「キリアです。入ってもよろしいでしょうか?」
「入れ」
公爵様の許可を得てから執務室に入ってきたキリアは神妙な面持ちだった。その後ろには、私をここまで案内して手鏡を持ってきてくれたメイドの姿もある。
何かあったのかしら?
公爵様もそう思ったようで「何かあったのか?」と尋ねている。
「いえ、エステル様の帰りが遅いのでお迎えにあがりました」
チラッとこちらを見たキリア。その顔は何か言いたそう。
あっなるほど、キリアも公爵様の黒文様がどうなったのか知りたいのね!
メイドに手鏡を持ってきてもらったし、公爵様と一緒になって喜んでいたので騒がしかったのかもしれない。
「キリア、浄化は大成功でしたよ。公爵様のお顔の黒文様が少し薄れました。これを続けると綺麗になくなると思います」
「そうなのですね!? すごいです、エステル様!」
ここの人たちは、すぐにほめてくれるので、なんだかくすぐったい。
「公爵様のお役に立ててうれしいです」
「エステル」
私の名前を呼んだ公爵様は、銀色のカギを私の手のひらに置いた。
「公爵邸内にある図書館のカギだ。あなたが持っていてくれ。いつでも入っていいし、どの本を読んでもいい」
「ありがとうございます!」
キリアは、さっそく私を図書館まで連れて行ってくれた。公爵邸内の図書館は、とても広い。その広い壁一面に本がずらりと並んでいる。
「二階にも本があるのね」
本棚の前で本の整理をしていた女性が「何をお探しですか?」と聞いてくれた。
「あなたは?」
「この図書館で働く司書です」
図書館司書に「邪気関連の本を読みたいです」と伝えると、すぐに五冊持ってきてくれた。
「五冊だけ?」
「はい、ここにあるものは、これですべてです」
五冊とも借りて部屋に戻った私は、キリアやメイドにさがってもらい一人で本を読んだ。
どの本にも、『邪気は聖女が浄化するもの』としか書かれていない。それに邪気の本というより、聖女の奇跡をつづった本ばかり。
そっか、聖女がいるこの国では、邪気の研究をする必要がないのね。だって、邪気は聖女が浄化してくれるものだから。
もしかすると聖女がいない国でなら、もっと邪気の研究がされているのかもしれない。
「これ以上、邪気を調べても仕方ないわね」
私は本を閉じてため息をついた。
「とにかく、ここで私ができることをしましょう」
*
それから、数か月の月日が経った。
私は公爵様の元で、聖女の仕事をしながらのびのびと暮らしている。
いつもそばにいてくれる護衛騎士のキリアがニコリと私に微笑みかけた。
「エステル様、今日は外でお茶にしましょう」
「あれ? 昨日も外でお茶をしませんでしたか?」
「あ、その、今日もどうでしょうか?」
「そうですね。天気も良いですし、そうしましょうか」
キリアと並んで公爵邸の庭園に向かう。そこには心地好い風が吹いていた。
キリアが椅子を引いて私を座らせてくれた。彼女は未だに私のことを丁寧に扱ってくれている。
「いつもありがとうございます」
私がお礼を伝えると、キリアは困った顔をした。
「エステル様。そろそろ我らに敬語をおやめください。あなたは公爵夫人になるお方……」
その言葉を聞いて、今度は私が困った顔をする番だった。
数か月たった今でも、公爵邸の人たちは、私を公爵様の婚約者だと誤解している。
たしかに、公爵様は私にとても良くしてくれているけど……。
たくさん贈り物をくれたり、『俺のことは、アレクと呼んでくれ』と言ったりしてくれる。でも、それは黒文様仲間としてで、そこに恋愛感情はない。
私はもう一度、キリアの説得をこころみた。
「キリア。何度もいいますけど、公爵様にははっきりと『この婚約はなかったことに』と言われています。だから、そもそも私を護衛する必要はないんですよ?」
「くっ! 閣下はいつになったらエステル様を落とせるんだ……」
「あの、キリア? 私の話を聞いていますか?」
たぶん聞いていない。今回も誤解を解くのに失敗してしまったわ。
私がハァとため息をつくと、偶然にも公爵様が通りかかった。
「エステル」
「あ、公爵様」
左手に剣を持っているので鍛錬のあとに通りかかったのかもしれない。
「あなたの姿が見えたので」
キリアが「せっかくなので、閣下もご一緒してはいかがでしょうか?」と公爵様に進めている。
そういえば、昨日もバッタリ出会って一緒にお茶をしたような?