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第21話 指先の恋心

「動いちゃダメだからね」


 激しい雨の音に、緊張した大森さんの声が混ざりました。昼休みも終わり、5時間目の英語が自習になったので、教室は少し賑わっています。

窓際の、後ろから2番目が主・おうちゃんの席です。

そこで、お友達の大森さんと向かい合って座って、爪をいじってもらっています。


「家のお手伝いも大事だけど、たまにはこういうのも良いでしょ?」


 従姉妹のももちゃん、お友達の松橋さんと田中さんに見守られながら、主の爪は削られたり磨かれたりして、どんどんピカピカになっていきます。


「動画ではたまに見てるけど、直に見るのは初めてだわ」


 桃華ちゃんは、ジッ… と主の爪を見ているけれど、大森さんが使っている道具も技術の名前も分かりません。


「「私も」」


 そんな桃華ちゃんに、田中さんと松橋さんも同意します。


「皆、勉強しすぎ~。せっかく、女の子に生まれたんだから、お洒落しなきゃ勿体無いじゃない。人生、楽しんだ者勝ちって、言うでしょ」


 大森さんが、唇を尖らせました。


「あら、私は勉強するの、楽しいわ。知識を増やすのは、とても有意義よ」


「わ、私は… 手芸が楽しいです」


 大森さんに、田中さんと松橋さんが答えます。


「可愛い物や、綺麗な物を見るのは好きよ。お洒落も、ちょっとしたものなら、桜雨おうめと一緒にやってみたりするけど…」


 桃華ももかちゃんは、じーっと、主の爪を見ています。


「ちょっとしたマニキュアなら、たまに桃ちゃんとお出かけの時とかにつけてみたりするけど…」


 主も、自分の爪が変わっていくのが不思議で、面白くて、興味津々に見つめてます。


「「これは、初めて」」


「出来た!」


「「「「わぁぁぁぁ…」」」」


 主の10枚の爪が綺麗に整えられて、爪の先に向かって、うっすらと白から桜色のグラデーションにキラキラ光ってます。キラキラはとっても控えめだけど、それがかえって、白いセーラー服に合います。


「ゴテゴテするのは嫌だって言うから、これだけね」


 左のお姉さん指にだけ、ポッコリと立体の物がくっついていました。


「カエルちゃん…」


僕です。主の左のお姉さん指に、ニコニコした僕がくっついてます。頭には、キラキラした真珠の粒が付いた、金色の王冠をかぶってます。


「本当は、桜の花や花びらを散らそうと思ったの。白川さんの名前通りに」 


「『おう』って、本当は『さくらあめ』って読むのよ。桜の咲くころに降る雨のことで、桜吹雪じゃないのよ。しかも、散らしてしまうぐらい強い雨は『桜ながし』って言うらしいわ」


 大森さんに、桃華ちゃんが主の爪を眩しそうに見ながら言いました。


「そーなんだ。じゃあきっと、白川さんが生まれた日は優しい雨が降ってたのね。子供っぽいかな? って思ったんだけど… 白川さん、いつも味気ない男物の折りたたみ傘、持っているでしょ? そこにカエルのシールが付いてるから、カエル、好きなのかな? って思って。似せて作ってつもりだけど、似てるよね? もうすぐ梅雨だし、王子様、好きでしょ?」


味気ない折りたたみ傘… 僕の事ですね。主は、折りたたみ傘の持ち手についてるカエルのシールが剝がれない様に、とっても大事にしてくれています。小さな手提げ袋に入れて、何処にでも持っていってくれます。


 意味ありげな笑顔に、主のほっぺは、うっすらと赤くなりました。


「… うん、好き」


 主は爪の僕を見つめて、ニコニコしながら呟きました。


「大森さん、よく見てるわね」


「意外と、人間観察が好きなの」


 桃華ちゃんに笑いながら答えて、今度は松橋さんを手招きしました。


「プリント、回収」


 そのタイミングで、自習用に配られたプリントを回収しに、ベスト姿の三鷹みたかさんが教室に入ってきました。クールビズだからでしょうか? ネクタイはなくて、首元のボタンも開いています。


「やば、松橋さん、後でやらせてね」


「う、うん、こちらこそ、お願いします」


 席を離れていたクラスメイト達は、慌てて自分の席に戻りました。松橋さん、田中さん、大森さんも、バタバタと席に戻ります。今まで大森さんが座っていた席に、桃華ちゃんが座りました。桃華ちゃんの席なんですが… その綺麗な顔が、微妙に面白くなさそうです。


「遊びすぎちゃったね」


 コソっと桃華ちゃんに呟いてから、主は提出用のプリントをやり始めました。チラっと、三鷹さんと爪の僕を見ていました。


「… そうね」


 桃華ちゃんはつまらなさそうに呟いて、窓の外を見ました。朝から激しく降る雨は、まだまだ止みそうにありません。ムスッとしたまま、桃華ちゃんもプリントをやり始めました。


 クラスの全員が無言でプリントをやっているのを見て、三鷹さんは終了5分前に教室のドアに手を駆けました。


「白川、プリント回収頼む」


「は、はい」


 ボソッと言った三鷹さんと目を合わせて、主が返事をしました。

それに満足したんでしょうか? 出ていく三鷹さんの口元が、ちょっとだけ上がっていた気がします。

 終了のチャイムが鳴ると、主が言わなくても、プリントは集まりました。そのプリントを、主と桃華ちゃんは放課後に職員室に届けに行きました。

桃華ももかちゃんは


「職員室に来るなら、ついでにお願いしよう」


と、担任の笠原先生のお手伝いで、呼ばれたのでした。


「東条さん、これをお願いしたいんです」


 職員室に入るなり、桃華ちゃんは入り口近くにある、共同のテーブルに案内されました。プリントの山が5つほどあります。


「ホチキス止めですか?」


「そう。そんなに時間はかからないんだが、一人でやる気も起きなくてね。

水島先生はミニテストの採点で忙しいらしいし、君の兄上はそんな水島先生のお手伝い。購買のメンチカツで買収されていましたよ」


 桃華ちゃんは笠原先生の話を聞きながら、もう手が動いていました。慣れた手つきで、5つの山から1枚ずつ取った束を交互に乗せていきます。


「… ジュース1本ですからね」


「ありがとう」


 笠原先生はお礼を言いながら、桃華ちゃんの隣で5枚1組になったプリントをホチキス止めを始めました。

 そんな二人を見ながら、主は英語の先生の机に皆から回収したプリントを置きました。


「白川」


「はい」


 不意に、ミニテストの採点をしていた三鷹みたかさんが主を呼び止めました。ちょっとドキドキしながら、主は三鷹さんの前に行きました。


「これ」


 下から救うように両手を取られて、主のドキドキはちょっと、どころじゃなくなりました。三鷹さんの視線が、主の爪に釘付けです。


「あ、お友達が、たまにはいいんじゃないって… すみません、校則違反でした」


 手を触られて、校則違反を見つかって、視線を感じて… 今の主は、プチパニックです。


「俺以外、誰にも見せるな。特に…」


 三鷹さんは筋張った大きな手で、優しく主の指先を握りました。右手の親指の付け根に、小さなホクロが見えました。


「このカエル」


 放課後の賑わう職員室で、主の耳はいつも以上に控えられたその声を、確りと拾っていました。その証拠に、ほっぺどころか、耳や首まで真っ赤です。


「… き、気を付けます」


 主がようやくそれだけ言うと、三鷹さんはそっと手を放しました。すると、主は爪を隠すように手をグーにして、ぺこっ! とお辞儀をして桃華ちゃんの所まで飛んでいきました。


「三鷹ぁ~」


「校則違反の生徒に、指導しただけだ」


 隣の席で全部見ていた梅吉さんの唸り声に、三鷹さんはシレっと答えて、採点を再開しました。



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