喫茶『エアル』は、
カウンターの一番奥に桃華ちゃんと主が座って、アイスティーを飲んでいます。カウンターの一番近くの4人掛けに、大森さん・田中さん・松橋さん・笠原先生が座って、こちらはアイスティーの他に、サンドウィッチやパンケーキ、パフェも注文していました。
6人の視線は、窓際の席の3人に注がれています。といっても、間に他の席はありませんが。
窓際の六人席。窓のすぐ横に、
「で、いい加減、頷いてくれてもいいと思うのよね」
「…」
サングラスを取った二葉さんは、目じりの切れ上った綺麗な瞳で、三鷹さんを見下ろしています。いえ、視線の高さは変わらないんですけどね、高圧的で… 見下ろすって印象が強いんですよね。
「まったく、昔からこうなんだから。ちょっと梅、アンタからも何とか言ってやってよ」
何も話さない三鷹さんに、二葉さんはイライラしてバックから煙草を出しました。
「当店は禁煙でーす。
そもそも、妊婦さんが喫煙しちゃダメでしょう? それとも、妊娠は嘘ですか?」
梅吉さんは素早く煙草を取り上げて、グシャっと箱ごと握りつぶしました。笑顔で。
「妊娠は、嘘じゃないわ。とにかく、私の結婚を三鷹が認めないと、父さんが結婚に同意してくれないんだってば」
二葉さん、嫌そうな顔をして、口調を粗くしました。
「結婚話だって、去年からでていたのよ。アンタがいつまでたっても私の婚約者の事を認めないから、子どもできちゃったじゃないの。おかげで、母さんに『順番が違う』って怒られたわ。
正月ぐらい、実家に帰ってきなさいよね。それか、せめて電話ぐらい出るか、LINE返すかしなさいよ!まるっきり無視って、どういう事よ!!」
二葉さんの怒りのボルテージは、どんどん上がっていきます。
「ちょっ、ちょっと待って、二葉さん。そんなに怒ったら、お腹に響きますって。それに未成年じゃないんだから、そんなに結婚したかったら婚姻届け書いて出しちゃえばいいじゃないですか」
梅吉さん、二葉さんの目の前に両手を広げて、落ち着くように促します。
「婚約者は実家の総合病院の外科医で、水島の性になってもらうつもりなの。『婿』じゃなくて『婿養子』。姉さんは結婚する気も病院経営も興味ないし、跡も取るつもりないって言うから。三鷹も、もう医師にはならないでしょう?だから、跡取りとして親と養子縁組するから、旦那にも相続権ができるわけ。姉さんと、私と、三鷹の3人で分けるはずの遺産が、4人で分けることになるの。だから、父さんは三鷹の許可を取れって。なのに、コイツ…」
梅吉さんと笠原先生は、物凄く納得しました。が、学生組は、田中さんを抜いてイマイチ分かっていないようなので… 笠原先生、紙ナプキンに図解しながら説明しています。
「
「知らない」
三鷹さん、素っ気なく言うと、スラックスのポケットからスマホを取り出して、LINEを開きました。
「… 二葉さん、三鷹にLINEもLINE電話も… 普通の通話もきてない… あれ?」
梅吉さんがチェックするも、言葉通り何もありません。
「そんなはずないわ。ほら… あら?」
二葉さん、バックからスマホを取り出して、LINEをチェックしだしました。梅吉さん、上からヒョイと覗き込みます。
「あー… タカ違いで、お友達に送ってますね。しかも、既読にもなってないから、この人、ID変えたんじゃないですか?」
二葉さんの勘違いの様です。凄いです、長期間の勘違い。
「私だって忙しいんだから、送った相手がアンタかどうかなんて、チマチマ確認なんかしないわよ。アンタが、正月ぐらい実家に帰ってくれば良かったんでしょう!!」
三鷹さんに、噛みつきそうな勢いです。僕には、ほぼ逆切れに見えます。
「両親と長女は仕事。二女は友人と豪遊。帰る意味があるのか?
それに、冬休み期間は短いから、学校は休みでも仕事はある」
ここに来てようやく、三鷹さんがまともに口を開きました。
「長男が帰って来るって言えば…」
「外来は閉めていても、内科・産婦人科・外科は入院患者がいるから、ゆっくりする暇はないだろう。そもそも、二葉姉さん自身が仕事を始めてから、正月は旅行に行って帰って来なくなったんだろう」
ああ、身から出た錆なんですねぇ…
「まぁ、いいわ。で、私、婿養子とってもいいかしら? 跡取りになるけれど?」
今までの怒りは、一気に消えたようです。自分の勘違いを棚に上げてます。
「興味ない」
「あっそう。じゃぁ、後で父さんに電話しておいて。次の大安には、入籍だけでもしたいから。それまでに、電話!」
ビシッ! っと三鷹さんの目の前に人差し指を立てて、二葉さんは慌てだしく立ち上がりました。
「二葉さん、足元、気を付けてくださいね」
その勢いの良さに、梅吉さんはハラハラしながら立ち上がりました。
「本当、相変わらず人の事ばっかりね。少しは我がまま言いなさいよ。じゃないと貧乏クジばっかり引いて、婚期逃がすわよ。うちの姉さんみたいに。
女子高校生に囲まれている笠原先生にヒラヒラと手を振って、二葉さんは颯爽とお店を出て行きました。
「疲れた… 母さん、濃い珈琲お願い」
倒れ込む様にテーブルにオデコを付けた梅吉さんの前に、大森さんが座りました。
「三鷹先生は、遺産の取り分が少なくなってもいいんですか?」
大森さん、直球です。
「親の稼いだ金で、俺が稼いだものじゃない。自分の稼ぎで、不自由なく暮らしている」
「… 女子高校生を相手に、遊べるぐらいには?」
「大森…」
珍しく、梅吉さんの声にピリッとしたものが入りました。真面目な表情になった梅吉さんを、三鷹さんが片手で止めて、優しく主を呼びました。
「
梅吉さんが席を譲ると、主は三鷹さんの隣に座ります。
「遊びじゃない。学生と教師だから、手を握ることも、抱きしめることも、確定的な言葉も贈れない。けれど、遊びではない」
ちょっとはありましたよね。主は三鷹さんの横顔を見つめて、ニッコリとほほ笑みました。
「不安がないって言ったら噓になるけど、水島先生… 三鷹さんは、ずっと傍に居てくれてたから。私が困った時には、助けてくれるから」
そこまで言って、主、キョロキョロと辺りを見渡しました。
「三鷹さん、梅吉兄さん、笠原先生… 女子会したいんですけど、いいですか?」
「もちろん、OKだよ」
梅吉さんがニッコリ笑って立ち上がろうとしたのを、主が慌てて手で制して立ち上がりました。
「女子会は、女の子のお部屋でやります」
主がニコニコしながら席を放れて、大森さんに手を差し出しました。大森さん、戸惑いながらもその手を取って、桃華ちゃん達とバックヤードに消えて行きました。
「ねぇ、梅吉、良い人いるなら、いつでも連れて来るのよ」
椅子の背もたれにだらしなく体を預けた梅吉さんに、桃華ちゃんによく似たお母さんが、濃い珈琲を持って来てくれました。三鷹さんの分もです。
「出来たらね」
濃い珈琲の香りに癒されながら、梅吉さんは自虐的に呟きました。