■その73 浮かれてもいいじゃない?今日はお姫様だもの ■
BGMが、ポップミュージックからジャズに変わりました。背景のスクリーンが街の雑踏から、銀杏並木に変わって、ライトは黄色が強いオレンジになりました。
そんな舞台に、主がフォーマルスーツの男性にエスコートされて、出てきました。歩くのがゆっくりなのは、ハイヒールサンダルに慣れていないからです。
薄く入れた紅茶色の猫っ毛は、鎖骨辺りまで伸びました。編み込みのハーフアップにして、ビーズ付きの小さな花飾りが散りばめられています。
白い肌に、ピンクのチーク。唇はちょっとオレンジの入った赤です。
ミドル丈のワンピースは、首元に太目のピンクのリボンが巻かれたオフショルダーで、背中をピンクのリボンで締めるようになっています。薄いピンク色のオーガンジーを幾重にも重ねたふんわりスカートで、白い小花やキラキラ光るビーズが散りばめられて、歩く度に風を含んでフワッフワッ… ライトを反射してキラキラしています。
そんな主をエスコートしているのは、ブラックフォーマルに身を包んで、ベリーショートの黒髪にジェルで艶を出した
今日も、鋭い目つきです。
「キャー! 水島先生!!」
「白川さーん!!」
「こっち、こっち向いて、白川さーん!!」
ランウェイを一歩一歩進むたびに、黄色い声援が飛び交います。その声に、手を振って答える余裕は、今の主にはありません。なんてったって、微笑んで歩くので精一杯ですから。まだ、4分の1も進んでませんよ。エスコートしてくれてる三鷹さんが居なかったら、どうしてたでしょうかね?
そんな二人を、
「選曲のセンスがいい。この曲名、知っていますか?」
「… ナット・キング・コールの『LOVE』」
隣に立つ男の人に聞かれて、桃華ちゃんは警戒しながら答えます。
「さすがですね」
「父さんのお気に入りで、お店でもよくかかっているから…。それより、誰?」
暗くて顔が良く見えないんですけど、声や話し方は…
「ほら、出番ですよ」
男の人は、スッと桃華ちゃんの手を取って、舞台袖から出ました。急にライトが当たって、瞬間、目の前が真っ白になりました。
「東条さんだ!」
「東条さん、綺麗だなー」
桃華ちゃんファンの皆様が気が付いて、声を上げ始めました。
主のお気に入りの長い黒髪は、緩やかにまとめ上げられて、ビーズの髪飾りとピンクの小花が散らされて、桃華ちゃんのお気に入りの簪も違和感なく挿さっています。ピンク系の赤いルージュ。スッキリとした目元に、赤いアイシャドウ。
真っ赤なロングドレスです。ビスチェラインで、デコルテや背中がドレスの赤の色で、乳白色の肌がますます白く見えます。背中の編み上げのリボンは艶やかな赤。そのリボンは腰の位置で結ばれています。スカートはボリュームのあるレースで、とても軽やか。足元は見えませんが、桃華ちゃんも履いた事のない高っかいハイヒールサンダルです。
そんな桃華ちゃんを、フォーマルスーツの男の人がエスコートします。
「行きますよ」
視界が利かなくても、耳は聞こえています。小さな声と共に、男の人はゆっくりと進みました。
ランウェイを、主をお姫様抱っこで戻ってきた三鷹さんとすれ違った時、それまでの黄色い声援がピタリと止まりました。主、持ち時間も足も、限界でしたね。
耳にかかる位の艶やかな黒髪をナチュラルバックに纏めたその人は、ピン!と背中を伸ばして、一歩進みました。真っすぐ前を見据える焦げ茶色の瞳は、くっきりした二重で気持ち吊り上がり気味。筋の通った小さめの鼻。
フォーマルスーツを着こなすその人に、生徒は釘付けです。口、空いてますね。
「えー… 誰?」
「東条先生じゃないじゃん。誰? あのカッコいい人?」
「カッコいいー」
「桃華さーん! その人、東条先生公認ですかぁー!」
「東条さん、綺麗だー!!」
誰? 誰? と、桃華ちゃんのエスコート役の正体が気になる声と、桃華ちゃんへの歓声が混ざっています。
歩きながら、ライトの明かりに目が慣れた桃華ちゃんは、チラッと隣を見て呟きます。
「えー… 誰?」
見覚えのない顔、見覚えのない体格。けれど、繋いでいる手の感触と体温だけは、身に覚えがありました。
「3歩進んで、一回りしてきてください」
そっと声をかけられて、桃華ちゃんはランウェイの先端まで来たことに気が付きました。言われた通りに進んで、くるりん、と一回り。
ドレスがふんわりと広がって、髪飾りがライトをキラキラ反射して、桃華ちゃん、とっても綺麗です。うやうやしくお辞儀をして、再びエスコートされて戻ります。
途中で、ビスチェプリンセスラインのウエディングドレスに身を包んで、小暮先生にエスコートされた大森さんとすれ違いました。目が合った時、大森さんはニコニコと機嫌よく、ピンクの薔薇のブーケを振ってくれました。
その大森さんのウエディングドレスが、ファッションショーの大トリです。
桃華ちゃんが舞台部分に戻った時には、今までの出演者が勢ぞろいしていました。桃華ちゃんはエスコートされたまま、列の真ん中、主の隣に並びました。主、足が完全に駄目みたいです。三鷹さんに抱っこされたままです。
「この曲は?」
男の人が、そっと聞いてきます。BGMが、いつの間にか変わっていました。
「… 分からないわ」
「残念。曲名は『Till There Was You』。この声は女性ですから、ペギー・リーですね。失礼」
桃華ちゃんの簪を直そうとした男の人と、桃華ちゃんは目があいました。
「せん… せ?」
桃華ちゃんの口から洩れた声に、その人は口の端を少し上げて、スッと人差し指を口元に立てました。