次の日。
私とアレク様は目立たないようにカーニャ国の平民服に着替えて街へと繰り出すことにした。
カーニャ国は、地形の関係で私たちの国より少し気温が高い。なので、平民服も薄着になっている。
予想はしていたけど、軽装のアレク様はすごかった。いつもはビシッと貴族服や騎士服を着ているアレク様が、今はラフな半袖白シャツと長ズボン姿になっている。
アレク様! 胸元についているひもはもっとしっかりしめてください、目のやりどころに困ります。
なんですか、そのたくましい腕は!
心の中で叫んだあとに、私はフゥとため息をついた。薄いシャツ一枚では、アレク様の魅力は隠しきれない。
ただでさえ顔が整っているのに身体まで鍛えたら、それはもう完璧じゃないですか!
私が幸せを噛みしめていると、アレク様は熱に浮かされているような顔で私を見ていた。
「エステル。その服、とても似合っているのだが、腕や足が……その、少し肌が出過ぎではないだろうか?」
たしかに私の来ている平民服も半袖で、スカート丈が膝までしかない。こんなに手足が出る服を着たのははじめてだった。
「でもこれがこの国の一般的な平民服らしいですよ?」
「そ、そうか。ならば仕方あるまい」
コホンと咳払いしたアレク様は「エステル、街では決して俺の側を離れないように」と小さな子どもにするような注意をした。
そういえば、最近、アレク様はよく頭をなでてくれる。もしかして私、子ども扱いされているの!?
嫌じゃないけど、ちょっとドキドキしてしまうので、やめてほしい……。
「さぁ行こう、エステル」
差し出されたアレク様の手に、遠慮がちに自分の手を重ねる。
デートといってももちろん公爵のアレク様と二人きりでお出かけするわけではない。
私たちから少し離れたところには、私服を着た護衛の騎士たちが五人いる。その中にはもちろんキリアも含まれていた。
馬車に乗ってしばらくすると、街の中心部についた。人ごみを避けて朝早くから出かけたけど、街は活気にあふれている。
行きかう人々がみんなアレク様を見ていた。
わかります。美青年は見ているだけで幸せな気分になりますよね。そんな視線をアレク様はまったく気にしていない。
「
「はい」
歩き出したアレク様の手は、私の手をしっかりと握っている。
そんなにずっと握っていなくても迷子になりませんよ、と言おうとしたけど、予想以上に人が多いのでやめた。もし迷子にでもなったら目も当てられない。
野菜や果物から日用品までいろんな出店が並んでいた。
「わぁすごい……」
果物の出店の前でアレク様は立ち止まった。そこでは、その場で果汁をしぼったいろんな種類のジュースが売られている。
「エステル。りんごジュースがあるぞ。飲むか?」
「はい、飲みます! えっと、でもどうしてリンゴジュース限定なんですか?」
りんごジュースもおいしいけど、他のものもおいしそう。
目を見開いたアレク様は、「エステルは、りんごが好きなのかと思っていた」とつぶやく。
「ほら、前に馬車の中でりんご売りの親子の話をしていたから」
「あっ! そういえば、そんな話をしましたね」
あんなに何気ない私の話を覚えていてくれたなんて……。
アレク様の気遣いに感動してしまう。
「りんご好きですよ!」
アレク様が買ってくれたりんごジュースは、とてもおいしかった。
「アレク様はなんの果物が好きですか?」
「果物は特に」
「じゃあ、好きな食べ物はなんですか?」
少し悩んだアレク様は「肉だな」と答えた。
「いいですね、お肉おいしいですよね!」
お肉を売っている出店を見つけたら、アレク様と一緒に食べようっと。
辺りをキョロキョロしていると、人ごみの向こうに『串』と書かれた看板が見えた。あそこならお肉も売っているかもしれない。
「アレク様、あそこに――」
そのとたんにアレク様が私の手を引いた。飲みかけのりんごジュースが私の手から落ちて、地面にカップが転がる。
「あっ」
私を守るように抱きしめたアレク様は、パンッと何かを叩きおとした。
「え?」
私の視界いっぱいにアレク様の胸板が広がっていて、何がおこっているのかわからない。
アレク様の低く怖い声が聞こえる。
「なんのつもりだ」
アレク様の視線を追うと、フードを深くかぶった男性をにらみつけていた。
「今、彼女にふれようとしたな?」
フードの男はふれようとしたその手をアレク様に叩き落とされたようで、痛そうに押さえている。
キリアや他の騎士達が、フードの男の周りを取り囲んだ。
「帯剣しているぞ。気をぬくな」
「はい!」
フードの男からチッと舌打ちが聞こえる。素早くしゃがみこんだフードの男は、驚く騎士達の隙をついて走り去った。
「待て!」
そのあとを二人の騎士が追いかけていく。
「深追いはするな!」
そう騎士たちに命令するアレク様は、たぶん私の存在を忘れている。
さっきからずっと抱きしめられたままなんですけど!
身動きが取れなくてどうしたらいいのかわからない。
しばらくすると、ようやくアレク様は私のことを思いだしてくれた。
「大丈夫か? エステル」
抱きしめたままなので、顔が近すぎです!
「は、はい、なんとか……」
私はたぶん真っ赤になっていると思う。そこでようやくアレク様も気がついてくれたようで、「あ、すまない」と言って解放してくれた。
「緊急事態で、その。さっきの怪しい男がすれ違いざまに、あなたにふれようとしたんだ」
「そうだったんですね……」
「心当たりはあるか?」
「いえ」
聖女の力を狙って、とかならわかるけど、そもそも聖女である私の顔を知っている人自体が少ない。
なぜなら、聖女になってからは、ほとんど神殿にこもって暮らしていたし、顔に黒文様が出てからはずっと黒ベールで顔を隠していたから。
「私がはしゃいでいたから旅行者だとバレて、スリでもしようと思ったんですかね?」
「……そうだろうか」
しばらくすると、フードの男を追いかけていた二人の騎士が戻ってきた。
「フードの男を見失いました。申し訳ありません、閣下!」
「いや、不慣れな土地だからな。仕方あるまい」
そういったアレク様の顔は険しい。何か考え込むように腕を組んでいる。
「エステル、今日はこれで帰ろ――」
私はそっとアレク様の腕にふれた。
「あの、あそこにアレク様の好きなお肉が売っているかもしれませんよ? 行ってみませんか?」
アレク様は驚いた顔をしたあとに、いつもの優しい雰囲気に戻る。
「ああ、そうだな」
「せっかくのデートですから、楽しみましょう!」
「デート……そ、そうだった」
私たちは、離れてしまっていた手をもう一度つなぎ直した。