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第36話 用心はするに越したことはない

 合宿の醍醐味は、剣道に集中できることですね。借りている体育館は、宿から坂道を下りて、徒歩5分ほど。一番熱い日中でも、学校の武道場よりはだいぶ涼しくて、集中力も持つようです。けれど油断大敵と、休憩と水分はこまめに取っています。朝夕はとても涼しくてしっかり睡眠がとれるので、疲れもそんなに溜まらないようです。が、さすがに1年生は筋肉痛が酷いようで、2日目からの動きが、とてもコミカルです。

 食事は皆揃って、宿で食べます。食事や掃除は当番制で、学年は関係ありません。顧問の沢渡先生とお手伝いの2人の先生、三鷹みたかさんも、自ら当番に入っています。


 30分前まで体育館は竹刀が激しくぶつかり合う音や、怒号の様な気合が飛び交っていました。今は、風がセミの鳴き声を運んできます。自分たちから居残り稽古を申し出た4人は、20分だけ、みっちり三鷹さんにしごいてもらっていました。


「先生、ありがとうございました」


 頭の手拭い、面と籠手を取り、下座に座った4人の生徒が上座に座っている三鷹さんに礼をして、午前の練習を終えました。

 三鷹さんが立ち上がったのを確認して、4人の体は力を失いました。体育館の床に大の字で寝転がって、目を瞑ります。


「昼飯に遅れるなよ」


 そんな生徒達を見て、三鷹さんはちょっとだけ笑いました。


「先生、俺達より運動量多いのに、なんでそんなに元気なんですかぁ…」


「腹、減ったけど、食欲ねぇ…」


 動いているのは、口だけですね。


「日々の鍛錬。飯は食え」


 三鷹さんは上半身を脱いで、流れ出る汗をタオルで拭いていました。


「先生、若いよ~。… なんか、臭くね?」


「臭いって? 汗臭いのは、しかたなくね?

 … あ、ホントだ。これって…」


「なんか、燃やしてる?」


 1人の生徒が窓から入ってくる風に、焦げたような臭いが混ざっているのに気が付きました。4人は起き上がり、鼻をスンスンならしました。


「… 体育館の消火器と、バケツを入り口に集めろ」


 4人に指示を出しながら、三鷹さんは荷物の中からスマホを取り出しました。ちょうど着信がきています。


「はい、水島です。はい… その4人は一緒に体育館です」


 どうやら、先に宿に帰った先生の内の1人の様です。4人の生徒は電話の内容を気にしつつも、三鷹さんの指示通り体育館の消火器とバケツを出入り口に運んでいました。三鷹さんは、通話をしながら身なりを整えました。


「はい、今、臭いを… はい… はい… いえ、その方がいいと思います。ちょうど今、体育館の消火器とバケツを集めに行かせましたので、持っていきます。はい、では、帰ります」


 通話を切ったころには、消火器4本とバケツが10個、出入り口に集まっていました。


「ありがとう。時間がないから、歩きながら話す」


 そう言うと、三鷹さんはワタシを頭にまき直し、首からタオルを下げて消火器2本を持ちました。残りを生徒達がそれぞれ持って、宿に向かいました。


「沢渡先生からの連絡は、宿から火が出た事。一応、鎮火はしたらしいこと。部員は全員無事とのことだ。消防も呼んだらしいが、到着まで時間がかかるらしい。この消火器とバケツは、保険だ」


 荷物が一番重いのは三鷹さんのはずなんですが、足取りは一番しっかりしていてスピードも速いです。生徒は、少し後ろを頑張ってついていきます。


「沢渡先生」


 坂を上りきる前に、宿から避難のために出ていた生徒や先生たちが見えました。


「沢渡先生、生徒は無事ですか?」


「ありがとうございます、水島先生」


 三鷹さんが生徒の輪の中にいる沢渡先生を呼ぶと、沢渡先生は小走りで駆け寄ってきました。


「うちの生徒は、確認済みです。皆… ああ、君たちもありがとう。これで、全員確認できましたね」


 少し遅れてついた生徒達のバケツや消火器を受け取りながら、沢渡先生が安心しているのが分かりました。正面からは分かりませんが、そこそこ焼けたようで臭いはありました。


「あちらの生徒は?」


 見れば、宿を共有している他校の生徒も外に出ていました。


「それが、買い出しに行っている子もいるらしく、なかなか全員の確認が取れないようですよ」


「… そうですか。中島、何人かでそのバケツ全部に水を張っておいてくれないか?」


 三鷹さんは沢渡先生に話を聞きながら周囲の様子を確認し、近くにいた生徒に指示を出しました。名前を呼ばれた生徒は、数人の友達と一緒に空っぽのバケツを持って、宿の裏側に向かいました。庭に、水道があるんです。


「消防車は麓の事故渋滞で、後30分はかかるそうです。まぁ、念のために呼んだので…」


 沢渡先生がそこまで言った時でした。


「先生! 先生、大変!」


「消えてない!」


「火!!!!」


 水を入れたバケツを抱えて、3人の生徒が走ってきました。


「裏の水道は使えるか?」


「今のところ、大丈夫そうです。裏の方が風上だから…」


「じゃぁ…」


「すみません、そちらの生徒さんの中に、うちの生徒を見かけていないか聞いていただけますか?」


 状況確認をしていたところに、他校の先生がきました。


「買い出しに出た生徒とは連絡が取れたんです。通いの方と一緒だそうで…。で、男子生徒が4人ほど確認できなくて…」


「堺」


「はい!」


 三鷹さんに名前を呼ばれた生徒は、すぐさま仲間に聞きに走りました。


「4人の生徒さんの名前は?」


「三木本、佐伯、小島、中本です」


 聞きながら、三鷹さんはワタシをいったん頭から外して、首に下げていたタオルと一緒にバケツの水に入れました。


「先生、風呂の近くで、タバコを吸っている4人組を何人かがみてます」


「あいつら… やめろと言ったのに」


 堺君が報告すると、他校の先生が小さく呟きました。三鷹さんは、その呟きを聞き逃しませんでした。


 あいつらか…


 今朝の4人を思い出しました。三鷹さんはバケツからタオルを取って、濡れたまま頭に巻きました。次に、ワタシを顔に巻いて、目を出しただけの姿になると、バケツの水を頭からかぶりました。


「先生、まさか…」


 慌てる周囲をしり目に、三鷹さんは2杯目の水を被りました。


「裏の水道を使って、バケツリレーで消火活動。消火器2本は置いていく、いざという時、逃げ道確保に使え。絶対に無理はするな。沢渡先生、後、お願いします」


 3杯目の水を被ると、消火器を2本持って、宿の中に勢いよく入って行きました。


「え… ええ… ちょっ、まさか…」


「堺君、皆に…」


「ハイ!!」


 動揺しながら腰を抜かしてしまった他校の先生をよそに、沢渡先生の呼びかけに、堺君は即座に反応しました。空になったバケツ3個を持って裏に向かいながら、皆に声をかけて引っ張って行きました。


「先生方、子ども達の安全確保をしながら、周囲を警戒してください」


 沢渡先生は生徒と一緒にバケツリレーをしようとしていた先生達に、声を掛けました。慌てて、一人が消火器を取りに来ました。


「そちらの生徒さんは… あそこ、風下になりますよ。煙を吸ってしまいますから、風上に避難させてあげてください。あと、出来たら近隣住民にお知らせしていただけますか? お隣っていっても、良い距離がありますが、念のために… 立てます?」


 沢渡先生は、腰を抜かしたままの他校の先生に、おっとりと声を掛けました。


「… 無理ですか? あ、大丈夫そうですね。生徒の方が、よくわかっている」


 心配して、他校の生徒達を見ると… 皆、誰からともなく、裏へと向かって行きました。


「数人でいいです。ご近所さんに、注意を促してください」


 そんな他校の生徒に向かって、沢渡先生がお願いをしました。すると、数人の女子が近所に向かって走りました。


「さて… 皆さん、頼みますよ」


 沢渡先生は三鷹さんがしたように、手拭いを顔に巻いて、まだ火が回っていない玄関に入りました。





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