自分の後ろに座っている梅吉さんの肩を掴みます。目、目が怖いですよ、桃華ちゃん。
「いたたたた… ちゃんと、理事長と校長とも話をしたんだよ~」
妹には弱いお兄ちゃんです。
「もちろん、
「怖かったんだけど… ストーカーされてた自覚はないし、ここまでお顔ボコボコにされちゃったし。
勇気を出す方向が、間違っちゃったんだろうなーって思ったら、まぁ、良いかなって」
笠原先生が、ポットのお茶を飲みながら言いました。その後を受けて、主が話します。
「2日間、一人じゃ寝れなかったくせに」
桃華ちゃんの言う通り、主はあの事件の後、2日間はリビングで
その周りには、桃華ちゃん、梅吉さん、笠原先生、佐伯君、双子君達と、皆で布団を並べて寝ていました。
「一人は、怖かったから~。でも、私には愛してくれる人も、心配してくれる人も、怒ってくれる人も、助けてくれる人も、話を聞いてくれる人もいるのに、中先輩には居ないのかな? って思ったの。中先輩は、一人なのかな? って。
誰かが話を聞いてくれたら、誰かが怒ってくれたら、誰かが心配してくれたら… 愛してくれたら、きっとこの前みたいな事はしなかったと思うの。
でね、そんな人たちが居ないなら、作ればいいじゃない? 作り方が分からなければ、教えてあげればいいかなって」
主はニコニコしながら、皆を順番に見て行きました。
最後に、桃華ちゃんを見つめて、デザートの苺を1粒、差し出しました。
「… 苺でなんか、
「騙されて」
拗ねた声で言いながら、桃華ちゃんはその苺にパクっと食いつきました。
主はクスクス笑います。
「… いいんじゃねぇの? つまり、コイツの顔を覚えて、また悪い事したら殴っていいんだろ?」
佐伯君、大きなお握りをガツガツ食べながら言います。
「本能に忠実なのが獣。本能に理性でブレーキをかけるのが人間。
私達に、彼の理性の一部になれって事ね」
田中さんのお弁当、今日はサンドウィッチですね。
「襲うぐらいなら、「おはよう」って声かける方が簡単なのに。先輩、そんな事も知らなかったんですね。でも、恋愛なら私にお任せ! このメンバーの中でだったら、私が一番優秀な先生だわ。普通の勉強は駄目だけどね」
確かに、この中だと、大森さんが一番恋愛には詳しいでしょうね。そのウィンク、『狙い撃ち!』って感じですもんね。
「… 人が良いんだから」
大きなため息をついた桃華ちゃんの手を、主は優しく握りしめました。
「それは、桃ちゃんが私を怒ってくれて、心配してくれて、愛してくれて、一緒に泣いてくれるから。桃ちゃんが居てくれるからよ」
「… しょうがないわね、騙されてあげるわよ」
天使の微笑みを真正面から受けた桃華ちゃんは、あまりの主の可愛さに横を向きました。耳と首が真っ赤っかです。別の意味で、主の真後ろの三鷹さんも真っ赤っですよ、主。そんな三鷹さんを、両隣の先生が静かになだめていました。
「顔を覚えると言っても、この様子だと素顔が見れるのは時間がかかりそうだな」
近藤先輩が呆れ顔で、中先輩を見ます。
「こ、近藤先輩、中先輩のお顔は…」
「あー、クラスが違うから、知らないんだ。俺も、初めましてだな」
松橋さんの質問に、近藤先輩は頬をポリポリかいて答えます。
「こないだから思っていたんだけれど、近藤先輩、受験は?」
そんな近藤先輩に、大森さんが聞きました。
「大学は受けるよ。ただ、メインの学科を変えたから、そんなにガツガツ勉強をしなくてもよくなってね。
今まで部活と勉強ばかりだったから、最後ぐらいゆっくりしてもいいかなと。まぁ、油断大敵ってのは心得ているから」
「受験って、そんなもんなんだー」
大森さん、中先輩のお弁当から、ミニハンバーグを勝手に頂きました。
「中先輩は? 受験するの? 就職? あ、もしかして、面接日が近かったりする? その顔じゃぁ、まずいよねー」
今度は、ブロッコリーです。代わりに、大森さんの苦手な人参の煮物を、中先輩のお弁当に入れました。
「実は… 推薦が上手く行かなくって… 今年は諦めたんだ」
「じゃぁ、また来年? 留年して、一年間、私達と一緒に勉強するの?
それとも、一年間はゼミ? 人参、嫌い?」
どこにあるか分からない口から、小さなため息を出した中先輩に、大森さんは機関銃のように質問しました。そして、自分のお弁当に残っていた最後の人参の煮物を箸にさして、中先輩の口があるであろう場所に差し出しました。
「あんな事をやってしまったし…」
「あのね、私が聞いてるのは、留年? ゼミ? 人参嫌い? ってだけ」
大森さん、そんなに人参嫌いですか?
「進路は、まだ考えてなくて… 人参は、普通…」
「じゃぁ、毎日一緒に食べても平気ね。たぶん、暫くはこの温室でお昼かな。外はまだ雪が残ってるし、寒いから。後で、LINEのID教えてください」
ちょっと見えた空洞に、大森さんは人参を押し込みました。口で、当たりみたいですね。中先輩、モグモグしてます。
「あ、先輩、もし同じことやったら、今度は殺されるの間違いないっすよ。
俺は、生徒指導で肋骨折られた」
「俺も、顔が変形したよ、中君ほどじゃないけれど。告白の許しを貰おうとしただけでね」
佐伯君と近藤先輩は、お互いに顔を見あって笑いました。
「そう聞くと、酷い暴力教師ね」
桃華ちゃん、三鷹さんを見る目が怖いですよ。
「君子、危うきに近寄らず。と、言うでしょう?」
笠原先生の言葉に、大森さんと佐伯君の頭上に『?』が浮いていました。
「教室に戻ったら、辞書ひきましょう」
田中さんの溜息が大きく響き、皆は笑いました。そんな雰囲気に戸惑いながらお弁当を食べる中先輩に、近藤先輩と佐伯君が、右手を握りしめて親指を立てて、笑いかけていました。それを見て、中先輩もオズオズと同じポーズをとりながら、思いました。
何だろう… ホワホワする。