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第5話 鬼灯

「今年も鬼灯はたくさん実ってくれた」


 運転席と助手席の間に茎の先端に繋がれた5、6粒ほどの鬼灯の実が置かれていた。


 暗闇の中でも薄っすらと橙色が見て取れる。


「それにしても、鬼灯をお土産にするなんてあんた相変わらず変わっているわね」


 改めて言われてみればそうかもしれないと思いながら、吉良はハンドルを回した。


 お菓子とかゼリーとか、ありきたりなものでもいい。子どもには安全で簡単なおもちゃでも。


「でも、鬼灯が良かったんです。家にいても仕事をしていることが多いし、何か、この鬼灯なら家族を守ってくれる気がして」


 「そうね」と言うと、沙夜子は窓の外を眺めた。急に沈黙が車内を支配する。真っ暗闇だった。


 緩やかな下り坂は来るときと同じように人気がなく、外灯もほとんどない。


 車のカーライトのか細い光だけが前方を照らしてくれていた。


 月岡の車はとっくに先を行き、影すらも見つからない。


「ねぇ、吉良」


「? なんですか?」


「さっきは、ごめん」


「ああ──」


 たぶん拳が当たったときの話だろうと推測する。


 正直痛かったが、全然大丈夫です、と続けようとする前に、沙夜子がこちらを見た。


「あまりにもあいつの言葉がひどくて、つい。だけど、止めてくれてありがとう。吉良の言う通り、この右手は怒りとか憎しみに使うものじゃない」


「……そうですね」


 一方であやかしの一部は人間にとって危険な存在でもある。


 いざというときに対峙できるのは、現状では沙夜子しかいない。


 そんな事態に陥らないよう手を尽くさなければいけないが、今回のケースが単純でないことは過去、幾度も経験してきた怪異に照らし合わせてなんとなくわかってきていた。


「沙夜子さん。寺に来た相談者の話を教えてください」


「そうね」


 沙夜子は背筋を伸ばすと、背もたれに背中をぴったりとつけて話し始めた。


 少し茶色がかった黒い瞳がフロントガラスの先、暗闇の中を見つめている。


 運転に集中しようと、吉良はハンドルを強く握った。


 いつも、あれこれと思考を巡らせるとすぐにそっちの世界に入ってしまい、目の前のことが疎かになる。


 いつだったか、愛姫あいひが真剣に話しているときもそうだった。珍しくデリバリーを頼んでゆっくり食事でもとなったときに、カフェオレを飲みながら長年通っている相談者のことを考えていたら、滅多に怒らない愛姫に見事に怒られてしまった。


 なんだったか。あのときも悩んでいたはずだ。


 確か、水子霊は果たしてあやかしなのか、なんなのか、とか。


「吉良、聞いてるの?」


 沙夜子のいらついたような声にハッと我に返る。


 暗闇はまだ続いているが、遠くの方に街の明かりがポツポツと見えてきていた。


「全く……。いい、ちゃんと聞いてよ?」


 鬼救寺にその女性が来たのは昨日の晩だった──と改めて沙夜子は語り始めた。


 年は17歳、高校二年生だった。


 来た、というよりは本堂の前で倒れているのを発見した沙夜子が女性を背負って中に運んでいったと言うが、その体がありえないほどに軽かったらしい。


「だから一人で運べたんだけれどね」


 本堂の畳の上に寝かされた制服を着たままの女性は、見るからに痩せていた。


 脂肪も、筋肉も、肉付きというものがほとんど感じられず、頬骨が浮き出ており目は窪んでいた。


「直感ね。あやかしの感じがしたわ。まあ、だいたい鬼救寺にまで来たということは、いろんな手を尽くしたけれど解決しなかったからだろうけれど」


 呼吸はしっかりとあった。


 薄い胸板に耳をつけると心臓の鼓動も聞こえた。


 だが、呼び掛けても揺さぶっても目を覚ますことのない女性に対して、沙夜子は右手を掲げて陣を展開した。


「連なる世界の間に境界を見つけた。だけどね、その輪郭は浮かばなかったのよ。力の弱いあやかしなのね。陣の中ですぐに消滅していった。すぐに女性は元の体に戻ったから、事情を聞いたわ。何を食べても鉄の味がするから食すことができなかったらしくて。原因はわからなかったけどあやかしもいなくなったしということで、帰ってもらったのだけれど」


 次の日、つまり今朝方また現れたのだ。同じように鬼救寺の前で倒れ込んで。


 同じようにすぐに陣を展開して、今度は詳しく事情を聞いた。


「原因は不明。異食の子のようにどこかへ行ったというような不審な点もなし。普通に学校生活を送っていた普通の高校生だった。だけどね、その鉄の味がするという症状に対して、その子は首を傾げて言っていたわ。本当に鉄なんだろうか、ってね」


 駅前に続く、大きな通りへ入っていく。


 目の前を通り過ぎていくバイクのテールランプが赤い線を揺らした。


「わかるでしょ? つまり、鉄じゃなくて血の味だったんじゃないかってこと」


 信号機が赤信号へと切り替わった。


 急にブレーキが踏まれ、沙夜子は助手席の窓の上にある取っ手をつかんだ。


「ちょっと! 危ないじゃない!」


「すみません!」


 鼓動がまた大きくなっていた。しかし急ブレーキを踏んだからではない。異常な事態に気がついたからだ。


 集中しなきゃ、と思いつつも脳が結論を導くのを急かして、頭の中でいろんな情報の断片をそして記憶を結び付けようとする。


 異食の少女は、どこかへ行って帰ってきた。だけど、鉄の味がするといった女性と、吉良のところへ相談に来た女性は、話を聞く限りでは怪異との接触点はない。


 これを別々の事象と捉えることはもちろんできる。だが、昨日、今日と連続して怪異が生じている点、それも食という同じ性質のものだという点を踏まえれば、同じあやかしによって引き起こされていると考える方が、自然だ。


「ちょ、吉良! 今のとこ曲がるんじゃなかったの?」


 言われて気がついたときにはもう遅かった。


 仕方なしに煌々こうこうと光るコンビニエンスストアの広い駐車場に入り、来た道を戻る。民家やアパート群を抜けた先に急に姿を現した病院は、「松森病院」。


 吉良や沙夜子とも連携し、あやかしが原因と見られる症状を有する患者も引き受けてくれるこの辺りでは唯一の病院だ。


 日中であれば満車に近いだだっ広い駐車場も、この時間帯では空いていた。


 入口に近い所に鬼救寺で見た月岡の黒い車が止められていることを発見した吉良は、そのままゆるゆるとタイヤを滑らせて車の横へと止めた。


 中からタバコを咥えたまま月岡が出てくる。


「遅せぇーよ」


「遅いって! 行き先も告げずにいなくなったのはあんたでしょ!」


 降りて早々、沙夜子は怒りをぶつけた。


 またもや喧嘩モードだ。心の中でため息を吐きつつ、吉良は大事になる前に仲裁に入った。


「病院なので静かにした方が。ここだと声も響きます」


「そうだな。言い争いをしている時間ももったいない」


 携帯灰皿にタバコを押し込むと、月岡は入口へと向かった。


 あやかしとも関連の深い精神科を始め、外科、小児科、産婦人科、各種内科など総合診療機能を有する松森病院は、南柳市の中でも突出した八階建ての大きさと広さを持つ。


 面会時間はまだ終わっておらず、等間隔に無機質に並ぶ窓からは多くの光が漏れ出ていた。


 夜の中にそびえ立つ姿は、ある種異様にも見える。


「先にアポは取っておいた。病院は何かとうるさいからな。あくまでも騒ぎを起こすな、と釘を刺されてしまったが、あんたら過去になんかやったのか?」


 沙夜子が首を横に振ったので吉良も合わせることにした。


 病院には何度もお世話になっている。記憶を振り返るだけであれこれと無理難題を押し付けてきた、そういう意味でお世話にはなってはいるが、それを月岡に話す必要はないと沙夜子は判断したのだろう。


「まあいい。どちらにしても揉め事は起こさないでくれ。俺まで巻き込まれるのはごめんだ」


 閑散としたエントランスロビーを抜けてエレベーターで最上階まで昇る。


 その間、誰一人として口を開く者はいなかった。


 月岡の吸ったタバコの臭いが徐々に狭い空間の中に広がり、充満していく。


 入院患者も利用する病院のエレベーターの動きは緩やかで、じれったいくらいゆっくりと上昇していく。


 ドアが開く。


 新鮮な空気を求めるかのように真っ先に沙夜子が薄緑一色の廊下へと出た。


 続いて月岡が足を踏み出し、大股で病室へと進んでいく。


「ここだ」


 ノックをすると、中から震えた声が返ってきた。月岡が勢いよく扉を開いた。 

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