■その2 桜の精を抱きしめて■
皆さんこんにちは。
入学式も無事終わり、今日の午後は、新入生の為のオリエンテーションです。
部活紹介で、美術部の
そんなある意味、本日の主役の桃華ちゃんが時間になっても集合場所に来ないと、合唱部さんに泣きつかれ、主が探していましたが…
「桃ちゃん、もう少しだからね」
今、主は中庭の樹に登っています。時々、薄く入れた紅茶色のボブショートの髪を枝に引っ掛けながら、時々、幹で白い脚を擦りながら登っています。
「
主は、何かを取ろうと手を伸ばし、ゆっくりですが更に登っていきます。そんな主を、桃華ちゃんは樹の下で心配して声をかけています。
「だぁ~め。せっかく、
「なら、私が自分で取るから!」
どうやら、
「それも、だ~め。桃ちゃんの制服汚れるの、私が嫌だもの。
今日も、ソロ歌うんでしょ? 梅吉兄さん、昨日の夜、制服にアイロンかけてくれてたんだから、汚しちゃ駄目よ。
私も桃ちゃんには、お姫様みたいに綺麗でいて欲しいもの」
主、意外と頑固なんです。
「もうちょっと… 取れた」
主が木の枝から取ったのは、合唱部の女の子たちがお揃いで付けていた、朱色のリボンでした。
「桃ちゃん、取れたわ~。あらぁ… 結構、高く登っちゃったのね」
主は手にしたリボンを桃華ちゃんに見せようとして下を見た瞬間、自分がどれだけ高くのぼって来たか分かりました。
「
下では、
「登ったんだから、下りられると思うわ。でも、桃ちゃんの出番が来ちゃうから、リボン落とすわね」
ハラハラしている桃華ちゃんとは反対に、主は落ち着いています。
「あれあれ、下りれなくなったのかな?子猫ちゃん」
そんな時、初めて見る男の人が桃華ちゃんの右隣に来て、主を見上げました。
「わぁ~、随分とお目目が可愛らしい子猫ちゃんだ。まるで、天使だね」
その人は、剣道とバスケットをやっている梅吉さんより姿勢が良くて、ほっそい銀ブチの眼鏡をかけています。焦げ茶色のショートヘアーに、小さめの鼻と、少し厚めの唇。少したれた黒い瞳の、左の目じりに小さいホクロがあります。
「子猫ちゃん、僕が抱き留めてあげるから、飛び降りてごらん。大丈夫、こう見えて頑丈だから」
その人は主の方に向かって、大きく両腕を開きました。
「いえ、多分、自分で…」
主がやんわりと断ろうとした時、
梅吉さんの幼馴染で同僚、剣道部副顧問の
力強い黒の三白眼は、慣れてもちょっと怖いです。硬めの黒い髪をベリーショートにしていて、キリッとした力強い目をしています。口数の少ない唇は、いつもキュッと結ばれています。その口が、短く優しく動きました。
「
そして、筋張った大きな手を、主に向けて伸ばしました。
「… はい」
すると、主はニッコリ微笑んで、何の躊躇もなく樹から飛び降りました。
小さな主の体を、
主は逞しい三鷹さんの両腕の感触と体温を感じて、白いほっぺをポッと桜色にしました。
「怪我は?」
頭を軽く撫でられながら、耳元でそう聞かれて、主は小さく頭を振りました。
「そうか」
「ちょっと、水島先生、時間がないんだけれど」
三鷹さんが安心したように呟くと、
「あ、桃ちゃんの出番!
優しく下ろされた主は、ほっぺを桜色にしたまま、極上の笑顔で三鷹さんにお礼をしました。三鷹さんは、主の頭についた数枚の葉っぱをとって、良い子良い子と撫でると、体育館の方を指さしました。その右手の親指の付け根にある、小さなホクロを見つめて、主はますます目じりを下げました。
「さ、行くわよ、
そんな主の手を桃華ちゃんは面白くなさそうな顔で握り、三鷹さんと男の人に背中を向けて小走りに体育館に向かいました。去り際、主は三鷹さんに小さく頭を下げていきました。
「えー、僕の存在、無視?」
主と桃華ちゃんを見送る三鷹さんのちょっと後ろで、男の人が苦笑いしながらこぼしました。
「…」
聞こえているはずなんですが、三鷹さんはその声に気が付かなかった振りをして、主たちを追いかけるように歩き始めました。
そうなんです。三鷹さんは剣道部の副顧問なので、これから行われる部活紹介に出席予定なんです。遅れたら、顧問の先生に一応、怒られます。一応ですが。
「えー… 僕の存在、完全に無視? … 同じセリフ、2回も言っちゃったよ?」
突っ込み不在です。完全に存在を無視された男の人は、後頭部をかきながら独り言を続けました。
「ま、二人とも可愛かったからいいか。さ、僕も体育館に行こ~っと」
そして、男の人も体育館に向かって歩き始めました。
「… 水島先生、体育館教えてください!」
歩き始めて、気が付いたようです。体育館への道順が分からないことに。男の人は小走りに、三鷹さんの後を追いかけました。