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餓鬼憑きあるいはヒダル神による一怪異
フクロウ
ホラー怪談
2024年08月25日
公開日
70,271文字
連載中
3年前に「あやかし保護法」が制定され、人間とあやかしの共存が曲がりなりにも決定した。

しかし、人と違う力をもったあやかしは社会から弾かれ、あやかしの一部もまた人に害を及ぼし続ける──。

あやかし研究所の吉良伸也の元に現れた相談者は、「食の異常」を抱えていた。

背景にあやかしの存在を仮定した吉良は、原因究明に乗り出すが爆発的に同じ症状の人間が増えていく。

吉良は、警察に新設されたあやかし対策・相談課の月岡刑事とともに一連の現象の背後にある事件に迫っていく。

第1話 餓鬼あるいはヒダル神

「さっさと原因を特定しなさい! 吉良!!」


「わかっ、わかっています! だけど、どうしたらいいかわからないんですよ!! 沙夜子さん!!!」


 盛大な音が鳴った。


 決して小さくはない空間だった。


 ふすまで区切られた畳張りの本堂は、他の寺社と比べると劣るかもしれないとはいえ客人が座る外陣げじんだけで四間はあるというのに、本尊ほんぞんである千手観音像の前はすでに人、人、人で埋め尽くされていた。


 そのせいで普段は線香の匂いが絶えないどこか閉鎖的な空気が、吐き気を催すほどの異様な熱気に包まれてしまっていた。


「今は、あんただけが頼りなのよ。わかってるでしょ!? 私のわざでは一人ずつしか対処できない! 吉良、あんたが原因を特定できなければこのまま混乱が広がっていくだけ!!」


 吐き気を催すのは空気のせいばかりではない。


 眼前に広がる光景を見ていれば、おそらくはよほど免疫のある者以外は少なからず胃の辺りに込み上げるような圧迫感を覚えるだろう。


 次から次へと押し寄せる人全てが同様の姿態したいを呈しているからだ。


 もはやは骸骨と相違なかった。


 頬はこけ、肉はこそぎ取られ、窪んだひとみだけが生気を感じさせる鈍い光を発していた。


 骨の上に皮が張り付き、その上にまとったブカブカの衣服が、辛うじて人間を装っている。


 また、盛大な音が一斉に鳴り響く。


 それが合図かのようにその場にいた全員が呻き声とともに風に飛ばされていきそうな細枝に似た腕を上げた。


 救いを求める全ての人間を漏らさず救済しようとする千手観音にすがるように。


「わかりました。わかっているんです。だけどこんなこと! だって『餓鬼がき』かあるいは『ヒダル神』がこの全員に取り憑いたって言うんですか?」


 歴史をさかのぼれば珍しくはない症例と言える。


 食糧供給が不足しがちだった古くから存在していた餓鬼と呼ばれる妖怪に取り憑かれると、食べても食べても極度の飢餓状態が続く身体へと変化してしまう。


 「餓鬼憑き」は、ここ数年の学際領域の縦断的研究により、神経性無食欲症──いわゆる拒食症や過度なダイエットの原因の一つの可能性があると指摘されている。


 一斉に空気を振動させたあの音は、空腹時にお腹の鳴るそれだった。


「そんなのわかるわけないじゃない! だけどよく見て!」


 細長い形のいい白い手がそれの額に触れた。


 瞬間、今にも椅子から転げ落ちそうなほどに前のめりに歪んでいた女性の骨が真直ぐに伸びて、まるで風船に空気を入れたように身体が頬が膨らんでいく。


 取り憑いていた餓鬼が消え去り、肉が元の状態へと戻っていったのだ。


「ほら! これは明らかにあやかしの仕業よ!」


「そうなんだ。そうなんだけど……」


 茶色がかった切れ長の黒い瞳に睨まれて、吉良はついには頭を抱えてしまった。


 こんなこと普通なら起こりえないんだ。餓鬼がこんなに発生するわけが──。


 けたたましいサイレンの音に突然思考は途絶される。


 吉良は、壊れるのではないかと思うほど勢いよく開けられた襖の方を見た。


「死にました! 亡くなりました! 一人死亡が確認されました!!」


 異様な空気に突き刺さる怯えた声は、はっきりとそう告げた。


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