■その78 浮かれてもいいじゃない?暗闇の中だもの ■
『私の知らない、貴方の過去を教えてください』
笠原先生が手にした紙に、書かれています。
第一体育館の3階は、3年1組と2組の合同ブースです。ここは2人で入る迷路、『真実の森』です。
箱の中から1枚の紙を取って、人が一人通れる幅の入り口から中に入ります。中は迷路になっていて、標準サイズの二人が並んで進める幅しかありません。壁は表面がサワサワとしていて、たまにぽっかり穴が開いたように、通れるところがあります。明かりは、床に等間隔に置かれたランタンだけです。
「… で、これをお題に、話しながら迷路を進むんですか?」
パーカーのフードを目深に被って、上から白衣を着た笠原先生と一緒に入ったのは、僕の主の従姉妹の
桃華ちゃん、文化祭スタート前に、合唱部の最終リハーサルをしていました。リハーサルが終わって美術部のブースに向かう所を、各ブースの開始前チェックで回っていた笠原先生とたまたま会ったんです。で、あった瞬間、挨拶もそこそこに3年の先輩に強引に放り込まれたんです。
「そのようですね」
二人は閉められてしまった入り口を見て、軽くため息をつきました。
「とりあえず、仕事しますか」
笠原先生が、桃華ちゃんを促して、歩き始めました。先生、ここは仲良く手を繋いで歩くんですよ、本当は。
実は桃華ちゃん、ちょっとドキドキしています。だから、暗くて足元しか見えないのは、桃華ちゃんにとってはとても助かるんです。
「で、東条さんは、先生の過去に興味がありますか?」
「過去…。あまり興味ないです。先生の過去というより、基本、他人の過去に興味がないわ」
そうは言っても、桃華ちゃん、気になっていることがあるんですよね。昨日のファッションショー、最後にエスコートをしてくれた時の事がとっても気になっているんですよね。でも、聞ける雰囲気でもないし… と。
足元は何とか見えますが、全体は暗いので、二人の足取りは慎重です。気を抜くと、キノコや切り株のオブジェがあったりするので、下手をすると転んじゃいますね。
「まぁ、そんな感じですね。」
「私が興味あるのは、
思わず、笠原先生の顔を見上げました。暗闇に慣れ始めた目に、うっすらと笠原先生の眼鏡が見えて、思わず桃華ちゃんは足元に視線を戻しました。
「日々、貴女や白川の事は、梅吉の報告や自慢や愚痴を聞いていますからねぇ…」
「… そうよね。兄さん、笠原先生と水島先生には何でも言っちゃうんだもの」
自他共に認めるシスコンですからね。心の叫びを、聞いてもらいたいんですよ。
「そこ、危ないですよ」
ランタンの影に少し大きめのオブジェが置かれていたようで、足を引っ掛けそうになった桃華ちゃんの肩を、笠原先生がぐいっと引き寄せました。
「あ、すみ… きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
不意に大きな手に肩を抱かれて、顔が赤くなったのを自覚した桃華ちゃんでしたが、足元を確認した瞬間、その顔の赤みは真っ青に変換しました。
「大丈夫ですよ。人形の頭です。ほら、美容師さんなんかが練習するやつです」
へにゃへにゃ~ と笠原先生の腕に体重を預けて腰を抜かした桃華ちゃんの背中を、笠原先生は優しく撫でてくれました。
確かに、よく見たら、人形の頭です。長い乱れ髪の間から、無機質な目や、赤い唇が覗いています。
「確認できましたか?」
聞かれて、ウンウンと頷く桃華ちゃんですが、腰が抜けてて立ち上がれません。
「先生ぇ… 立ち上がれない」
「では、時間もないので… 失礼しますよ」
珍しく半べその
「せ、先生、重いでしょう?!」
桃華ちゃん、大慌てです。
「まぁ、『骨格標本』なんて有難くない通り名を生徒達から頂いていますがね、一応は成人男性ですから。それに、大家さんの真心こもった手料理のおかげで、最近、体重が増えたんですよ」
笠原先生、足元に気を付けながら、迷路を進んでいきます。皆から細い細いと言われてても、筋力は確りあるみたいで、桃華ちゃんを抱く腕は少しもプルプルしていないし、歩く格好もスタスタと確りしています。
「どこが?」
「全体的にですよ。標準体重に近づきました」
思わず、真顔で聞いてしまう桃華ちゃんです。笠原先生の顔を、下から覗き込む形になって、ちょっとだけ眼鏡の下の瞳が見えました。
「ああ、昨日の夕飯もご馳走様でした」
「いいえ。遅くまでお仕事、お疲れ様です」
昨日、笠原先生の帰宅は、日付が変わる直前だったんですよね。桃華ちゃん、タッパーに入れた夕飯を紙袋に入れて、玄関のドアノブに下げておいたんですよね。
「ああ、お題にそった話が出来ますね」
不思議そうな顔をした桃華ちゃんを、笠原先生はチラッと見つめました。
「今のアパートに引っ越す前は、中々家に帰らなかったんですよね。遅くなると、帰るのが面倒というのもありましたが、帰っても何があるわけでもないですし、数時間後にはまた職場にいるわけなので。なので、以前は良く化学準備室で寝ていましたね。意外と寝れるもんですよ、寝袋」
「食事は?」
「
それじゃぁ、痩せますよね。
「でもね、今のアパートに引っ越したら、待っててくれる人たちが居るんですよ。以前と比べたら、だいぶ賑やかですけどね。後から来たのに、ちゃんと居場所を開けてくれて、受け入れてくれる。居心地が良くて、どんなに遅くなっても、帰りたくなるんですよ」
桃華ちゃん、そんなことを言われて、とっても嬉しくなりました。
嬉しくて、顔がニヤニヤしてきました。でも、そんな顔を見られてたくなくって、
不意に、今までとは色の違ったランタンが目に入りました。真っ赤なランタンは机の上に置かれていて、その横には箱がありました。この迷路に入る時、笠原先生が強引に引かされた箱と同じものです。
「引け… ってことでしょうかね?」
「かな?」
抱っこされたまま、今度は桃華ちゃんが箱に手を入れました。
『貴方に秘密にしている事』
桃華ちゃんが引いた紙を、読み上げました。
「秘密… 無いわ。笠原先生にべらべら話す関係でもないし。あ、先生、もう歩けそう」
桃華ちゃん、そっと下ろしてもらいましたが、中々歩き出しません。笠原先生の白衣の袖をつかんで、前方の床を確認しています。が、暗くてはっきり分かりません。笠原先生は、そんな様子を見て、少し笑っていました。
「出口、もう少しでしょうから、行っちゃいましょう」
そう言うと、また桃華ちゃんを抱き上げて、スタスタ歩き始めました。
「大事な妹が怪我をしたとなったら、梅吉に何をされるか、分かりませんからね」
桃華ちゃんが何か言う前に、笠原先生はそう言いました。
「… そうですね。うちの兄が、ご迷惑おかけしてます」
「今更ですよ。ああ、思ったより近かったですね」
ちょっと拗ねたように、恥ずかしそうに謝る桃華ちゃん。
笠原先生が言った通り、ランタンでライトアップされた出口が見えました。
「先生、ありがとうございました」
出口の手前で下ろしてもらった桃華ちゃんは、ペコリと頭を下げました。
「そうそう、先生の秘密は、好きな人の名前ですかね」
今の桃華ちゃんにとっては、大きな爆弾です。笠原先生、笑顔で爆弾を投下しながら、出口を開けました。