大きな鏡に映る
ウッド調の店内は、とても落ち着いていて、余計な飾りも無くて、とてもスッキリしています。広い店内には、黒い椅子が5つあります。美容室の椅子より大きめで、しっかりした椅子は、お相撲さんが座っても壊れそうにありません。その椅子の列の真ん中に、僕の主の
「お待たせしました。今日はどうしますか? お姫様方」
耳が隠れるぐらいの黒いショートカットに、切れ長の瞳とスクエアー型の眼鏡。長身細身で柔らかい物腰で、いつも優しくて、落ち着いた雰囲気を纏っているのが、この理容室の店長の坂本さんです。主の後ろに立つと、ジッと鏡越しに見つめてきます。
「おまたせー」
ジェルでツンツン立てた金色の短髪と、怖い印象の三白眼には緑のコンタクト。大きな口から出る言葉は乱暴だけど、意外と優しいかったりします。主のお父さんの後輩で、お店の№2の岩江さん。
この二人は、主と桃華ちゃんに接触を許された、数少ない男性です。
「いつもと同じで、お願いします」
「了解」
桃華ちゃんの髪をカットするのは、岩江さんです。見かけによらず、繊細な仕事です。
桃華ちゃんは、週刊誌をめくり始めました。目的は、料理のレシピのようです。
「あの、私は毛先をそろえるだけにします」
「あら、珍しい。桜雨、伸ばすの?」
カットが始まった桃華ちゃんは週刊誌から視線を上げて、鏡越しに主を見ました。
「… うん。ちょっと、伸ばしてみようかなって」
「なになに? カエルの王子様がらみ?」
坂本さんが、主の髪をダッカールピンで止め始めました。
「… 早く大人になりたいんだけれど、どう頑張っても無理だから。
見かけぐらいは、と思って」
「何かあった? 顔色が優れないコトと、関係ある?」
クシで梳かれて、小気味いい音を立てて毛先が切られていきます。クシが髪を通っていく感触や鋏の音が、主はとっても好きで、とっても落ち着くそうです。だからでしょうか? ここでは、何でも話せちゃうんですよね。
「昨日、学校の先輩が、柔道の試合で大怪我しちゃって… 病院の手配とか、家族への説明とか、他の部員達への指示とか… 凄くテキパキしていて、当たり前なんだけど、やっぱり『大人』なんだな~って」
確かに昨日の
「ん? 王子様、柔道部の顧問だった?」
「剣道部、副顧問」
岩江さんの質問に、桃華ちゃんが答えました。面白くなさそうに。
「あの人、顧問になったら自由に使える時間がほとんどなくなるから嫌だって駄々こねたらしくて、じゃぁ、副顧問でいいから、代わりに怪我人が出た時の対応は、よろしくね。って、校長から言われたんだって。兄さんが言ってたわ。
昨日の試合、顧問の先生は外せない出張で居なくて、副顧問が引率だったんですって。
柔道部の副顧問、新卒の先生で、未経験者。
学生時代は、中学からずっと、フルート吹いてたらしいわ。
そんな人が、足の骨折・・・正確には、太い骨、飛び出たらしいけど。
そんなの、無理ってもんじゃない?」
「あー、そりゃぁ、無理だわな」
岩江さんの鋏が、シャキシャキ良い音を立てています。
「とりあえず、救急車呼びましたー。
って、泣きながら、学校に電話してきたみたい。
私達が病院に行ったら、気分悪くして、待合の椅子でノビてたし。
で、うちの学校の運動部、怪我をした時は、かかりつけ医がない場合、水島総合病院に運んでもらうの。
あそこ、ここらへんで一番設備整ってるし、何より、あの人の実家だから」
「「「え?」」」
三人の視線が、桃華ちゃんに集まりました。
「え?坂本さんや岩江さんが驚くのは分かるけど・・・桜雨、今更?」
「あー・・・昔、聞いたっけ?」
「聞くも何も、『水島』よ。
普通、関連付けて考えるでしょ?
ともかく、病院に顔が利くし、手続きとかも詳しいから、あの人、怪我人担当なの」
「なるほど~」
「だから、テキパキしてて、当たり前なの。
むしろ、オロオロしてたら、使えないどころの話じゃないわ。
ゴミよ、ゴミ」
言いながら、ペラペラと週刊誌のページをめくります。
一応、視線は週刊誌に落ちてるけれど、見てませんね、確実に。
「相変わらず、水島にはキッツいな」
岩江さんは、ケタケタと笑いました。
「怪我した先輩に、何か言われたの?」
「先輩をずっと応援していた友達の付き添いで行っただけで、顔はみてないです。
心配だったけれど、私が病室に入って声をかけるのは、ちょっと違うんじゃないかな?
先輩もきっと、怪我してすぐの姿は見られたくないんじゃないかな?って思って。
あの時は、ずっと応援していた友人だけで、正解だったんだと思うんです」
だからあの時、主は病室に入らないで、松橋さんの背中を押したんですね。
近藤先輩、主の顔がみれたら、とっても喜ぶと僕は思うんだけどな?
『気持ち』って、難しいです。
「で・・・三鷹さんと話をしていた病院の事務の方が、綺麗なロングヘアーで、大人っぽくって、三鷹さんと並んでるのが凄く自然で・・・
先輩のお見舞いに行ったのに、不謹慎だなって思ったんだけど、やっぱり、頭から放れなくて・・・」
坂本さんに聞かれて、主は素直に気持ちを言葉にしました。
三鷹さんと、病院の事務の女の人のツーショットは、1枚の写真のように、主の心に焼き付いてます。
「私、子どもっぽいから、せめて髪が長ければ、少しは大人っぽく見えるかな?って思って」
「意地らしい!」
主が恥ずかしそうに小さく舌を出して、ちょっと上目使いで鏡の坂本さんを見ると、坂本さんは叫びました。
「いいこと、桜雨ちゃん!
若さは武器よ!
そのツルツルでスベスベでプルプルのお肌も、このほぼ痛みのない髪も、武器なのよ!
だから、変にお化粧したりしなくていいの!
夜更かし、偏った食生活・・・は、大丈夫よね。
いいこと、生活習慣、食事が、明日の『美』を作るのよ!」
そして、鋏の動きがスピードアップ!
口調も変わりました。そうなんです、坂本さん、『おねぇ』さんなんです。だから、梅吉さん達は安心して、主と桃華ちゃんを任せることが出来るんです。
「高橋~、スペシャルトリートメントの用意、2人分。あと、顔そりの後のマッサージとパックは、念入りにお願いよ。
この日焼けと髪の痛みは… 体育際でしょう? 終わったら、直ぐにいらっしゃいって言ってるじゃない。自分たちでケアするのもいいけれど、体育祭の後なんかは、プロを頼ってちょーだい!」
「「はーい」」
坂本さんの豹変はいつもの事なので、主も桃華ちゃんも驚きません。
「カエルの王子様が桜雨ちゃんが大人になるまでに、我慢できなくなるぐらい、綺麗に伸ばしましょうね」
「我慢できなかったら、兄さんと笠原先生に殺されるわね」
坂本さんの熱い思いを、桃華ちゃんが消しにかかりました。
「あら、桃華ちゃんだって、もっと綺麗になるのよ。桜雨ちゃんと一緒に」
「私は、今のままで十分。これ以上、余計な男が寄り付くのも嫌だもの」
「これから、もっともっと綺麗になれるんだから、勿体無い事言わないで。
さぁ、トリートメントしましょう」
坂本さんはカットを終えると、イキイキとした声と、今にも踊りだしそうな動きで、シャンプーの準備に取り掛かりました。