そのあとの私たちは、フィン様の案内で同じ建物内の客室へと案内された。
向かいのソファーにフィン様が座り、その後ろには腰に剣を帯びた護衛騎士が佇んでいる。
私もアレク様の左隣に座った。なんだかアレク様の隣に座ると居心地よく感じてしまう。
こちらを見るフィン様の瞳は、相変わらずキラキラと輝いていた。
「それで、何からお話ししましょうか?」
アレク様が私を見て小さくうなずく。私が聞きたいことを聞いて良いみたい。
「では、フィン様。邪気とはなんでしょうか?」
「邪気は、人の負の感情によって生まれたものだと言われています」
「負の感情?」
「はい、例えば怒り、悲しみ、嫉妬や不安などですね。それが長い間かけて溜まり邪気になる」
ということは、邪気に覆われていた私たちの国の王都は、負の感情にあふれていたということになるのね。
フィン様は言葉を続ける。
「さらに邪気が集まれば魔物になります」
「えっ? それは魔物が邪気からできているということでしょうか?」
「はい、そうです」
魔物は邪気を吸うと強くなることは知っていたけど、まさか邪気から魔物ができていたなんて。
「では、聖女ってなんですか?」
「聖女様は邪気を浄化できる者のことをいいます。しかし、聖女が生まれるのはあなた達の国ゼルセラ神聖国のみ。不思議ですよね」
今までそういうものだと思っていたけど、改めて言われるとたしかに不思議だった。
「エステル。聖女様の力は、大聖女様に祈りを捧げたのちに使えるようになるんですよね?」
「はい」
「でしたら、これはあくまで僕の仮説ですが、聖女様とは祈りを介して大聖女様の力を借りられる者のことをいうのではないかと……あっ」
フィン様が申し訳なさそうな顔をする
「すみません、エステルの力が借り物だといいたいわけではないのです」
「大丈夫ですよ、私のことはお気になさらず」
それにフィン様の仮説はすんなりと納得できてしまう。
たしかに言われてみれば聖女は自分の力を使うというより、もっと別の大きな力を借りているような気がしていた。
それが祈る先の大聖女様だと言われたら、それはそうね。としか言えない。
「フィン様。では、大聖女様とはなんなのでしょうか? 私たちの国では、大昔に大聖女様が私たちの国を救ってくれたと言われています。彼女はその偉業から、国の守り神として
「おおむね合っていますが、私が各地の伝承を調べたところでは、大聖女様は大陸中の邪気が集まりあふれ出す場所に、その身を捧げてこの地に平和をもたらしたと言われています」
「その身を捧げて、ですか?」
「はい。その場所で大聖女様が今も邪気を浄化し続けてくださっているから、この大陸ではめったに魔物がでないのだと」
「今も?」
驚く私にフィン様は「もちろん、そういう伝承です。実際に確かめた者はおりません」と教えてくれる。
「だから、僕たちの国では王族が代表して大聖女様への感謝の祈りを毎日捧げています」
「王族が、毎日……」
それは聖女の役目と同じだった。
「フィン様も聖女の力を使えるのですか?」
「そうだと良かったのですが」とフィン様は笑う。
「僕たちはいくら祈っても聖女様の力は使えません」
「では、どうしてカーニャ国の王族は、感謝の祈りを捧げるのですか?」
「それは、国内の邪気を減らすためです。邪気は負の感情によって生まれますが、
「正の感情というと、感謝や愛情や思いやりといったことでしょうか?」
「そうです、前向きで明るい気持ちになる心の動き全般のことですね」
「それが真実だとしたら……」
私はためらいながらも思ったことを口にした。
「本当は聖女なんて必要ないのでは?」
フィン様の眉が困ったように下がる。
「聖女様本人を前にして言うのはどうかと思いますが、その通りなのです。実際、ゼルセラ神聖国以外聖女様はいませんし、聖女様がいなくても私たちの国は成り立っていますから」
フィン様がいうには、数年に一度くらいカーニャ国にも魔物は出る。でもその魔物を倒すことで、国にたまった邪気を浄化しているという感覚らしい。
そして、魔物が出るたびに負の感情を抑えて、正の感情で生きていこうと人々は心を新たにしているとのこと。
今まで静かに話を聞いていたアレク様が口を開いた。
「殿下。エステルが言うには、我がフリーベイン領は邪気が少ないらしいのです。それなのに、頻繁に魔物がでている。それはどういうことなのでしょうか?」
「それは興味深いですね」
フィン様は考え込むように自身のあごに手をそえた。
「そういえば聖女に守られているはずの神聖国の王都に、最近になって頻繁に魔物が出ているとウワサを聞いています。しかし、魔物は王城だけを狙っているとか?」
「そうらしいです」
私が「何かわかりますか?」と尋ねると、フィン様はゆるゆると首を左右にふった。
「僕が聖女様について知っている情報は古いものばかりです。新しく起こったことの真実はわかりません。でも、あえて仮説を立てるのなら……。神聖国の王家は、大聖女様の加護を失ったのではないでしょうか?」
アレク様が私だけに聞こえるようにささやいた。
「なるほど、聖女エステルを王都から追い出した罰か」
そんなことで罰がくだるとは思えないけど……。
私はフィン様にさらに質問した。
「もし本当に王家が大聖女様の加護を無くして魔物に襲われているのだとしたら、フリーベイン領が魔物に襲われるのはどうしてですか?」
その質問にはアレク様が答えてくれる。
「初代フリーベイン公爵は、その当時の国王の弟だった。兄である国王を支える為に臣下におりて公爵位を授かったんだ。だから俺も王家の血を引いている」
「そうだったんですか!?」
「ああ、公爵家に代々伝わる剣があると言っただろう? あれは大昔に大聖女様と共に国を救うために旅立った英雄が持っていたとされる剣だ。英雄が亡きあと国宝とされ、フリーベイン公爵に与えられた。フリーベイン公爵家が王家の血筋であることを証明するためのものでもある」
「だとしても、フリーベイン領だけずっと魔物がでているのはおかしくないでしょうか?」
私を王都から追いだす前から、フリーベイン領には頻繁に魔物が出ていたと聞いている。
しばらくの沈黙のあとに、フィン様は難しい顔で話し出した。
「実は、僕は前々から気になっていたことがありまして。ぜひエステル様に試してもらいたいことがあるのです」
「私に?」
「はい、大聖女様は聖女の祈りを受け取りその力を貸してくれます。ならば、祈りだけではなく、聖女の質問も受け取り答えてくれるのではないかと」
「大聖女様に、私が質問を?」
今までそんなこと、一度も考えたことがなかった。
「やってみていただけますか?」
フィン様にうながされて私はいつものように大聖女様に祈りを捧げた。そして、いつもと違い大聖女様にそっと呼びかけてみる。
――大聖女様。私の質問に答えてくださいますか?
「……」
返事はない。
「何も起こりませんね」
フィン様はがっくりと肩を落とした。
「そうですか、残念です。大聖女様のお言葉が聞ければ、それこそ邪気や魔物、聖女様のすべてがわかると思ったのに」
フィン殿下の後ろに控えていた護衛騎士が「殿下、そろそろ」と声をかけた。
「そうですね。今日のところはこれで失礼します。エステル、いつでも僕を訪ねてきてください。聖女様についてまだまだ聞きたいことがたくさんあるので」
「はい、ぜひ! ありがとうございます」
立ち上がったフィン様は、アレク様に微笑みかけた。
「舞踏会は三日後です。それまでのんびりとお過ごしください」
フィン様をお見送りすると、アレク様と二人きりになった。
「のんびりと、か。エステルは何がしたい?」
「そうですね、私はカーニャ国の図書館に行きたいです。あと、フィン様にまたお会いしてお話を聞きたいですね」
今回は、私やアレク様の身体に浮かんでいた黒文様のことを聞くのを忘れてしまっていた。
「わかった。他には?」
他にはといわれても、もう何も思いつかない。
「えっと、のんびり過ごすって難しいですね。アレク様は何かしたいことないんですか?」
「俺は……」
アレク様が私の手にそっとふれた。
「エステル、俺と一緒に街を散策……。その、デートをだな」
「あ、いいですね! 行きましょう!」
パァと明るい表情を浮かべたアレク様。
「私たちが仲の良い婚約者だと周囲にアピールできますものね! 私、婚約者のふり、頑張ります!」
アレク様は優しい笑みを浮かべると「ああ、頼んだぞ。街では、エステルが楽しめることをたくさんしよう」とやさしく私の頭をなでた。