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第25話 お姉ちゃんになった日

 8年前の11月。

 小学3年生の良く晴れた秋の日、桜雨おうめちゃんはお姉ちゃんになりました。


 桃華ももかちゃんと二人、真っ赤なランドセルをカタカタ揺らしながら帰って来ると、お父さんの修二さんが、慌ててお店を閉めていました。


「お帰り、桜雨ちゃん。お母さん、さっき病院に行ったから、お父さんもいってくるね。後で、電話するから」


 修二さんはお財布を握りしめて、お仕事のエプロン姿のまま、玄関を飛び出していきました。


「二人とも、お帰りなさい。修二君、行ったみたいね」


 玄関の左側のドアが開いて、桃華ちゃんのお母さん・美世さんが顔を出しました。


「「ただいま~」」


「桜雨ちゃん、お母さん、赤ちゃん産むんで病院行ったからね。お父さんからお電話来たら、皆で病院に行きましょうね」


 美世さんは優しく言いながら、桃華ちゃんに2人分のプリンが乗ったお盆を渡しました。今日のオヤツです。


「お母さん、赤ちゃん生まれるの?」


「そうよ。桜雨ちゃん、もう少しでお姉ちゃんね。

 オヤツは、手を洗ってから食べるのよ」


 もう少しで、お姉ちゃん!


 その言葉にドキドキし始めた主の頭を、美世さんは優しく撫でて、お店に戻って行きました。


「やだ、どうしよう」


「桃ちゃん?」


「すんごく、ドキドキしてきちゃった」


プリンが乗ったお盆を持ったまま、桃華ちゃんもドキドキし始めたようです。


「うん。私も、ドキドキしてる」


「… あのね、桃ちゃん」


「一人は駄目よ」


 主の考えはお見通しな桃華ちゃんは、ニッと笑いました。



 美世さんの手作りプリン、主と桃華ちゃんは1つを半分こにして、美味しく食べました。もう1個のプリンはラップをかけて、保冷剤と一緒に保冷バックに入れました。

 二人は首からお財布を下げて、色違いの苺リュックを背負いました。


 桃華ちゃんのリュックは真っ赤で、中には昨日まで主のお母さん・美和さんが食べていた、おからクッキーが入っています。これも、美世さんの手作りです。


 主のリュックは濃いピンク色で、中には1年前に顔も知らない男の子が貸してくれた、黒い折りたたみ傘が入っています。あと、美和さんが産まれてくる赤ちゃんのためにと作った、毛糸の靴下。


 プリンの入った保冷バッグは、主が大切に持ちました。


 二人は、玄関の靴箱の上にお手紙を置いて、元気に出発しました!

目的地は、美和さんが赤ちゃんを産んでいる病院です。


 その病院は、お家のある商店街からバスに乗って10分。3つ目のバス停で降りて、10分歩けば到着です。けれど、二人は子供だけでバスに乗ったことはありませんでした。誰か大人か、中学生の桃華ちゃんのお兄さん・梅吉さんが一緒でした。


「ドキドキするね」


「うん。でも、もう、お姉ちゃんだもん」


 二人は何度もバスの行き先を確認して、乗る時には運転手さんにも確認して、初めて子供だけでバスに乗りました。


「N産婦人科のバス停は、次だよ」


 同じバス停から乗ったおばあちゃんが、優しく二人に声をかけてくれました。


「「ありがとうございます」」


「お母さん、赤ちゃん生まれるの?」


「うん。私と桃ちゃん、今日、お姉ちゃんになるの」


「そう、素敵だわね。気を付けてね」


 おばあちゃんにお礼を言ってバスを降りると、二人のドキドキは更に強くなっていました。けれど、慣れない商店街に立つと、ちゃんとつくのか不安も出てきました。二人は、ギュッと手を繋ぎました。


「君たち、迷子?」


 そんな二人に、痩せたオジサンが声をかけてきました。

口元がニヤニヤとだらしないなぁ… と、桃華ちゃんは思っていました。

 主は、そのオジサンの目が何となく嫌でした。


「「違います」」


 だから、二人は強く言い切ると、手を繋いだまま歩き出しました。

速足で。


「おじさんが、良いところに連れて行ってあげるよ。遊びに行こうよ」


 大人の男の人が、子供の足に追いつくには、簡単です。オジサンは、数歩で主の肩を掴みました。


「やっ!!」


 主は怖くなって体が強張って、小さく悲鳴を上げた瞬間、そのオジサンの手は、


 パシッン!!


 と乾いた音と共に、主の肩から弾かれました。


「痛ってぇ… おい、ガキ!!」



 主とオジサンの間に、サッと影が入り込んで、主を背中に庇ってくれました。

 あまりの速さに、周りの人たちも動くのを忘れて見守っています。


桜雨おうめ!」


「桃ちゃん…」


 桃華ちゃんが主を抱きしめます。その肩越しに、助けてくれた人の後ろ姿が見えました。


 髪は少し硬そうな、黒のベリーショート。竹刀を構えた細身の白の学ラン姿で、袖口には細い朱の3本線。黒いスニーカーを履いていて、少し高めの身長です。


「オジサン、警察呼んだから」


 主と桃華ちゃんの前に、青年と同じ制服を着た梅吉さんが、携帯を片手に立ちました。


「お前ら、ガキの分際で…」


「あのね、オジサン…」


会話の途中で、竹刀を構えた青年は、オジサンに容赦なく竹刀で打ち込んで行きました。

それを、主と桃華ちゃんは、抱き合ったまま見守っています。


「まっ… やめ… ごめん… ごめんなさい… ごめんなさい!!!」


 散々、腕や足を竹刀で打たれたオジサンは、泣きながら逃げていきました。周りから起る、拍手の嵐。


「お疲れ様~、三鷹みたか

桜雨ちゃん、桃華ちゃん、大丈夫?」


 梅吉さんが、優しく二人に声を掛けると、主と桃華ちゃんは滲み出ていた涙を、袖で拭いました。


「ありがとう」


「ありがとう、梅お兄ちゃん。

あの… あのお兄さんは?」


 怖くてドキドキしていたはずなのに、違うドキドキに変わり始めていました。

 主は、青年の顔が視たくて、目が放せません。けれど、光の加減で、顔がハッキリ見えません。


「ん? ああ… 三鷹」


 少し先に投げ捨てていた鞄や、剣道の道具を取ってきた青年は、梅吉さんに呼ばれましたが、そのまま人込みの中にまぎれて行きました。


「三鷹、ありがとう! また明日な!!」


 見えなくなる後ろ姿に、梅吉さんは大きな声を投げました。


 梅吉さんは、家に電話を掛けたあと、主と桃華ちゃんと一緒に、病院に行ってくれました。三人が病院に着いたタイミングで、主は元気な双子の男の子のお姉ちゃんになりました。


「ちっちゃいねぇ…」


「かわいいねぇ…」


 新生児室のガラス越しに見た弟たちの寝顔を、主も桃華ちゃんもニコニコで見ていました。




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