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第3話 異食症

 視線を感じたのか、振り向いたのは男の方だ。色艶のある真っ黒な髪の毛を無造作に伸ばしている。


 体格は座っていてもわかるくらい筋骨隆々でシックなダークスーツを完璧と思わせるほど格好良く着こなしていた。


「……あんたは?」


「き、吉良伸也です。あやかし相談研──」


「ああ、あやかし研究所の所長か」


 苦手な相手だと直感した。


 初対面にも関わらず、ため口で話すことに全く躊躇がない。


 長い前髪の奥にある瞳は見えづらいが、自分を見定めるようにしっかりと向けられている。


 何よりもぶっきらぼうな野太い声が耳についた。


「丁度いい。今、鬼救寺の住職に話を聞いていたところだ。あやかし、についてな」


「あやかしについて?」


 餓鬼憑きについての話か。


 いや、それにしてもと吉良は眉をひそめた。


 話をするのならわかるけど、話を聞いていたとはどういうことだ?


「おい、突っ立てねぇでこっちへ来い」


 男は太い腕を上げて手招きをした。


 襖に半分顔が隠れて見えないが、沙夜子の目線が吉良へと動く。それを見た吉良は靴を脱ぐと、慌てて本堂へと早足で歩いていった。


 襖に手をかけて本堂に入ると、すぐさま沙夜子と目があった。


 久しぶりに会ったというのにほとんど印象が変わっていない。明るい茶髪に心を射抜くような切れ長の瞳、粉雪のような白く小さな顔。そして、同じくらい真白な作務衣のような着物。


「沙夜子さん……その衣装」


「久しぶりね吉良。そう、あんたにしては鋭いわね。今まさになのよ」


 沙夜子は疲れているのかぎこちない笑みを浮かべた。


 彼女が白いその衣装、白装束を着るときは限定されていた。


「なるほど。話から察するに縁起の悪そうなその服はを使うときに着るものなのか。確かに状況は不可解だしな」


 沙夜子の視線が男に向かう。


 つくった笑顔は消え去り、深刻そうな表情に変わる。


 男は曖昧な微笑を返すと、ボリボリと頭を掻いて話を続ける。


「今も、吉良とか言ったか。あんたが来る前にも話をしたんだが、本当はこんなところに来るのはしゃくなんだ。あやかしだの怪異だの、俺には何の興味も関係もない。だからさっさと終わらせてほしいんだよ、この事件をな」


 事件、というその一言を聞いて吉良は事態を理解した。


 この仕事をしている者の中であやかしが関わる問題を事件と呼ぶ者はいない。


 そこにはどうしても、犯罪の匂いがするからだ。


 男は胸ポケットから名刺を取り出すと吉良に投げつけた。翻った単調な名刺を両手で受け取り確認する。


「南柳警察署生活安全部あやかし対策・相談課の月岡だ」


「あやかし対策・相談課?」


 まるで聞いたことのない名だ。仕事の関係上、何度も警察と接触する機会はあったが、そのような機関の名称は知らない。


「新設されたんだよ。法律に則ってな。だけどな、あんたも知ってるだろうが誰がそんなところに行きたがる? 変わり者か、無理矢理異動させられたかのどちらかだ」


「そしてあんたは、後者と言うわけね。会って早々喧嘩を吹っ掛けるなんて、やる気あんの?」


 入ってきたときの雰囲気の悪さはこれだったか。


 経験上吉良は知っている。強気な者同士が反発し合えば、お互いに一歩も引くことがなく収拾がつかなくなることを。


「上の方もそう思ったから俺をこんなところに異動させたんだろうよ。だが良い部分もある。課には今、俺一人しかいない。自由にやらせてもらえるのはありがたいね」


「あの……」


「一人しかいない? 可哀想。だから自分一人じゃ何もできなくて来たくもないこんなところに相談に来たのね?」


「ええっと……」


「それが警察の方針ってことだよ。あやかしなんかに回せる人手も金も全然無いってこと」


「それで……」


「警察なんかに加わってもらう必要はないわ。あやかしを犯罪者として取り締まることしか考えていないような──」


「あの! それより話というのはなんなんですか?」


 今にも取っ組み合いを始めるのではないかと思うほどに睨み合う両者の間に割って入ると、吉良は話の矛先を戻そうと試みる。


 これも経験則からだが、言い争いを止めるのにはお互いの利害が一致しているところを突くのが一番だ。


「餓鬼憑きの話なんですよね。何か……あなた方の言うところの事件が起こったんですか?」


「餓鬼憑き? なんだそれは?」


 鷹のような鋭い目が見上げた。近くで見ると凄みすら感じられる野性味溢れる瞳だ。吉良は思わず、目を逸らしてしまった。


「とにかく事件の内容を説明する。原因の特定だとか解釈はそっちに任せる。専門家の方がお詳しいだろうからな」


「……お願いします」


 月岡は名刺が入っていたところと同じ胸ポケットから使い古した手帳を取り出すと、指でページを捲りながら説明を始めた。


「事件は今日の深夜0時。最初は行方不明の訴えだった。だが、実際には該当の人物は在宅中。被害者と言っていいのかわからないが、まあ便宜上被害者としておくか。名前は内田うちだ紗奈さな


 最初からさっぱりわからなかった。


 話だけ聞くと「行方不明者が家にいた」という意味が通らない話になるが、その意味の通らなさが逆にあやかしの存在を浮き彫りにする。


 明確な因果関係があるのなら、それは一般の事件に該当するからだ。


「交番に夫婦と思われる男女が相談に来た。顔面蒼白、思い詰めたような顔をしていた。夫婦の訴えはこうだ。『娘の、中身が違う』と。娘の中身がいなくなった、攫われたのではと」


 吉良と沙夜子はお互いの顔を見合わせた。


 沙夜子が問いかけるように首を傾けるが、吉良は即座に首を横に振る。現時点ではさっぱりわからなかった。


 吉良が、い草の匂いのする畳の上に座ると同時に月岡が説明を続ける。


「当直の警官が家に向かうと、明かりもつけずに真っ暗だったそうだ。家族の案内で2階の娘の部屋に上がると、娘はいた。だが、異常な状態だった。これは最初に見たこの警官の印象だが、家族の訴え通りだった、と」


 つまりそれは、第三者から見ても「中身が違う」と思わざるを得ない状況だということ。 


 通常、正常か異常かの判断は難しい。


 依頼人だってそうだ。


 話に耳を傾けて、何度も何度もじっくりと話を聴くことによってようやく異常さが見えてくる。


 最初から、一見してすぐに異常だとわかるということは、一般的な常識を遥かに超えた状態だったということ。


「暗闇の中だからな。最初は何が起きているのかわからなかったんだが、音だけがずっと聞こえていた」


「音?」


「咀嚼音だ。何かを食べているのはすぐに想像がついた。だが、音がおかしい。今まで聞いたことのないような音が咀嚼音に混じって聞こえてきた。その音のためにしばらく、部屋の明かりをつけるのも躊躇っていたのだが、そのうちにだんだんと目が暗闇に慣れていってしまった。咀嚼音も終わらず、不気味な音も止まない。明らかな異常を感じたんだろう。壁に設置されたスイッチを押すと、娘は食べていた。食べ物ではない。通常、食べる物じゃないと言った方がいいかもしれない。13歳のまだ幼い顔のその娘は、ボールペンを食べていた。いや、それだけじゃない。よく見れば部屋のあちこちが物で散乱していた」


「ボールペン以外の物も食べていたということ?」


 沙夜子の質問に頷くと、月岡はページをペラペラと捲った。


「胃からの摘出物の一覧をまとめている。ティッシュ、紙類、鉛筆、シャープペンの芯。娘は中学生なのだが、教科書やノートをちぎって食べていたようだ。それから庭から持ってきたらしい大量の土や石、プラスチック類や貯金箱に入っていた硬貨も散らばっていた。あと、これはどこで口に入ったのかは不明だが、煤けた、焦げたような紙片におそらく熱で変形したガラス片も含まれていた。娘はすぐに病院へ連れて行かれて現在入院中。原因は不明」


 並べられた情報をエピソードとして頭の中に浮かべ、異食症か、と吉良は思った。


 同時にまた疑問も生まれる。


 確かに明らかな異常ではあるし、人格が変わったようにも思える。だがそれは異食症の症状であり、通常ならば病院に行くはずだ。


 娘の中身が行方不明になったと交番へ駆け込む理由が判然としない。


 吉良の問い掛けに答えるように、月岡は気だるそうに首に手を当てながらさらに話を続けた。


「摘出物はともかく、最も重要な問題は冒頭の奇妙な訴えだ。理由がある。娘は、その前日学校へ行ったきり全然帰ってこなかったようだ。心配した親は学校やクラスメートに連絡したが全く行方がわからない。ところがその日の遅く、深夜に自分の足で帰宅した。帰ってきたはずの娘は、もうすでにそういう状態だったらしい」

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