「ストーップ!」
レフェリーは、大きく手を振って試合を止めた。
「うぉーすげえ!」「な、なんだよ今のパンチ!」「なんてスウィート……」「お、俺たち、なんかすげえもん見れたんじゃねえのか?」「やっぱりあいつは……あいつこそが“シュガー”なんだ!」
――パンパンパパパン――シュガー!――パンパンパパパン――シュガー!――
「お兄ちゃんっ! お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!」
気がつけば玲於奈はリングの上に駆け出し、そして涙を流しながら、拳聖さんに抱きついた。
「心配かけたな。けど、それももう終わりだ」
「ひん……しん……心配したんだよ……だけど……本当に、格好よかったよ……」
「玲於奈……汗がつく――」
「関係ないもん!」
玲於奈は兄のすべてを自分のものにしたいといわんばかりに顔をこすり付けた。
「だって大好きなお兄ちゃんの汗なんだよ!? 全然汚くなんかないんだからっ!」
「見せてくれ、お前の美しい顔を」
拳聖さんはグローブをはずし慈しむように、確認するかのように玲於奈の顔をなでた。
「すまない。お前の顔、今の俺の左目は見てやることはできない」
「いいの……右目だけだってなんだって……あたしを感じてくれるだけでいいの……」
玲於奈は顔を上げ、拳聖さんの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「それだけであたしは死んだってかまわないから……」
拳聖さんは、自分の頬を玲於奈の頬に重ねた。
「最高の祝福だ」
「おめでとうございます、拳聖さん」
玲於奈につい従われてコーナーに戻って来た拳聖さんに、僕は拳を差し出す。拳聖さんは拳を合わせてくれた。
晴れ上がった左目の奥の目は、どこかうつろで漂うようだ。
「ちゃんと、見ていてくれたみたいな」
「はい。すごく……すごく、格好よかったです……」
拳聖さんは、僕の頬に優しく手を触れさせた。
「泣き顔はいらない。笑顔を見せてくれないか」
やだな、また僕……僕、泣いてたんだ。けど、ずるいですよ。あんなの見せられてそんなの……そんなの、無理に決まってるじゃないですか……。けど――
「はいっ!」
今の僕には、これが精一杯の笑顔です。
「ぎゃははは、ひでえ面だな」
僕たちの周りの空気を吹き飛ばす、ラテンな陽気な石神さんの笑い声。
「へっ、けど、見直したぜ。あんたはそういうボクシングもできるんだな」
「今の俺には、こういうボクシングしかできないんだ。いや、もしかしたらもう――」
拳聖さんは、言葉を詰まらせうつむいた。
「な、何をおっしゃるんすか!」
「そうですよ。あなたは俺のバディで、最高にスウィートなボクサーです」
「いいから胸をはれよ。そんなのあんたには似合わねえぜ」
「そうよ、お兄ちゃん。見えなくても聞こえるでしょ? この歓声が」
――パンパンパパパン――シュガー!――パンパンパパパン――シュガー!――
そうです拳聖さん、あなたこそが――
「とびきりクールで、ハチミツよりもメープルシロップをかけたワッフルよりも、チョコレートシロップたっぷりのパンケーキよりもスウィートで、あたしたちをとろとろにする――」、
「――“シュガー”、なんですから」
「玲……玲於奈……みんな……」
拳聖さんは表情を隠すようにしてうつむき、高々とが右手を挙げる。
「もう何もいらない。左目も、栄光も。お前たちがいるから」