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第26話 蠢く森

ーーーーー


 ふっと、消えた。体を支えていた何かがふっと消えた。落ちてゆく、落ちてゆく。どこまでも落ちてゆく。


 大きく息を吸って、体を縮こませて。ふるふると全身が震えた。


 ただただ泣く泣く。ただただ泣く泣く。


ーーーーー


 朝陽が次第に視界を開かせていく。メガネが眩しそうに反射した。


 無理矢理起こされた子どものように両目を擦ると、吉良は大きなあくびを一つした。その拍子に抱えていたコンビニの袋が落ちそうになり、慌ててキャッチする。


「しっかり持ってろよ。甘い物は貴重だ」


「え……ああ、すみません」


 車内に充満したキツいタバコの臭いは寝起きには厳しい。助手席の窓を少しだけ開けると肌寒いが爽やかな風が髪をなびかせた。


 完全に寝てしまっていたのか、住宅街だったはずのところから高速へ、辺りの景色は変わっていた。早朝の車通りが少ないどこまでも延びゆく道を車が加速する。


 秋に色づく森の上空に重たい雲がのしかかるように浮かんでいた。


 窓を閉めるとオーディオからラジオが流れていることに吉良は気がついた。女性のアナウンサーがまた眠くなりそうな柔らかい口調でニュースを伝えている。


「念のためにつけてみたが、今のところ死亡者はまだ出ていないようだ。どうやら病院と柳田が上手く抑え込んでくれているようだな」


「それでももう限界は超えているはずです。……僕がもっと早く真相に気づけていれば……」


 月岡はオーディオのボリュームを絞った。


「おい、まだそんな泣き言言ってんのか。事態は終わっていないんだ。呪いの場所の特定に、そのあとの対処、頭を埋めるのはそれだけにしてくれ」


「そう……ですね」


 吉良はおもむろに横に置いた鞄からメガネケースを取り出すと、中からメガネクロスを出してレンズを拭いた。曲がった弦も若干直しつつ再び掛けると、視界がクリアになった。


「場所はまだわからないですが、一つ考えがあります。月岡さんにはそこに同行してもらえないかと……」


「事件解決のためだ。もちろん構わない。だが、どこだ?」


「僕のところへ訪れた相談者──白坂雪子さん。おそらくは、内田さんも入院していた松森病院にいると思うのですが」


 月岡は飽きもせずに胸ポケットからタバコを一本取ると、口に咥える。


「そいつも被害者か?」


「おそらくは」


「それで会って情報を聞き出そうと。あのばあさんを見たことがあるかどうか、それから妙なところへ行ってないかどうか」


 ライターで火を点ける。車内の煙たさがまた一段と増した気がした。


「そうです。聞いた限りでは手掛かりになるようなものはわからなかった。でも、何か話の中で気がつくことがあるかもしれない」


「わかった。ガラス片と合わせて捜査を進めるしかねぇな。……そういや柳田は一緒じゃなくてもいいのか?」


「沙夜子さんには、儀式の場所を特定したあと、あやかしと対峙するときに力になってもらいます。それが対処法です。呪いの根源、人々に取り憑き形になる前のあやかしの集合体がそこにはいるはずです。それを結界陣で封印する。問題の解決にはこれしかありません」


「柳田のあの術か。まあ、当然そうなる、か。だが、危険性はないのか?」


 吉良は沙夜子の顔を思い浮かべた。不敵で強気な顔が「もちろん」と言わんばかりに笑顔になっている。それにたとえ危険があったとしても沙夜子ならば引き受けるに違いない。


「大丈夫です。というかですね、それしか方法がありません。沙夜子さん勘がいいのでもう待ち構えているかもしれないですよ」


「了解した。……あっ?」


 月岡のスマホが振動している。月岡は、何の躊躇もなくスマホを耳に当てるとタバコを持った手で運転しながら電話口に出た。


 吉良は呆気にとられていた。無線ならわかる。だけど電話に出るのはさすがにアウトなのではないだろうか。現職警官に、本当に警官なのか疑われてしまうのも無理がないような気すらしてくる。


「──了解」


 電話を切ると、月岡はアクセルを踏んだ。一気にスピードが上がり、吉良の体が一瞬だけ座席を離れる。


「あ、危ない……」


「雨平から連絡があった。ガラス片はやはり燃えたような形跡があったが、問題は内田がいなくなった日も含めて丸3日、どこも火事が起きていないことだ」


「えっ?」


「過去に火災が起きたどこかへ行って、そして帰ってきたのかもしれない。とは言っても絞り切れねぇぞ、これじゃ」


「……いえ、逆に一つ可能性のあるところが浮かびました」


 そう言うと、吉良は窓の外を見た。薄暗い森の奥で何かが蠢いているような気がした。

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