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第27話

 ポストから伸びるロープに手をかけ、拳聖さんはぐいぐいと背中を伸ばす。

「ほれ、最後の仕上げだ」

 石神さんが、僕の口の中にマウスピースを含ませる。こくり、僕は頷いた。

「いい? とにかく手数を出しなさい。ある程度は被弾覚悟で、リーチの差を殺すためにどんどん距離をつめなさい。そして、とにかく頭を振り続ける。わかった?」

「はいっ!」

 玲於奈がヘッドギアをかぶせてくれた。リングの下で、ゴングに構える美雄が言う。

「いいですか? じゃ、いきますよ」

 カァン

 開始の合図に、グローブを交える僕たち。おちつけおちつけ……。

 ガードを高く、視線を相手の視線に重ねろ……。

 とにかく、頭を振るんだ。

 うん、いい。こうだ――

「ふんあっ! しっ、しっしっ!」

 当然のごとく僕のジャブは拳聖さんの左拳でカットされる。

 けどそんなのは、承知のう――

「ぶっ! つぁ」

 いっけね! 左ジャブもらっちゃった!

 焦るな、玲於奈より、ずっとリーチが――

「ふんあっ! しっ、しっしっ!」

 くっそ! あれだけ体にしみこませた左からのワンツーが、皮一枚も捕らえられないなんて!

 だからこそ――

「ふあっ!」

 何とかして懐にもぐりこむ! くっそ、捕らえ損ねた。けど、何とかボディを二発いれ――

「ちょっとあげんぜ」

 むあ?

「っぷふぁ!」

 ……痛くない!

 アッパーもジャブも痛くないんだこんなもの!

 とにかく頭を振れ!

 前へ前へ!

 懐へ!

 よし!

 やっとジャブがかすった!

 そのままっ、ボディッ!

 へばりついて、下に意識を集中させるっ!

 いまだ!

「らあっ!」

 ゴッ

 よっしゃあ! 右ストレート、初めて当たっ――

「――えっ?」

 カァン

「成長したな、少年」 

 ポスン、拳聖さんは僕の頭をぽんぽん、となでた。

「あ、ありがとうごさいま……す……」

 初めて……拳聖さんの顔面にパンチが当たった……。

 すごく嬉しいはずなんだけど……なんだろ……なんかすごく――

「いい攻めだったぜ、玲」

 にやりと笑うのは石神さん。玲於奈は……。

「なかなかの出来ね」

 そういって、僕のヘッドギアをはずした。

 表情は、確認できなかった。

「すげえじゃん玲。やったな」

 あ、ありがとう、美雄。けど……拳聖さん……。

「あ、あのっ!」

 僕は、リングを降りようとする拳聖さんに声をかけた。

「え、あ、ん……ありがとうございまし……た……」

「一ヶ月の仮ごしらえにしてはいい線行ってるよ。そんな顔すんな。自信を持てよ」

 拳聖さんは馬呉さんからタオルを受け取ると、部室の奥へと消えて行った。

 その後姿に、僕は入学直後、半年振りに拳聖さんと再会したときのことを思い出した。

 いやむしろ、あの時以上に影が薄らいでしまったんじゃないかって思った。


――


「今日は玲於奈は一緒じゃないのか?」

 シャワーを浴びた僕と美雄は、夕暮れの校舎を校門へ向けて歩いていた。

「うん。なんか、先に帰るって」

 玲於奈、なんか元気なかったよな……。僕の感じたさっきの違和感……いったい……。

“お願い……ちょとだけでいいから……こうしていて……”

「ごめん、美雄。ちょっと忘れ物しちゃったから。先帰ってて」


――


 部室の鍵がまだ開いてる。電気もついているみたい。

 まだ拳聖さんはいるみたいだな。

「――――」「……だの……」

 ん?

 なんか声が――

 ガンッ

 バケツを蹴り上げるような音が僕の耳元で響く。

 僕は身を潜め、部室の中を覗き見た。

「――ったとおりだ、拳次郎」

「そういう問題じゃねえだろが!」

「ア、アニキ! お、落ち着きましょう! と、とにかく手を離して……」

 け、拳聖さん?

 石神さんに、馬呉さんも――

「他の連中はごまかせてもなぁ、俺ぁごまかされねえぞ? あんた――」

「あの少年が想像以上に成長していた。ただそれだけの――」

「――んな言い訳で納得できるか! 俺らの知ってるあんたじゃねえっつってんだよ!」

 拳聖さんの胸倉を、石神さんが掴み上げている。

 拳聖さんは困ったような、しかしどこか穏やかに笑って、石神さんのなすがままに任せている。

「まあ、ブランクもあ――」

「――あんた……もしかしてだいぶ悪化してんじゃねえのか?」

 吐き捨てるように言うと、ようやく石神さんは拳聖さんの胸元から手を離した。

 そして、部室のベンチにどかりと腰を降ろし、スクイージーを一口含む。

 そして――

「ほれ」

 !?

 拳聖さん!?

 拳聖は、そのスクイージーに反応することすらできなかった。

「こんな下手投げのパスすら取れねえのかよ」

 そういって石神さんは、拳聖さんの足元に転がるスクイージーを拾った。

「はっきり言ってやる。あんたの左目は見えてねえ」


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