■その80 浮かれてもいいじゃない?未来を信じるなら ■
数十人の合唱部達が左右に開いて、ステージの中央で一人、全身にライトを浴びて凛と立っている、
ぴしっと綺麗にアイロンがかかった制服は、襟や袖に朱色の細い3本のセーラーテープの入った、膝下の白いセーラー服。艶やかな長い黒髪には、スカーフとお揃いの朱色のリボン。乳白色の肌はほんのりピンク色に染まって、切れ長ですっきりとした黒い瞳はライトを受けて宝石のようにキラキラしています。それは、主が誇る桃華ちゃんの姿です。紅を引いたように赤い唇から、天使の歌声が流れます。
「たとえば君が傷ついて
くじけそうになった時は
かならず僕がそばにいて
ささえてあげるよその肩を」
観客で満杯の体育館に、ピアノの伴奏すらなく、歌声だけがよく響きます。
「世界中の希望のせて
この地球はまわってる」
観客席の最前列の真ん中、桃華ちゃんの真正面に、僕の主の
笠原先生や、主の弟の双子君達、主と桃華ちゃんの両親・・・皆、最前列で桃華ちゃんの歌声を聞き入っています。
桃華ちゃんは天使が羽を広げるように両手を広げます。
鼻をツンと上げて、高く高く見上げるそこには、目が眩むほどのライトの空。黒い瞳がキラキラしているのは、ライトのせいだけじゃないみたいで…
主は、桃華ちゃんの目尻に涙が溜まっているのに気が付きました。誰を想って歌っているのか、分かりました。
「いま未来の扉を開けるとき
悲しみや苦しみが
いつの日か
喜びに変わるだろう」
主は静かに涙を流しました。ふっくらした頬を、ぽろっと小さな雫が転がっていきます。三鷹さんの大きな手が、膝の上に揃えられた主の手を、優しく包みました。
「I believe in Future
信じてる」
今まで桃華ちゃんと一緒にいた事、お互いが一番だった事、それが当たり前だったこと…。だけど、主の気持ちも、桃華ちゃんの気持ちも、少しずつ大人になってきて、それまでの当たり前が変わっていくことを、実感しました。
「もしも誰かが君のそばで
泣きだしそうになった時は
だまって腕をとりながら
いっしょに歩いてくれるよね」
大切な存在なのは変わらないのに、言葉にできない存在が出来た事。繋いでいた手が、お互いではない違う誰かと繋ぐ事。
主は制服の上から、胸元に下げた指輪をギュッと押さえました。
「世界中のやさしさで
この地球をつつみたい
いま素直な気持ちになれるなら
憧れや愛しさが
大空にはじけてひかるだろう」
桃華ちゃんは、主より前に、そのことを分かっていました。主と自分の未来が、まったく同じものではない事、変わっていく事を分かっていました。
「I believe in Future
信じてる」
ポロポロポロポロ…。主の涙が止まりません。桃華ちゃんを想って、止まりません。
「いま未来の扉を開けるとき
悲しみや苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう」
主はそっと、隣の
「I believe in Future
信じてる」
桃華ちゃんは、これからは笠原先生と手を繋いで行きたいんだなぁ。と、主は分かって、いつも桃華ちゃんが、三鷹さんにきつい態度をとる気持ちがよく分かりました。分かって、自分も同じ態度をとるかもと、少し可笑しくなりました。そして、そうなってくれると良いなぁ…。とも思いました。
桃華ちゃんがのびやかに歌いきると、拍手喝采が沸き起こりました。その拍手にうやうやしく一礼をすると、左右に分かれていた部員達が定位置につきました。
今年の合唱部の1曲目は『心の瞳』でした。2曲目は、桃華ちゃんの独唱の『ビリーブ』です。そして、引退曲です。来年は高校3年生になるので、部活も夏休み前で引退するからです。
文化祭の体育館プログラムは、『翼をください』で盛大に〆られました。観客席は総立ちで、外まで漏れるほどの大きな拍手が合唱部の捧げられました。そんな拍手の雨の中、主は目を真っ赤にして、三鷹さんにそっと囁きました。
「いっしょに、歩いてくださいね」
「いっしょに、歩こう」
三鷹さんの優しい囁きに、主は花が綻ぶように微笑みました。