■その27 終わった夏と始まった夏■
それは、期待して待っていた報告とは、真逆のものでした。
綺麗に切り揃えられた角刈り頭に、浅黒い四角い顔に乗った大きな目と、存在をこれでもかと強調している黒い眉。筋のしっかりした大きな鼻と、上下ともに分厚い唇。体も筋肉質な四角で、白い学ランで更に膨張して見えます。野太い声ですが、基本は優しい声です。
3年F組柔道部部長・
柔道も勉強も恋も、全部一生懸命で、けれど、相手の嫌がることはしないので、なんだかんだ、憎めない先輩なんです。暑苦しさはありますが…。
その近藤先輩、今日はインターハイへの切符がかかった大切な試合でした。
「左足骨折で入院…」
職員室に入った連絡で、その場にいた先生方全員が絶望的な表情を浮かべました。
「変わります」
とっさに、
「失礼しまーす…」
場違いな程明るい声で、主の友達の大森さんが入ってきました。主と、桃華さん、田中さん、松橋さんも一緒です。皆、担任の笠原先生に頼まれた、クラス分の提出プリントやノートを、それぞれ持っていました。
「タイミング、悪かったかな?」
大森さんは、思わず田中さんに向かって、小さく呟きました。
「ありがとう」
そんな主達に気が付いて、笠原先生と梅吉さんが受け取りに出てきてくれました。
「どうかしたの?」
梅吉さんにノートの山を渡しながら、桃華ちゃんが聞きます。
「… うん、近藤がね、怪我をして入院になったんだ」
「えっ…」
一番に声を上げて驚いたのは、松橋さんでした。
「先生、怪我って…」
「梅吉、病院に行ってくる」
怯えたように聞こうとした松橋さんの言葉を、三鷹さんが遮りました。
「先生、あの… 私も、連れて行ってください!」
三鷹さんが梅吉さんの横を通り過ぎようとした時、ベストを松橋さんにギュ!っと掴まれて、いつもの彼女からは考えられない程の声でお願いされました。
「「「「ん????」」」」
主達は、今にも泣きそうな松橋さんの顔を見て、皆で顔を見合わせました。
病室のドアは、怪我した人やお年寄りでも簡単に開くように、軽く作られています。けれど、今の松橋さんにとっては、とてつもなく大きくて、重たいドアに感じていました。
松橋さん、ドアの前でにらめっこすること、15分経過です。最近は上がってきた顔も、以前のように俯かせて、ジッとつま先を見ています。
「複雑骨折ですって」
「詳しくは分からないけれど、相手がわざとやったって… 今、柔道部の子が話してるの、聞いちゃった」
田中さんと大森さんが、5人分のジュースを買って戻ってきました。主と桃華ちゃんは、病室のドアから少し離れた、廊下の椅子に座って待っていました。
「ありがとう。うちの柔道部の中だと、近藤先輩が一番インターハイの可能性、あったんでしょ?」
桃華ちゃんは、レモンティーのペットボトルを受け取りました。
「ありがとう。わざとなんて、酷いわ…」
主はオレンジジュースのペットボトルを受け取りました。
「まぁ、私としては、近藤先輩の怪我がわざととか、インターハイ出れないとかは、ぶっちゃけ『残念ですね』で終わりなの。
私の今、一番の興味は…」
大森さんは、ピーチティーを飲みながら、ス… っと、松橋さんを指さしました。
「いつから?」
大森さんの質問に、誰も答えません。
「誰も、気が付かなかったの?」
「大森さんが気が付かなきゃ、誰も気が付くわけないわ」
大森さんの質問に、桃華ちゃんがサラッと答えました。
「まぁ、そうね。でも… いつまでああしているつもりかしら?」
「心配で心配で、勢いで来ちゃったけど… って、所ね」
大森さんと桃華ちゃんの話を聞いて、主が松橋さんの歩み寄りました。
「麻酔で寝てるみたい。先輩の顔、見ていきましょ?」
「でも…」
「ここまで来たんだもん、寝顔見て帰りましょ」
松橋さんの返事を待たないで、主は病室のドアを開けました。
広くない4人部屋の右奥には、1人しかいませんでした。大きな窓際のベッドで、近藤先輩はギブスで固定された左足を、天井から釣られていました。
夕日が落ちてうっすらと星が映っている窓には、俯いた松橋さんの姿も映っていました。
主に背中を押されて、松橋さんは病室に入りました。
「やぁ… 君は… ああ、松橋君だ」
麻酔から覚めたばかりの様で、近藤先輩は少し虚ろな目で、松橋さんを見ました。
試合の疲れか、怪我をしたことのショックか、近藤先輩の瞳どころか顔全体に力がありません。いつもの暑苦しさは皆無です。
そして、いつの間にか、主の姿はドアの外でした。
「… 先輩…」
松橋さんは、その一言を言うのがやっとでした。
「うん…」
近藤先輩も、頷くのが精一杯でした。
「私… 運動が苦手で… 勝ち負けつくことが苦手で… いつも逃げてて… 近藤先輩、いつもあんなに頑張ってて… 見てるだけだから、どんなに先輩が… 悔しいかなんて… きっと、私の想像以上… でも… 私も悔しくて… 悲しくて…」
優しく頷いた近藤先輩を見て、松橋さんはボロボロ涙を流しながら、まとまらない気持ちが、思わず出ました。
「あんなに… あんなに… 頑張ってたのに…」
俯いて、大きな眼鏡を外して、溢れる涙をぬぐいながら、松橋さんは気持ちを言葉にしました。
「そうか… 君は、見ていてくれてたんだ。ありがとう。
自分で、そこまで行けないんだ。こっちに来てくれるかな?」
近藤先輩は、泣きじゃくる松橋さんに、右手を差し出しました。泣きながら、少しずつベッドに近づいた松橋さんは、真横に着いたとたん、ベッドの端に顔を埋めて、更に泣き出しました。
「ありがとう」
そんな松橋さんの頭を、近藤先輩は優しく優しく、撫でていました。そんな二人を、ドアの隙間から4人は確りと見ていました。