「これより第三回戦、ライト・ウェルター級を開催いたします」
「赤コーナー、興津高校、深南健選手」
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
「あの人、計量室で石神さんと睨み合ってた人ですよね。戦績はどんな感じなんですか?」
拳聖さんはペラリと資料をめくる。
「前回の国体では一回戦負けだが、県大会を含めてのそれまでの試合は、拳次郎との対戦以外は全部KO勝利だ」
「かなりムラがあるんスね……空手でもいるんすよそういう奴。そういう奴は大体――」
拳聖さんから資料を受け取り、その戦績を分析する玲於奈。
「負ける時は、全部反則負け。かなりラフなボクシングをするタイプみたいね」
すると拳聖さんは
「好都合だ、拳次郎にとってはな」
ニヤリ、と微笑んだ。
「玲、よく見ておけ。こういうボクシングもあるんだ。ベアナックルを叩き付け合うような、原始的な姿のボクシングがな」
――
「えー、対抗戦だから、お互い紳士的な――」
レフェリーもその二人に漂う異様な雰囲気に気づく。
「二度と俺の前に立てなくしてやるぜ、拳次郎」
「二度と? これで何度目だよ、俺の前に立ってその言葉を吐くのはよ」
騒然となる会場の中、レフェリーは慌てて両者の間に分け入った。
「こ、これはあくまでも対抗戦だ! これ以上やるなら、没収試合とするからなっ!?」
「チッ」「ケッ」
ようやく二人は距離をとった。
うわー……今までにない、変な意味での緊張感があるなあ……。
レフェリーが何事かこまごまと注意を与える。
「それでは両者、グローブを、って、お、おいっ!」
ボンッ、二人は投げやりにお互いのグローブを合わせ、いや、叩きあった
――
「お前の試合は、いつも胸が躍るよ」
苦笑しながら拳聖さんは言った。
「そいつぁどうも」
ふてぶてしい笑顔を浮かべる石神さん、ある意味さすがです。
「応援してますから、頑張ってくださいね」
「お前ごときに心配される俺か? お前はお前の試合だけ心配してりゃあいい」
拳聖さんはフッとほほ笑むと、石神さんの口の中にマウスピースをねじ込んだ。
「そんなことより、俺は“ミ・ガータ”、レイコに届ける動画の方が心配だぜ」
「大丈夫ですよ。馬呉さんが、ほら――」
僕が掲げた手に、アリーナ上の馬呉さんがスマホを片手に手を振り返した。
「へっ、それなら安心だ。お前の試合の、露払いくらいはしてやるよ」
カァン
「があっ」
先に仕掛けたのは深南だ。
荒々しい左右のフックを石上さんに向かって繰り出す。
だけど、石神さんは柔軟な上半身と鉄壁のブロックでそれをことごとく外していく。
左フックをスルーされ泳いだ深南の左肩に、石神さんの左フックが命中する。
ポイントにはならないけど――
「ありゃあ痛いな」
「ええ」
それこそ石のように固くて痛い石神さんの拳は、まさしく凶器だ。
深南の猛烈なラッシュを、石神さんは息の止まるようなディフェンス能力でそれを防ぎ切り、そして上半身を揺すりながらの喰いつくようなしつこいラッシュを仕掛けていく。
手数もクオリティーブローの数も、何よりパンチの強さも、全てにおいて相手を上回ってる。
「拳次郎の真骨頂は、パンチ力以上に中間距離での攻防だ。あれにつきあってまともに立っていられたやつを、俺は知らない」
「これは……石神さん、楽勝みたいですね」
「それはどうかな……」
「え……でもこれ、どう見たって……」
ロープに追い詰められた深南はたまらずクリンチし、体を入れ替える。
?
石神さんの様子がおかしい!
レフェリーによって引きはがされた石神さんの鼻から――
「出血してる……どうして?」
「バッティングだ。それも故意の、な」
ドクターによる止血が行われた後、注意が与えられ試合が再開される。
再びリング中央、激しい打ち合い。
二人のハードパンチャーが拳を古い、その拳は互いの体、顔面を捉え、一進一退の攻防が展開される。
二人は額をつけて接近戦を――
「押し負け始めた?」
相手のショートがボディーに決まった瞬間、石神さんの動きが目に見えて鈍くなっていく。
そして、何度もショートのボディーフックがボディーに打ち込まれ続ける。
カァン
「どうした拳次郎、切れがなくなってきたぜ。第一ラウンド、取られたぞ」
「はあっ、はっ、ぷへっ……どうもこうもねえよ。KOすりゃいいだけの話だろうが」
マウスピースとうがいの水を吐き出した石神さんは、自身の体を指し示す。
「これは……どうやったらこんな跡ができるんですか?」
そこには、パンチの跡とはまた違う傷跡が見えた。
「ヒジだよヒジ。誰にも見えねえ死角で、俺の体に何度もヒジを入れてきやがった」
ヒジ?
そんなの体に入れられたら、あっという間にあばら骨が折れちゃうよ!?
「す、すぐにレフェリーにアピールして――」
「――無粋な真似すんじゃねえよ。こんなもんで、この“エストマーゴ・デ・ピエドラ”のタフネスを崩すことなんかできねえよ」
「石神さんがタフなのは知ってますけど……」
「なんたって俺のルーツはメキシコ、ラテンの血だからよ。へへへ」
「ま、それもボクシングだ。お前はお前のやりたい様にやればそれでいい」
「お? 珍しいな。へっ、あんたのお墨付きなら、何の遠慮もいらねえな」
カァン
「ボックス!」
深南は、先ほど存分にヒジを叩き込んだ部分に拳の照準を合わせ、何度も何度もボディーブローを叩き込む。
「反則がワンパターンだな」
そして、再びクリンチの体勢に持ち込み、ヒジを叩き込む。
「その程度の反則じゃあ、拳次郎には勝てないぜ」
石神さんは無理矢理深南の体を引き剥がす。
そして、深南の体が浮き上がらんばかりのアッパーを、ガードの上から叩き込む。
あの威力、ガードした腕だってきっとただじゃすまないだろう。
その予想通り、深南はガードをあげるのすらきつそうだ。
「すごい……たった一発で状況をひっくり返しちゃった……」
後によろけた深南は、コーナーに追い込まれる。
そして石神さんは、息もつかせぬボディーブローを、お返しとばかりに叩きこ――
「? あ、あれ、かなりパンチ低くないですか?」
「ま、褒められたことじゃないけどな」
苦笑する拳聖さん。
「拳次郎自身はわりとクリーンなボクシングをするんだが、下手な真似すると、ああいうお返しが待ってるんだよ」
ヒュン、ってなった……。
「ちょ、ちょ、ローブロ――がっ!」
深南は必死で反則を主張しようとするが――
「うらうらうらうらうらあっ!」
しつこいボディー……三発に一発は○○狙いです、はい……を叩き込み続ける。
「がはっ、はっ、はっ、ちょちょっと待て! あ、あいつ明らかにローブロ――」
しかし時はすでに遅し。耐え切れずにダウンを選ぼうとしたその瞬間――
ゴッゴッ、ガンッ
左右のフックに、ダメ押しの右アッパーを叩き込んだ。
「ストーップ!」
二人の間にレフェリーが入り込んだ。
「“ガーノッ!”」
レフェリーはその意識を確認すると、大きく手を振り試合を止めた。
――
「どうよ。やってやったぜ、俺は」
ニイ、と笑い、リングを降りて右手を掲げる石神さん。
「久しぶりに、お前らしいお前を見られたって感じかな」
拳聖さんは苦笑しながらその手に左手を合わせた。
「アニキイイイイイイッ!」
「だあっ! 気持ちわりいんだよ!」
兄貴分の爽快なナックアウト勝利に、弟分は涙を流さんばかりの祝福を与えた。
「んなことよりも、きちんと俺の情熱あふれるファイトシーンは記録できたか?」
「はいっ! スマホの電源が切れて、一切録画は――」ボコッ、ガキッ、ゴツッ
“これより、四十五分間の休憩に入ります”
場内アナウンスが響き渡った。