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第33話 醒めるように鮮明な夢

 夢を見ていた。少なくとも吉良にはそう認識された。目の前に広がるのはどれもセピア色で構築されていて、現実味がない。


 記憶を探っている可能性も考えたが、見たこともない景色が連なり、夢なのだろうなと頭のどこかが実感していた。


 視界いっぱいに拡大されたのは何かの顔なのだろう。何かがわからないのだから個と他を区別するためのアイコンとしての顔の機能は果たされていないが、不思議と目が離せないでいた。


 その何かには二つの瞳と一つの鼻、そして一つの口がついていた。瞳は緩く閉じており開きそうにない。鼻はむず痒いのかピクピクと動き、開いたままの口は時々何も入っていないのに吸い込むように動いた。目線は決して動くことがなく、変わらず顔を映し続けていた。


 単調でそれでいて飽きることのない映像がいつ終わるともわからないままに続いていく。心の動きは平穏で温かみすら感じ始めていた。


 一方で焦燥感も渦巻いていた。自分の中の一部が、何かを思い出そうと訴えかけている気がする。見たことがない顔のはずなのに見覚えもある。とうに忘れてしまったが、昔に嗅いでいたはずの懐かしい匂いに浸っているような感覚。


 匂いだ。花の香りがどこかから漂ってくる。


 気がついたときには顔が消えていた。代わりに現れたのは赤い花。見覚えのある花。でもまた何かがわからない。花は、くるくると回転する度に花弁を一枚一枚落としていき、やがて溶け込むように暗闇に消えていった。


 視界が動き始める。落ちていく。どこまでも落ちていく。ゆるりゆるりと落ちていく。暗闇はどこまでも深く続いていた。底は無いのだと体が理解していた。このままどこまでも落ちていくのだろう。落ち着く心と反対に焦りが足元から徐々に全身を覆っていく。


 喉元まで来たところだ。音が聞こえた。か細い何かの音に誘われるように体の芯から沸々と沸き上がってくるものがある。


 反面、心はさらに静かに。まるで波間に据え置かれたよう。音に合わせて激しいリズムと穏やかなリズムが行ったり来たり押し寄せる。


 歓びも哀しみも怒りも楽しさも、希望も悔恨も絶望も、あらゆる感情が衝動が押し寄せて体がバラバラに引き裂かれ千切られ、また混ぜ合わされる。


 深まるばかりの闇の中を大きく息を吸って潜っていく。闇に底は無い。だけど底に辿り着けたのなら、転じることができるかもしれない。向かうことができるかもしれない。浮かぶことができるかもしれない。


 醒めるように鮮明な次の夢へ。





 「おい、起きろ!」


 耳に飛び込んできた月岡の声に目を覚ますと、吉良の体が激しく揺さぶられていた。頭に響く衝撃が一気に現実を思い出させてくれる。


「すみません、気を失って。何が、どうなったんですか?」


「わからねぇよ。泣き声が聞こえて戻ってきたら、お前が倒れていたんだ。とりあえず立て」


 差し出された手を掴むとぐいっと思い切り引っ張られて半ば無理矢理立ち上がらされる。倒れたときに痛めたのか、右足が悲鳴を上げた。


「大丈夫か?」


「……大丈夫です。それより沙夜子さんは?」


 沙夜子の声は聞こえなかった。階段にもフロアにも、見渡す限りは白装束の姿が見当たらない。


「いやまて、お前が知ってるんじゃねぇのか?」


「え……」


「二階の廊下から階段を降りてくるまでの間に柳田とはすれ違っていない。だからお前を起こしたあとに場所を聞こうと思ったんだが」


「すれ違っていない? そんな……。沙夜子さんのことだから気絶した僕を放って先に向かったとしても、二階にいた月岡さんに会わないわけがない。本当にいなかったんですか? 見落としてしまったとか」


「見落とすと思うか? この暗闇の中であんな白い服を」


「だとしたら──」


 泣き声が聞こえた気がした。朧気ながらも今見ていた夢のことを思い出す。赤子の泣き声だ。


「……月岡さん」


「なんだ?」


「水子霊にとって親和性が高いモノは女性だって話をしていましたよね。なぜ女性ばかり取り憑かれるのかと話しているときに」


「! おい、まさか……!」


 月岡よりも早く吉良は飛び出していた。足の痛みなど気にすることなく先の見えない階段を駆け上がる。


 夢の断片が泡のように次々と浮かぶ。あれは赤子の記憶、そして椿の記憶。強く弱く揺れ動く感情が闇を深くし、その中へと落ちていく。闇の底に到達したとき、別の夢となって浮上するのだ。今度はあやかしとなって。


「沙夜子さん!」


 赤子の泣き声が激しさを増していく。もうほとんど泣き叫ぶような声に優希の声が重なった。


 お腹が空いているのか眠いのか、それとも単に機嫌が悪いのかわからなくとも、とにかく助けを求める声。


 側に寄り添い、助けてくれる存在を求める声。その声を追って、吉良は深い闇の中を進んだ。


 無数の泣き声。増殖したあやかし。もし、ここに集まる餓鬼が全て沙夜子さんに取り憑いたとしたら。


「どうした!?」


 急に立ち止まった吉良にぶつかりそうになった月岡は驚いたように声を上げた。


「ここだ。声がこの部屋の中から聞こえてきます」


 暗闇の中にぼうっと両扉の輪郭が現れた。焼け焦げた跡が色濃く残る扉に手を掛け力を込めると、軋んだ音を轟かせながら扉がゆっくりと開いていく。

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