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第37話 いつでも思うのは…

 火よりも、煙と熱さが邪魔をします。道着は被った水なのか、三鷹みたかさんの汗なのか、どちらで濡れているか分かりません。煙に向かって進んでいくので、顔面の中で唯一出ている目が、総攻撃を受けています。火が回っていないといっても、この煙では時間との勝負です。煙は増えるし、温度は上がっているし、聞いた事のない嫌な音があちらこちらから聞こえています。


「三木本、佐伯、小島、中本… どこだ?!」


 たまに声を上げては、耳を澄まします。


「… すけ…」


 何回目かの問いかけで、微かに声が返ってきました。


「何処だ?!!」


「ここ…」


「たす…」


 直ぐ近く、壁の向こうから聞こえました。


「頭、護っておけ!」


 言うが早いか、三鷹さんは持っていた消火器で、木の壁を数回殴りつけました。壁が音を立てて崩れると、三鷹さんに向かって、火が噴き出してきました。数センチ先に、2人の姿が確認できました。


「息、止めてろ!!!」


 迷わず、2人の周りに消火器を噴射します。周りにも噴射して1本使い切ると、素早く2人を引きずり出しました。道着の胸元に入れておいたペットボトルの水を、2人の顔に掛けます。


「あと2人は?」


「タバコを買いに…」


「火が出る前に、宿を出ているんだな?」


 三鷹さんの問い掛けに、2人は何とか頷きました。


「よし、出るぞ。立てるか?」


 1人は立ち上がりましたが、もう一人は座り込んだままです。


「すみません… 足が…」


 そう言った瞬間、三鷹さんはその生徒の顔に手拭いわたしを巻いて、自分の道着の上を被せました。


「5分あれば、出れるはずだ。危ないと思ったら、レバーを引け」


 そして、立ち上がった生徒に頭に巻いていたタオルと、残りの消火器を持たせました。足を怪我した生徒をオンブして、三鷹さんは外を目指して進み始めました。


 火が追ってきます。でも、その進みは思ったより遅く、その代わりに、煙が3人を襲います。生徒達は、三鷹さんから渡されたタオルや手拭いわたしで口と鼻を覆っていますが、三鷹さんは何もないです。肌を守っていた道着も生徒にかけてしまったので、チラチラと舞う火の粉が、剥き出しの上半身にダイレクトに落ちてきます。熱くないはずはないんですが、それよりも頭がくらくら、意識がボーっとし始め、三鷹さんはしきりに頭を振り始めました。背負った重さと、隣で必死に逃げる生徒の姿が、三鷹さんの意識を繋ぎ止めています。けれど、呼吸もままならなくなって、三鷹さんの膝はガックリと床につきました。


「先生、これ!」


 足元がふらついた三鷹さんの口と鼻に、後ろから手拭いが押し当てられました。オンブしていた生徒が、両手で当ててくれたようです。煤まみれの、酸欠で震える指先が、手拭いわたしを触ります。手拭いを確かめるように指でなぞると、感覚がなくなり始めた指先が、太い糸の集まりに触れました。


… 怪我をしませんように。

… 無事に帰ってきますように。


 それは、桜雨おうめちゃんがワタシに込めてくれた祈りです。


 そうです! ここで止まっちゃ、ダメなんですよ! 立って! 立って、三鷹さん! きっと、出口はもう少しなはずだから!!


 そんなワタシの声が聞こえたのか、桜雨ちゃんを思ってか、三鷹さんはもう一度立ち上がりました。生徒をオンブしたまま。オンブされている生徒は、手拭いを三鷹さんの顔に当てたまま、無事に脱出できるよう、願い続けていました。


 現実が幻か、数メートル先に人影が見えました。自力で歩いていた生徒が、最後の力を振り絞って、駆けだしました。誰かが何かを言っているようですが、三鷹さんはただ、前に進むことだけしか頭にありません。


… 三鷹みたかさん、気を付けてくださいね。

… ご馳走用意して、帰りを待ってますね。


 合宿に出発する日、送り出してくれた桜雨ちゃんの笑顔が、三鷹さんの目の前に浮かびました。


「… 桜雨…」


呟いた瞬間、三鷹さんに勢いよく水がかけられました。何回も何回も…。その勢いに押されて、三鷹さんは再び座り込みました。2人の男の人が三鷹さんを、背中の生徒を1人の男の人が、引きずられるようにして、宿の外に出しました。


「先生!」


「水島先生!!」


 呼ぶ声は、近いようで、遠くから聞こえます。かすむ視界には、青い空に、舞い上がる火の粉がチラチラと、黒い煙がもうもうと。息苦しさも忘れて、痺れて機能低下していく頭で考えるのは…


桜雨おうめ


桜雨ちゃんの笑顔でした。


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