カーニャ国の第四王子ギル殿下も探してくれているが、これ以上の兵の動員は見込めない。
それもそのはず、王宮主催の舞踏会で他国の聖女が攫われたなど
ひとつ間違えれば、カーニャ国とゼルセラ神聖国は戦争になりかねない。だが、その聖女を誘拐した犯人がゼルセラ神聖国の第三王子オグマートである可能性が高いことが事態をよりややこしくしている。
俺はカーニャ国の王族の許可を得て、ゼルセラ神聖国側に出る門を封鎖しながら昨晩のことを激しく後悔していた。
エステルと別れてオグマートと思われる人物に会いに行ったときのこと。
『罪人を
別室に残して来たエステルが心配だったが、罪人に会わせるほうがもっと心配だったので仕方ない。
そんな私を見てギル殿下は笑う。
「そう心配するな、公爵。聖女の見張りは、腕が立つ者をつけている。安心してくれ」
「そうですか……」
フィン殿下も「大丈夫ですよ。カーニャ国にも優秀な騎士はたくさんいますから!」と励ましてくれた。
でも、それでも心配なのだから仕方ない。さっさと終わらせてエステルの元に戻ろう。そんなことを考えていると、ようやく目的の場所についた。
そこは牢獄ではなく、王宮内の普通の部屋だった。
ギル殿下が「おかしいな、部屋の前に配置した騎士がいない」と言ったので、俺は急いで部屋の扉を開けた。
部屋の中では、血を流した騎士が四人倒れていた。そのうちの一人に駆け寄り声をかける。
「大丈夫か!?」
「……うっ」
まだ息はある。騎士は正面から切られていた。背後からの不意打ちではないので、ここに閉じ込められていた罪人は、一度に騎士を四人相手にして倒したということになる。
そうとうな
ギル殿下は、「バカな、武器は取り上げていたのにどうやって!?」と叫んでいるが、武器なんてなければ敵から奪うなり、代わりのものを代用して武器にするなりと、どうにでもなる。
「罪人はどこに?」
俺の問いに傷ついた騎士は、窓のほうを指さす。部屋の窓は開け放たれて、カーテンがゆらゆらとゆれていた。
逃げたのか? いや、逃げるだけだったら、どうしてわざわざ王宮に忍び込んだ?
何が目的なんだと思ったと同時に、俺の脳裏にエステルの顔が浮かんだ。
もし、ここに捕えられていたのが、本当にオグマートだった場合、目的はエステルの可能性が高い。
なぜなら、自らエステルと婚約破棄をしてフリーベイン領に送ったのに、その後、手紙で何度もエステルに王都に戻るようにと指示が来ていた。
その手紙の内容があまりに自分勝手だったので、オグマートからの手紙はエステルには見せずにすべて燃やした。一度も返事などしていないのに、それでも手紙は届き続けたが、ある日、パタリと手紙は途絶えた。だから、ようやくエステルのことをあきらめたと思っていた。
嫌な予感がする。心配性でも過保護でもなんでもいい。とにかく今すぐエステルの無事を確認したい。
「エステルの元に戻ります!」
俺が勢いよく立ち上がると、ギル殿下は俺たちの後ろを付いてきていた騎士に命令した。
「公爵を急ぎ聖女様の元に案内しろ!」
「はっ!」
騎士の案内でエステルの元へと走っていると、王宮内が騒がしくなってきた。近くにいたメイドを捕まえて話を聞く。
「何があった!?」
「そ、それが……聖女様のお部屋から悲鳴が」
一瞬で血の気が引いた。エステル、どうか無事でいてくれ!
神に祈る気持ちでエステルがいるはずの部屋に飛び込むと、そこにエステルはいなかった。代わりに扉の前で護衛をしていた騎士たちが倒れている。
窓が開いていた。バルコニーに出ると、黒い人影が城門のほうへ駆けていくのが見える。明かりの横を通るときに、たしかに真っ赤なドレスが見えた。
「エステル!」
俺はそのままバルコニーから飛び降りた。近くにあった木の枝を足場にして、もう一度飛び上がる。
地面に着地すると、人影を見失っていた。王宮庭園内は、あまりにも広く暗すぎる。
俺はフリーベイン領の騎士たちが控えている馬車置き場まで走った。
いち早く俺の姿を見つけたキリアが「閣下? エステル様は?」と駆け寄ってくる。
「エステルが
騎士の一人が馬を引いて俺に手綱を渡す。
「キリア、フィン殿下に街から出る門を封鎖する許可をもらえ!」
「はいっ!」
「俺は門へ向かう! 後の者は俺に続け!」
「はっ!」
一斉にフリーベインの騎士たちは馬にまたがる。
エステル、どうか無事でいてくれ。
祈りながら王宮の門を駆け抜けていく。
いつもは固く閉ざされた城門も、今日ばかりは開け放たれていた。念のため門番も立っているが、飾りのようなもの。
「くそっ! 俺がエステルの側を離れたから……」
自責と後悔で押しつぶされそうになる。
街の外に出る門までたどりついた。
驚く門番たちにここ数時間で、外に出た者はいないか聞くと「いない」という返事が返ってくる。
カーニャ国から外に出るには、必ずこの門を通らないといけない。だから、エステルはまだ国外に連れ出されていない。
最悪の事態は免れたようだ。
俺はフリーベイン領の騎士たちに命じて情報を集めさせた。
「金ならいくら払ってもいい! 赤いドレスを着た女性を連れた不審者の情報を集めろ!」
「はっ!」
瞬時に散っていく騎士たちの背中を見送り、俺はようやく息を吐いた。
夜が明け空が白くなりだしても、エステルは見つからない。
ギル殿下が門までやってきた。
「聖女は?」
「まだ見つかっていません」
「私兵を貸そう。好きに使ってくれ」
「では、殿下の名のもとに宿内を調べる許可をください。私兵にも、赤いドレスを着た女性を連れた客がいないか徹底的に探すようにご指示を。宿にいなければ空き家や廃墟も」
「いいだろう」
ギル殿下が右手をふると、私兵たちはそれぞれ街中に消えていく。
どれくらい時間がたったのだろうか。
キリアが俺の元に駆け込んできた。
「閣下!」
顔面蒼白のキリアが差し出したものは、深紅のドレスだった。それはエステルが着ていたもので……。
「宿の
「客の特徴は?」
「フードを深くかぶっていて顔はわからないけど、若い男だったそうです。一人で泊っていたのに、宿から出るときはとても綺麗な女性を連れていたと」
キリアから手渡されたドレスは無残にも刃物で切り裂かれていた。両手がふるえ、吐き気が込みあがる。胸がひどく痛んだ。
「……オグマート、殺してやる」
「か、閣下……お顔が……」
キリアに言われて自分の顔にふれると、ふれた手に黒いモヤがまとわりつく。
「き、消えたはずの黒文様が、どうして閣下のお顔に?」
「そんなことはどうでもいい。今重要なことは、エステルが生きているということだ。キリア、よくやった! エステルを必ず見つけ出すぞ!」
「は、はい!」
何がなんでも見つけ出す、そう意気込んだところで、フードを被った男がまっすぐ門に向かって歩いてきた。
門番が「とまれ! この門は封鎖されている!」と叫んでも立ち止まらない。
門番が剣をぬいて男に突きつけると、男はようやく立ち止まった。かと思うと、あっという間に門番を組み伏して剣を奪う。
あれは市場でエステルにふれようとしたフードの男だ。かなり腕が立つ。おそらくオグマートだ。
門番たちでは相手にならず足止めすらできない。
俺はキリアに耳打ちした。
「周囲にエステルがいないか探せ」
「はい!」
かけていくキリア。俺は腰の剣を抜き放った。
「止まれ」
「嫌だと言ったら?」
切りかかってきたフードの男の剣を弾く。
よろめいた男の首元を切りつけた。フードが切れて男の顔がさらされる。
金色の髪に青い瞳。オグマートの顔なんて知らないが、この男はとてもじゃないが平民には見えない。
「オグマートだな?」
「そういうお前は、フリーベイン公爵か?」
「エステルはどこだ」
オグマートはフッと鼻で笑う。
「ちょうど良かった。エステルはもうお前の婚約者ではない。私の妻になる女だ」
「エステルはどこだ」
「うるさい! お前ごときに、この私が倒せるとでも……」
俺はもう一度、オグマートの首元を切りつけた。
薄く切れた首元から血がにじむ。
「は?」
「エステルはどこだ」
「ちょっと、待て」
今度はオグマートの手の甲を
「いっ!?」
剣を取り落としたオグマートに、剣先を突きつける。
「エステルはどこだと聞いている」
「あ、あれ?」
「早く答えろ。死にたいのか?」
「いや、私は強いのに? 魔物だって余裕で倒せるのに? な、なんなんだお前、強すぎだろ!?」
わけのわからないことを言い、いつまでたっても問いに答えないオグマート。
「そうか、わかった。死にたいんだな」
俺がオグマートの頭上に剣を掲げた瞬間。
「ダ、ダメですよ、アレク様! お気持ちはわかりますけど、こんなんでも、この人は大聖女様に選ばれた……」
目の前に、何をしてでも、会いたかった人がいる。
「エス、テル?」
「あ、はい。あれ? アレク様、お顔に黒文様が――」
俺は剣を投げ捨ててエステルを抱きしめた。
……良かった。
エステルが生きてて良かった。
胸が詰まって言葉にならない。
声の代わりに涙がにじんだ。
「……すまない、守ってやれなくて」
「アレク様……」
ハッと我に返った俺は、腕の中のエステルの顔を覗き込む。
「大丈夫か? ケガは?」
「私は大丈夫です!」
エステルは、「しばらく待ってろって言われて、縛られて閉じ込められていたんですけど、キリアが助けてくれました」とニコリと微笑む。
オグマートを見ると、俺の剣を拾ったが、その重さによろめいていたので、とりあえず殴って気を失わせておいた。
オグマートをギル殿下に任せるとまた逃げられる可能性があるので、フリーベイン領の騎士たちに拘束させて連れていく。
「ギル殿下、ご協力感謝します」
「いや、こちらの失態でもある。この件は……」
「わかっています。我らこそ、我が国の者が申し訳ありませんでした」
お互いに視線を交わし、これ以上問題にしないことにする。
俺はエステルさえ無事ならばそれでいい。
「戻ろう」
馬にまたがると、エステルの腕をひいて馬上に引き上げる。
疲れた表情のエステルは俺に身を預けてきた。
「エステル、本当に大丈夫なのか?」
「はい、私は大丈夫ですよ、だいじょうぶ……」
エステルの声がふるえた。
「ほ、本当は……怖かった、です。も、もうアレク様や皆に会えないのかと」
静かに涙を流すエステルを俺は強く抱きしめた。