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30 オグマートという人物

 ――ゼルセラ神聖国は、数年後に戻って来た夫が、地下で祈り続ける私を見守るためにおこした国なのです。


 大聖女様の言葉を聞いて、私は思い当たることがあった。


 王都の神殿で私が聖女をしていたとき、毎日祈って邪気を浄化しても王都の邪気は増えていく一方だった。


「そう、そうだったのね……。王都は元から邪気が集まる場所だったんだわ」


 今まで大聖女様が地下の神殿で浄化してくれていたから問題なく暮らせていたけど、大聖女様の力が衰えた今、少しずつ王都に邪気があふれでてしまっているのかもしれない。


「では、ゼルセラ神聖国の王族は、英雄の子孫……?」


 私のつぶやきに大聖女様は『いいえ』と答えた。


 ――夫は国をおこし英雄と称えられましたが、王位は別の者に譲りました。でも、私はゼルセラ神聖国の民を、私たちの子だと思い見守ってきましたよ。


 大聖女様は私の頭をなでてくれた。黒文様まみれのその手はとても温かい。


 やっぱり大聖女様をこのままにしておけない。そして、アレク様だって不幸にしたくない。


 大聖女様のお話を聞いてようやくわかった。だれかが犠牲にならないと保てない平和なんて間違っているわ。必ずもっといい解決方法があるはず。私だけでは思いつかなくても、他の人たちの意見を聞いたら何か思つくかもしれない。


「……わかりました。皆が幸せになれる方法を必ず見つけてみせます。そして、大聖女様に会いに行きますね! だから、それまで待っていてください!」


 私はとびっきりの笑みを浮かべた。


 ――エステル……。


 ほんの少しだけ大聖女様は微笑んでくれたように見えた。


 **


 目が覚めると私は簡素なベッドの上で横になっていた。薄汚れたカーテンの隙間から光が漏れている。


 私が気を失っている間に夜が明け、朝になってしまったみたい。


 この部屋は、王都で聖女をしていたときに神殿内で私に与えられていた部屋によく似ていた。だから一瞬、今までのことはすべて夢だったのでは?と思ったけど、私が身にまとっている鮮やかな赤いドレスが夢ではないと教えてくれる。


「……ここは?」


 部屋の中にはだれもいない。家具もほとんどなくヒビ割れた鏡が壁にかかっていた。


 部屋の扉が乱暴に開いた。そこにはオグマートが立っていて、私を見るなり目を鋭くする。


「エステル、どういうことだ!?」


 オグマートはヒビ割れた鏡を壁から取ると、私の顔に突きつけた。


 鏡に映る私の唇に、黒文様が浮かんでいる。


 これは……夢の中で大聖女様がふれた個所に、また黒文様が浮かんでいるんだわ。自分自身を浄化するとすぐに消えるけど、オグマートはそのことを知らない。


「せっかく美しくなったのに! もちろん消せるよな!?」


 なんて答えるのが正解なの? 戸惑う私にオグマートは冷たく言い放つ。


「……消せないのなら、お前の扱いを変えないとな」


 残忍そうな声に背筋がこおる。このままじゃ何をされるかわからない。オグマートが私をさらった目的がわかるまでは、言うことを聞いておいたほうがいい。


「……消せます」

「やってみろ」


 言われるままに大聖女様に祈りを捧げ自分自身を浄化する。


 私をにらみつけていたオグマートの表情がほころんだ。


「すごいぞ、さすが本物の聖女! 偽物の聖女マリアとは大違いだ!」

「マリア様が偽物……?」

「ああ、そうだ! あの女は聖女を名乗りながら、大した力を持っていなかった。しかも、地位と外見だけの心が醜い女だった」


 吐き捨てるようにそう言ったオグマートは、私の左手首をつかんだ。


「だが、エステルは違う! 強い聖女の力を持ち、なにより心が美しい! それだけでも良かったのに……」


 オグマートの表情がうっとりとする。


「こんなに美しくなるなんて完璧だ」


 ほめられているのに、少しも嬉しくない。


「オグマート……殿下は、マリア様と婚約されているのでは?」

「だれがあんな女と! 私の婚約者はエステルだけだ」


 私は信じられない気持ちでオグマートを見つめた。


「殿下と私の婚約は破棄されています。殿下がはっきりと婚約破棄だとおっしゃったではないですか!」

「あれは取り消す」


 そういうオグマートは少しも悪びれた様子がない。


「私はアレク様……フリーベイン公爵様の婚約者です!」


「だが、また婚姻はしていない。公爵との婚約を白紙に戻して、私とまた婚約すればいい。そうすれば、すべてが元通りだ」


 自分勝手な言い分に開いた口がふさがらない。


「エステル……」


 そうささやきながら髪をなでられた。アレク様になでられたときとぜんぜん違う。怖いし気持ち悪くて仕方ない。


「そんなにおびえるな。王族の花嫁は清らかな身体でないといけないからな。式を挙げるまでは決して手出ししない」

「花嫁? では、殿下は私を殿下の妻にするためにここまで連れて来たとでも言うんですか?」

「さっきからずっとそう言っているではないか」


 ウソをついているような顔じゃない。全身から力が抜けて、私の口から深いため息が出た。


 そんなことのために、カーニャ国の王宮に忍び込み、騎士たちを切りつけたなんて信じられない。でも、私に危害を加えるつもりはないと聞いて安心した。


 ようするに、オグマートは私の聖女の力を手に入れるのが目的なのね。黒文様が消えてるから、ついでに嫁にしてやるってところかしら? だったら、殺されることもないわね。


「……殿下、いろいろ言いたいことはありますが、今はそれどころではありません。殿下の身体にも黒文様が現れていますね?」

「ああ、なぜ知っている?」


 オグマートは、着ているシャツを脱いだ。その身体は日に焼けて鍛えられている。


 あれ? オグマートってこんな感じだったかしら?


 前はもっとヒョロヒョロしていたし、肌も真っ白でお上品で偉そうな王子様という感じだったような?


 混乱しながらも私はオグマートの腰あたりに広がる黒文様を確認した。


 やっぱりオグマートが大聖女様に選ばれた三人目なのね。わかっていたけど納得できない。


「エステル、これも消せるのか?」

「あ、はい」


 私は祈りを捧げてオグマートを浄化した。アレク様ほどひどくなかったので、黒文様はすぐに薄れて消えていく。でも、私やアレク様と同じように一か所だけ黒文様が残った。


「素晴らしい! だが、まだすべて消えていないぞ」

「これは消せません」

「どうしてだ?」

「わかりません、私にも残っていますから」


 私はドレスの飾りを外して黒文様を見せた。これを見せることで、やっぱり嫁にはしないで聖女の力だけほしいとか言わないかな。


 オグマートに愛をささやかれても少しも嬉しくない。


 私の肩をじっと見つめたオグマートは、「まぁそれくらいなら」と黒文様を許容した。


「私にも残るのなら、それくらいは許してやろう」


 いや、許してくれなくていいから!?


 その言葉をグッと飲み込んだ私に、オグマートは「着替えろ」と女性ものの服と靴を投げつけた。そういえば、前に黒いベールも投げつけられたことがあったわね。


 あのときは、そんな扱いをされても仕方がないと思っていた。でも、フリーベイン領で大切にしてもらった私は、この扱いがひどいものなのだと今ならわかる。


 こんな扱いをしてくる人の妻になるなんて絶対に嫌だった。でも、ドレスとヒールの高い靴のままではオグマートから逃げることもできないので、大人しく着替えることにした。


 でも、ドレスってどうやって脱ぐの?


 数人がかりで着させてもらったものを、一人でぬげるものなのかしら?


 というか、オグマートはどうして部屋の外に出ないの? 私が着替えている間、そこにいるつもりなの?


 さっさと着替えない私に腹が立ったのか、オグマートが近づいてきた。


「後ろを向け」


 言われるままに後ろを向くと、布が引き裂かれる音がする。


「な、何を!?」


 オグマートはナイフを手に持っていた。


「一人で脱げないのだろう? 手伝ってやる」


 抵抗する間もなく私は壁に押し付けられ、ドレスの背中が切り裂かれていく。


「や、やめて!」


 このドレスは、とても大切なものなのに。


 フリーベイン領のメイド達が選んでくれて、服飾士が私のために丁寧に仕上げてくれた。とても、とても大切なドレスだった。


「ほら、脱げたぞ。さっさと着替えろ」


 無残に切り裂かれたドレスを見て涙があふれる。


「ひどい……」


 私の言葉を鼻で笑ったオグマートは、「そんなものより、もっと良いドレスをこれからいくらでも贈ってやる」と少しも悪びれない。


 大聖女様は、選んだ三人で世界のことわりを決めてほしいと言っていたけど、こんな人と話し合いなんてできる気がしない。


 とにかく、ここから逃げてアレク様と合流しないと。


 涙をふいた私は急いで着替えた。飾り気のないワンピースに歩きやすそうなブーツを履く。これなら走って逃げることだってできる。


「……着替えました。これからどうするんですか?」


 オグマートはナイフをポケットにしまい、部屋の隅に置いていた荷物を抱えた。


「国に帰る」

「ゼルセラ神聖国に?」

「そうだ。それ以外どこがある?」

「でも……。王宮に忍び込んで私をさらったのだから、今ごろ国中大騒ぎになっているのでは?」


 クッとオグマートは笑った。


「カーニャ国の王族が、王宮主催の舞踏会で聖女が誘拐されたなんて失態を公言するわけないだろう? まぁ今ごろ血眼になって探しているだろうがな」


「私たちを探しているのなら、門は閉ざされているのでは?」

「そうだろうな。だが、安心しろ。私なら正面突破できる!」


 自信満々なオグマートを見て、私は思った。


 この人……もしかして、状況を正しく判断したり、深く物事を考えたりすることが苦手なのでは?


 ものすごく短絡的な思考なのに、今まで王族だからなんとかなっていたとしか思えない。そして、今はすべてを力技で解決しようとしている。


 私の脳裏にこんな言葉がよぎった。


 脳筋のうきん……。


 ちなみに脳筋とは、「脳みそまで筋肉」という意味で、考えるよりも先に体を動かしてしまう人のことをいうらしい。


 あまり良い言葉ではないけど、貧乏貴族の私たちは領民とも親しくしていたので、こういう言葉を聞くことがあった。


 オグマートを脳筋と仮定すると、今までのすべての行動が説明できてしまう。


 急すぎる婚約破棄も、王宮への不法侵入も、騎士を切りつけたのも、勝手すぎる再婚約の提案も。


 この人、自分が行動した結果、どうなるのか、相手がどう思うのかとか、何も考えていないんだわ……。深く考える前に、思いついた時点で実行してしまっている。


「行くぞ、エステル!」


 はりきるオグマートに手を引かれながら、今までオグマートに感じていた底知れない恐怖が、私の中であきれへと変わっていくのを感じた。

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