真夏の昼時、主はエプロン姿のままで商店街の裏道を走って、通い慣れた図書館に入りました。ここの図書館はすごく大きくて、3階建てだし、大きなホールと体育館が隣接していて、冷房の効いた広い廊下で繋がっています。その廊下の一番奥、人目につかないベンチで、主は膝を抱えて座っていました。目は真っ赤で、涙は止まっていません。
「私、何してるんだろう。
グズグズと鼻をすすりながら、ため息も零れます。
「ハァイ、可愛い子猫ちゃん」
そんな主に、明るく声をかける男の人が居ました。差し出された右手が、ぼんやりと主の視界に入りました。親指の付け根に、ホクロがあります。
「こんな所で… 可愛い顔が、台無しだよ?」
右手が視界から消えたと思ったら、今度は白いハンカチが差し出されました。
「可愛くなんか、ないです」
いつもなら、右手の親指の付け根にホクロがある手を差し出してくれるのは、三鷹さんでした。三鷹さんしか、主は知りませんでした。
けれど、今は違います。顔を上げて見なくても、声と口調で分かります。
「小暮先生、なんでこんなところに居るんですか?」
主は顔を上げるどころか、抱えた膝に顔を埋めちゃいました。
「子猫ちゃんの鳴き声が聞こえたから」
小暮先生は、覗き込むように片膝をついて、主の肩に手を置きました。
白いスラックス、汚れても知りませんよ?
「私、そんなに可愛くなんかないです」
「僕には、可愛い子猫ちゃんだよ。
遊びに、行こうか? ドライブなんて、いかがかな?」
「知らない人に付いて行っちゃ駄目って、皆に言われているんです」
「知らない人って… 僕のこと、知っているでしょ。職業だって、お堅い公務員の学校の先生でしょ」
小暮先生がちょっといじけた声を出すと、主は少しだけ笑って顔を上げました。梅吉さんとそっくりな顔が、主を見つめています。
「先生なら、なおさら付いて行けません。怒られちゃいますよ?」
「誰に?」
話をしながら、主は三鷹さんの事を考えています。主、分かっているんです。三鷹さんが主に必要以上に触れないのは、誰かに怒られるのが怖いんじゃないって事ぐらい。
「… 偉い人、かな?」
「そうだね。でも、子猫ちゃんが手に入るなら、先生辞めちゃえばいいし」
小暮先生は白いハンカチで、主の目元をそっと拭いてくれました。主は、三鷹さんに先生を辞めて欲しいわけじゃありません。
「ドライブ、行こうよ」
三鷹さんは、図書館に来た主をドライブには誘いません。なぜなら…
「
主は、ドライブより絵本の方が好きなことを、知っているからです。
颯爽と… まではいきませんけど、現れた三鷹さんは、小暮先生から奪うように主を抱き上げて、図書館のブースへと歩き出しました。
全速力で走って来たんでしょうか?随分と呼吸が乱れていますね。
「えー… また僕の存在、無視かぁ…」
大きくため息をついて小暮先生は立ち上がると、ニコニコしながら声をかけました。
「僕なら泣かせないから、いつでもどうぞ」
そんな小暮先生に、三鷹さんがチラリと怖い視線を投げました。
「そんな怖い顔するぐらいなら、綺麗ごとばかり並べなければいいのに」
小暮先生はフフンと笑って、出口に向かって歩き出しました。