全国各地の一体どこにあやかしが出現するのかは誰にもわからない。人とあやかしは表裏一体。切り離せない以上は人が住む場所であればどこにだって新たなあやかしが生まれる可能性がある。ただ、それでも吉良がこの地に住み、鬼救寺がここにあるのにはいくつかの理由がある。
「土地柄、と言えばいいのでしょうか。古くからこの地には数多くの伝承が残されています。たとえば、新築する前の鬼救寺にはその歴史がありません」
吉良は眼鏡を上げた。上に昇るエレベーターには今、吉良と月岡の二人しかいない。
「どういうことだ? 現にずっとあの寺はあそこにあったんじゃねえのか?」
月岡はタバコの代わりか、棒付きの飴を舌先で転がしていた。
「あやかしと同じです。いつの間にか現れて、いつの間にかみんなが認識するようになっている。その証拠に南柳市で最も古い寺院であるにも関わらず、公式の記録には何も残っていません。あるのは沙夜子さんが新築した以降の記録のみです」
「あやかしと同じ……か」
「正確に言えば、記録されていないというのが正しいのかもしれません。あやかし保護法が定着する前は、人間にとってあやかしは恐怖そのものであったし、同時に不確かなものでした。形があやふやなものはそのままの方がいい。あやかしの存在を認めてこなかった人間にとっては、その方が都合がいいし、ある意味では平和です。あやかしのことが、あやかしに付随する記憶が存在しないということなので」
「つまりだ。裏を返せばそれほどの出来事がこの地に起こったということか?」
「そうです。おそらくは」
怪異がそう頻繁に起こるわけはない。だからこそ人はあやかしを恐れ、近づくのを拒否してきた。
「……まあ、いい。俺にはどうでもいいことだ。それで入院している白坂雪子の話を聞けば儀式が行われた場所がわかるんだな?」
「いつも申し訳ないですが、確証はありません。手掛かりがあればいいな、とそれくらいです」
「……了解した」
やや不機嫌そうに月岡が前へ出ると同時にエレベーターの扉が開いた。
亡くなった内田紗奈と同じ病棟だ。
今は、特別態勢として餓鬼憑きと思われる症状の患者の専用フロアとなっている。ライトグリーンに統一された床を進んでいけば、閉じられた病室の中から苦しそうなくぐもった声や例の不気味なお腹の音が聞こえてくる。
「白坂の病室はこの奥だ。症状はさほど重くない。食べ物は受け付けないが、点滴で栄養は補給できている。さらに短時間なら会話も可能だ。本人に負担がかかるらしく三十分程度の時間だがな」
「十分です」
おそらく、と心の中で付け加える。この期に及んでも自信がないのは変わらなかった。
それにしても──歩きながら吉良は思索を巡らせた。鬼救寺で見た限りは会話ができていた人間はほとんどいなかった。我先にと助けを求めて沙夜子の周りに群がるだけ。
症状が軽いということは、他の人達と違って取り憑かれてまだ日が浅いということか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。
時系列を並べてみれば白坂が吉良の元を訪れた、その前日に内田紗奈がどこかへ行ってあやかしに取り憑かれている。鬼救寺へ訪れた高校生も、白坂が訪れた前の日に沙夜子の陣を受けている。
そして、その次の日に餓鬼憑きの大量発生。
爆発的に広がる前に症状が起きているのはこの3人だけだ。白坂だけが取り憑かれて日が浅いとは言い切れない。
とはいえ、性別だけは一緒で他は年齢もバラバラで共通点は見えてこない。だからこそ、調査当初は困惑し真相にたどり着くまで回り道をしてしまったのだから。
なにか、あるのだろうか。それとも3人が発症したのはただの偶然……?
「着いたぞ」
月岡がぶっきらぼうに言うと、口の中の飴をかじり重い扉を引いた。