その質問はおそらくは月岡の過去を抉るものだろう。そうは思っていても聞かざるを得なかった。自分一人では届かない真実も二人なら届くかもしれない。今の月岡ならば遠慮なく答えてくれる気がしていた。
「嫌味な質問だな、おい」
「ええ。すみません」
月岡の口元が歪む。だがどこか楽しそうではあった。咥えていたタバコを人差し指と中指で挟んで口から離すと、思い切り煙が吐き出される。
「どんな手段でも構わないから、とにかく取り憑いたものを落とそうとするだろうよ。その前に、ニセモノを殴り倒すけどな」
「それがたとえば、正当な手段ではないとしてもですか?」
月岡はすっと目を細めた。タバコをもう一度ゆっくりと味わうように吸うと、空いた片方の手をポケットに入れた。
「人間、いいやつばかりじゃない。だが、それでもたいていの人間は思い付いても踏み止まる、そういうラインがある。だけど中にはな、いるんだよ。ルールが通用しない。そういうやつはもっと別のルールに従って生きているもんだ。もしかしたら、俺もそうなのかもしれない。もし万が一にでもあのとき妹を救えたのだとしたら、何でもしていたと思うからな」
「ありがとうございます。すみません」
謝りの言葉を述べたものの、吉良は違うことを考えていた。というよりもずっとそのことを考えていた。視線が月岡の顔から禍々しさすら感じる日記へと落とされたが、表情は変わっていなかった。
月岡は肩をすくめた。
「それで、なんなんだよ? 今の話が何かにつながんのか?」
「月岡さん。椿さんは最初から呪うつもりで来ていたと言っていましたよね?」
「ああ、言ったが……」
吉良はパラパラとページを捲りながら顔を上げることもなく話を続ける。
「僕もそう思ったんです。最初は大勢の痩せこけた人達が鬼救寺に押し掛けたときです。直感でしたが、呪いが伝染しているように思ってしまいました。そして、二度目は月岡さんの呪いの指摘を受けたときです」
吉良の手があるページを捲ろうとしたところで止まった。ずれ落ちていたメガネがようやく正しい位置に戻された。
「僕の専門はあやかしです。呪いのことなんてわからない。だけど、もし大量の水子霊が取り憑いていたのだとしたら、そしてそれを正当な手段ではないやり方で無理矢理落とそうとしたのなら、その行為を呪いと名付けられるのかもしれません」
「何かわかったのか?」
「はい。やっと見つけました。『置いて、帰ってくる』──ここにそう記されています」
「置いて、帰ってくる?」
話をしているうちにタバコの煙は消えていた。それに気が付かずに月岡はタバコの吸い殻を指の間に挟んだまま吉良の横へと並んだ。
「やり方は単純なようです。自分に憑いているモノを体から引き剥がすような感覚で置いてくると。そのためにはそのモノの親和性が高い場所へ行くこと、と書いてあります」
「親和性が高い?」
「はい。親和性とは、ある物質が他の物質とくっつきやすい性質を指します。そのモノがより結びつきやすい場所を選んで足を運ぶんですね。言わば、『呪いの増殖』です。何度も何度も足を運び、置いてくることで自身の体に憑いているモノはなくなっていきますが、その場所に溜まり続ける。心霊スポットと呼ばれる場所に、本来関係のない霊が集まるのと同じようなイメージでしょうか」
吉良は指で文字をなぞった。一文字一文字何が書いてあるのか、慎重に確かめるように。
「……なるほど、やっぱり几帳面な人のようです」
「なに!?」
「効果があるかどうかはともかく、少しでも上手くいくように話をしたわけですね。月に一度決まった日時だけ訪れ、そのときだけ水子霊の話をする。『儀式の設定』、です。そして、家に帰り記録と思いをしたためた手帳を押し入れにしまって封をする。一カ月後また同様のことを繰り返す。このサイクルを延々と二年間行ってきた」
「それで二年後の今、成就したということか? ──でも、待てよ。なのになんであのババアも取り憑かれてるんだ?」
吉良の顔が上がった。確信に満ちた瞳が真っ直ぐに前を見据える。その先には何もないはずだが、何かと対峙しているように。
「あやかしは、そんなに弱いものじゃない。彼ら、彼女らは生きている。生きるために無から有へ形をつくり出した存在。生への渇望は、そう簡単に終わるはずがない」
月岡は驚いたように吉良の様子を見つめていた。瞬きをした途端に気づいたのか、持っていたタバコを携帯灰皿に入れた。
吉良はまた視線をゆっくりと下へと落としていく。
眼鏡が上がった。
「たぶん本当は最初に形なんてなかったんです。彼女にだけは声は聞こえていたのかもしれないですが、形はなかった。なのにその後の彼女の行為が形を与え、あやかしをつくり出してしまった。無惨にも消されてしまった命に新しい命を与えてしまった。──それが、今回の始まりです」
細く長い息が吐き出される。吉良は両手を机の上にそっと置くと、目を閉じた。
耳鳴りのしそうなほどの静けさが、椅子と長机しか置かれていない寂しい部屋の中を浸透していった。
月岡は新しいタバコを取り出すとすぐに戻した。頭を掻くと、音を立てることなく部屋の外へと出ていった。