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第30話 侵入

 沙夜子がそう疑問を口にするのも無理はないと吉良は思った。


 記録のない廃病院までは沙夜子とともに何度か足を運んだことはあるものの、辿り着くためには時間も労力もかかる。車で行くのでも危険な道のりなのに、徒歩で行くとなれば常に足元に注意を払いながら背丈以上に伸びた草木をかき分け、道無き道を進まなければいけない。


 行くのは不可能では決してないものの、確固たる目的がないと途中で諦めてしまうだろう。


「僕も最初はそう思いました。でも、あの場所は呪いを置いてくるのなら最適な場所です。人目につかない場所にありますし、何よりも昔使われていたであろう分娩室もありますから、親和性も高い。水子霊は母体の記憶が残る場所により引き寄せられると思われます。何より多くのあやかしの出現例があります。今言ったようにあまりの情報のなさに一部では心霊スポットの一つにされていますしね」


 廃病院は無駄に面積だけが広い二階建ての建造物だった。廊下に階段に各部屋に焼け焦げた跡があるにも関わらず、その構造は当時のそのまま残されているのが以前に訪れたときには不気味だった。


「でも、証言がありました。白坂さんが複数の赤子の声を聞いていたと。椿さんが水子霊を置いてきた儀式に使われたと考えられます。そして、どういう経緯でここへ訪れたのかはわかりませんが、亡くなった内田さんはなにかの目的で廃病院へ向かい、中へ侵入した」


「……理由がいまいちはっきりしないのね」


「大方後ろめたい何かがあったんだろ? 白坂も内田も。ただ、白坂は外で留まったにも関わらず内田は中へ入っていった。その差が二人の症状の差を分けたとも考えられる。病院での白坂の状態を見るに内田のようになるまでは時間の問題な気もするがな」


 沙夜子はシートベルトをぎゅっと握ると、考え込むように視線を落とす。


「ねぇ、理由はまだわからないとしても、廃病院へ訪れたのは白坂さんと内田さんの──つまり女性二人だけなの?」


「情報は確認していないが。今、必要なことなのか?」


「……いいえ、大丈夫。気にしないで余計なことだったわ」


 沙夜子はそう言ってまた秋の風が吹く窓の外へと顔を向けた。吉良の視線には気づいているのだろうが、あえて気づかない振りをしているようにも見える。


 こうやってはぐらかそうとするとき、実際には沙夜子は何かに勘付いていることが多いことを吉良は知っていた。


 だが確証はないのだ。だから問いただすようなことはしない。そのときが来るまで。


 吉良はフロントガラスの先に目を向けた。進行を邪魔するような枝を払い除けて無理矢理に進む先に、似つかわしくない黒い影が現れる。


「沙夜子さん」


「なに?」


「こっから先はまた沙夜子さんの結界陣に頼るしかありません。よろしくお願いします」


「わかってるわよ。起因はどうあれ、あやかしはあやかし。人を殺した以上は、どんな理由があっても存在を消すしかない」


 それが「あやかし保護法」のルールだった。人との共存を謳ってはいるが、実態はあやかしが人に害をなさないように管理するのが法の主旨だ。人を殺せば裁判を受ける権利がある。しかし、あやかしの場合は即、存在を消滅させられることになる。人とあやかしは平等ではないのだ。


 視界が開け、突然に目の前に出現したのは黒く焼け焦げた病院の、もはや残骸だった。


 異臭がする。廃墟の中というよりは建物そのものに染み付いた臭いだ。焦げた臭いでもある。腐敗した臭いでもある。


 おそらくはきっとここでしか存在していないであろう臭いが建物から滲み出ており、周りには雑草一本生えていなかった。


 まるでそこだけがくり抜かれたかのように剥き出しの土が残された建物の周りを覆っていて、ちょうど結界のようにも感じられる。踏み入れようとする者を拒絶するのだ。


「……ここか?」


 車のドアを閉じると、月岡はポケットに両手を突っ込んだまま枯れ葉を踏みしめて正面へと進んだ。


 ガラスの破片がわずかに付着したままの扉が地面の上へ倒れており、洞穴のような黒で塗りつぶされた入口が大きな口を開けている。少女はこのガラス片を食したのかもしれない。


「間違いありません」


 吉良はお土産を大事そうに助手席の上へと置いて、月岡の横へ走り寄っていった。


 ここへ来るのは三度目だが、日常から隔離された異様さがピリピリと肌の表面を刺激する。


 見上げれば、以前はあったはずの二階の窓も全てがなくなっていて入口と同じようにぽっかりと大きな穴が開いている。外観からはもはや何の施設だったのかは判別できなくなっていた。


「思った以上に異常な場所だな。俺でもわかるが、これまで通ってきた森の中と比べて、空気が違い過ぎる」


「澱んでるのよ。目には見えなくてもね。虫や動物ですらここへは近寄らない。ここはね、そういう場所なの」


 沙夜子は月岡の後ろで立ち止まった。大きな背中が沙夜子の姿をすっぽりと覆い隠す。月岡はすかさず振り返ったが、何も言わない沙夜子に舌打ちをした。痺れを切らしたのだろう。


「なんだよ」


「どいて」


「ああ?」


「いいから、どきなさい」


 なぜか強情な沙夜子に月岡は道を譲った。イライラを解消するためかタバコを取り出そうとするも、その手を沙夜子にはたかれる。


「おい! なんなんだ!」


「臭いがわからなくなるでしょ。感覚を鈍らせたくないの。ここからは人間の領域じゃない」


 何も言えないでいる月岡を押しのけて入口へ向かって歩み始める沙夜子の後ろ姿はいつものそのままだった。蓄積されているはずの疲れなど無いかのように伸びた背筋を崩さずに一歩一歩着実に進みゆく。


 その歩みが入口の手前ではたと止まった。


「行くわよ」


 夜などよりもさらに深い暗闇の中へと沙夜子の全身が入っていく。腕、脚、頭と地面に伸びた黒影ごと吸い込まれるように。気がついたときにはもう沙夜子の姿はこちら側にはなかった。


 タバコが雑草の上へと落ちてゆく。


「おい、なんなんだ、この感じは……廃墟とか心霊スポットとか、そんなんじゃねぇ。……ここで、いったい何が起きたっていうんだ」


「何も起きていません」


「あぁ!?」


「二度の火事で全焼。公式の記録にもそう書かれていますが、これは噂を元にして書かれたものです。みんなが知っているから書き記されていますが、全ては噂。そして、それ以外のことは何も起きていないことになっているんです。さきほども言いましたが、火災の原因もわからないし、経営実態も治療記録も何も残っていない。あえて記さなかったのではなくて記せなかった。つまりは形有るものから形の無いものへ、人々の記憶の淵から零れ落ちた何かが起こった。概念としてはあやかしと一緒。ここは、そういう場所の一つです」


 吉良も中へと入っていく。その後ろを追いかけるようにして月岡も侵入していった。

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