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第30話

 なんだよこれ……。

「いやいやお待ちしておりましたよ、定禅寺西高校の皆さん」

 うげっ……あの慇懃無礼なニヤニヤ笑いは……。

「だれだったっけ、あんた」

「漆畑だ漆畑! 興津高校ボクシング部顧問の! ぬう……なんて無礼な奴等だ……」

 無礼上等、お互い様ですよーだ。

「ところでこれはどういうことっすかね。何でたかだか高校同士の対抗戦に――」

 そう。僕も正直言って、一瞬頭が真っ白になった。

「お、おい! あいつ! 見ろよあいつ!」「おおそうだ! 間違いねえよ! あいつ――」

 拳聖さんの姿を認めた“たかだか高校同士の対抗戦”に押しかけた大観衆が沸き立つ。

「――“シュガー”だ!」「あの“シュガー”が帰ってきたんだ!」

 自身へ向けられた歓喜のコールに、拳聖さんは仕方なさそうに小さな笑みを返す。

 それだけで、会場中が悲鳴とため息に包まれた。

「ひひひ、ただ引き受けただけでは、私たちに何のメリットもないのでねぇ」

「けっ、拳聖さんの名前使って学校の宣伝か、たいした商売人だなてめーらは」

「どうもそれだけじゃないみたいね。いくら対抗戦でも、こんな組み合わせって有り?」

 玲於奈は壁に貼り付けられた模造紙を叩いた。

「基本的に体重の軽いほうから順番に試合をするって、アマチュアの規約にもあるわよね?」

「第一試合ライト級、第二試合ミドル級」

 美雄が組み合わせ表を読み上げる。

「第三試合ライト・ウェルター級、第四試合フライ級、第五試合ウェルター級」

「クライマックスで俺を大観衆の前で半田に倒させて、主役交代を印象付けたいってわけね」

「元はといえばそちらがねじ込んできたことですから。これくらいはねえ? ひひひ」

 毎年の伝統行事だって言ってたくせに……本当に嫌な奴だ……。

「よかったじゃねえか。俺とお前の決着、こんな大観衆の前で着けられてよぉ」

 この声は――

「よお、相変わらずアメンボ見てえだな、半田」

「誰がアメンボだこの野郎! ぐぬう……へっ、ここで、今日本のウェルター級で誰が一番強いか、はっきりさせてやっからよぉ。一年のブランクがあったから、なんて言い訳はなしだぜ?」

「ま、好きにしたらいいさ。けど、男のおしゃべりは格好良くないぜ。言うだろ? “弱い犬ほどよくほえる”ってな」

「ぎゃははは、ちげえねえや! 犬っつうか、ナナフシ見てえだけどな?」

「な、なんだとこの野郎!」

 この人、口げんかできないタイプだな、きっと。

「まあ、何でもいいさ。早く計量といこうか。なんたってさ――」

 拳聖さんが手品師のように両手を広げると、その背後から割れんばかりの歓声が響き渡る。

「――観客たちを待たせるわけにはいかない。“ショウ・マスト・ゴー・オン”、だろ?」


――


 え? マジ?

「ぜ、全部脱ぐんですか? パ、パンツも?」

「たりめーだろ? 軽量だぜ? さっさとしろよ。大丈夫だよ。お前のが小さかろうがカブってようが生えてなかろうが、そんなもん誰も気にしねーよ」

 す、少しは恥じらいを持って脱いでくださいよ石神さん!

「石神拳次郎選手、六十四.八キロ、パス」

「ま、こんなもんだろ」

 腕組みをしてないで早くパンツはいてくださいよ!

「チ○コだけじゃなくて、相変わらずのばかさ加減丸出しだな、拳次郎」

 相手校の選手の一人が、石神さんに近づいてくる。っていうか……あんたも丸だしだよ!

「深南じゃねえか。性懲りもなく、まだボクシングやってやがったのか?」

「てめえこそ。ま、何キロだろうが、今の俺がてめーごときに負けるはずはねえけどな」

「言うねえ言うねえ。一年のインターハイ予選で俺にワンパンKOされた奴がよ」

「あ、あの、馬呉さん。あの人……石神さんの知り合いなんですか……」

「え? ああ、そうっす。深南健って奴で一方的にアニキをライバル視してる奴なんです」

「一方的なライバル?」

「ええ。中学時代に、結構なワルでならしてたんですが、アニキにカタにはめられちゃいまして。それ以降、アニキがボクシングやるって聞いてボクシングを始めたらしいっす」

「へっ、待ってたんだぜ、決着をつける日をよ。お前がブタみたいに太ってる間、俺は血反吐を吐くようなトレーニングをつんでたんだからな? 今日は覚悟決めとけよ?」

「そうかいそうかい、だったら俺はお前に才能の違いっつーものを思い知らせてやるよ」

「何だと? やりたいんなら今すぐここでやってやってもいいんだぜ? ああ?」

 あ、あのお二人とも……フル〇〇で額を付け合うのはやめてください……。

「こ、こら君たち何をやってるんだ!」

「そ、そうっすアニキ! ら、乱闘ばかりは……」

 馬呉さん、そして計量担当の役員の人に引き剥がされるようにして、額をつき合わせていた二人は別れた。

 ほっ……喧嘩でも始まっちゃうかと思ってどきどきしたよ……。

「定禅寺西高校佐藤玲選手、お願いします」

「ほれ、俺のことなんかどうでもいいから、さっさとお前も計量してこい」

 うわー、人前で全裸になるなんてなかったからな。

 それだけボクシングの計量ってのはシビアなものなんだろうな。

 役員の人が、慎重に秤の分銅を調整する。大丈夫、大丈夫だよな――

「――佐藤玲選手、五〇.三キロ、パス」


――


 ――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――

 ボンッ、胸元でグローブを叩きつける美雄。

「すげー声援。完全アウェーだな」

 青コーナーの下のパイプ椅子、肩と首をゆるゆるとストレッチする。

「いよいよだね美雄。頑張ってね」

僕は美雄の肩に手を乗せ、入念にマッサージする。

「サンキュー玲。けどマッサージはやっぱり――」

「――どきなさい」

 わっ……。そ、そうだね。僕みたいな男がやるよりも――

「いい? 確かに経験じゃ劣ってるかもしれないけど、思いっきりやれば大丈夫だから」

「拳聖さん、俺の相手、どんな奴なんすか」

「そうだな、羽村って奴だ。今三年生……たしか去年、インターハイ三位の実力だ」

「イ、インターハイ三位?」

 それってめちゃくちゃ強いじゃん! けど――

「ま、すごいったら美雄のほうがすごいもんね」

「さあ行くわよ。空手道全中チャンピオンさん」


――


“第一回戦、ライト級、赤コーナー、興津高校、羽村修哉選手”

「おや、君は」

 大歓声の中に聞き覚えのある声。

 うん、すごく懐かしい声。間違いない。

「佐山先生!」

 興津の漆畑先生、全国のボクシング部に声をかけたって言ってたけど、大阪の佐山先生のところにまで伝わっているとは。

けど今回ばかりは、グッジョブ、って言わせてもらうよ。

「私は佐藤拳聖の一ファンですわ。その復帰戦、見逃すわけにいかんでしょう」

「ん? 玲、お前佐山先生とも知り合いなのか」

「石切山先生も! 会場に顔を出して大丈夫なんですか?」

「まあな、これから生徒たちの試合があるというのにじっとしているわけもいかんからな」

“青コーナー、定禅寺西高校、悠瀬美雄選手”

「しかしまあ……恥ずかしながら、ご存知の通りの状態で……。何とか彼のおかげでスタートラインに立つことができたような次第です」

「たいしたもんやなあ、佐藤君。線がほそぉ見えて、えらい根性や。何にしろ、新しいスタートを切れるいうんはええことや」

「佐山先生、それはちょっと違います」

 僕がリングに目を移すと、佐山先生、そして、石切山先生もそれに習う。

「新しいスタートを切ることだけが、僕たちの目標じゃないんです」

 リングサイドでは、美雄に指示を与える佐藤兄妹の姿が見える。

「セコンドアウト!」

「いやいやいや、大阪相邦高校の佐山先生までいらっしゃるとは」

 うげっ、漆畑……。

 せっかくいいところなのに……。

「今度はいよいよインターハイですなあ。お互いに頑張りたいものですなあ」

「羽村君ですか、ええボクサーですからねえ」

 もういいや、漆畑の学校自慢なんて聴く意味ないよ。

 今僕ができること――

 カァン

「頑張れよしおーっ!」

「うおっ!? ま、まあ定禅寺西さんもそれなりには練習して来たのでしょうが、うちの羽村の仕上がりの前に――」

「ダウーン! ニュートラルコーナーへ!」

「ほおら、見てごらんなさい。もう早速ダウンをええええええええええ!?」

「悠瀬……」

「これはまた……えらいこっちゃ……」

「押忍っ」

 三人の先生方が呆然と見つめる中、悠瀬は小さく残心をすると青コーナーへ引き上げた。

「なんてストレートや……。いや、ストレートなんて生易しいもんやない……あれは――」

「正拳突きです。右上段逆突きって言うんですって」


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