「どういうことだ! ああ!? 聞いてねえぞ!?」
ボクシング部の部室に帰ってきた僕たちを待っていたのは、石神さんの怒号だった。
ががが……く、苦しいです、石神さん……。
そ、そんなに首を締め上げられたら……。
「やめてください、アニキ!」
「石神先輩! ちょ、何でそんなに怒ってるんですか?」
「ガキが! なんで拳聖さんを巻き込んでんだ!?」
あ、相変わらずすごい力だ……。
「やめろ、拳次郎。そいつは関係ない。これは、正真正銘俺の意志なんだ」
ようやく石神さんの腕から解放された。
石神さんは、肩をいからせて拳聖さんに詰め寄る。
「あんたは本当にあんたはそれを望んでるのか? 本当にあんたの意思なのか?」
「俺の手で“常勝・定禅寺西”を払い戻す。それが俺の選択だ」
石神さんとは対称的に、拳聖さんは穏やかに、諭すように言った。
「おいデブ! 本当にいいんだな? どうなろうが俺ぁしらねえからな!」
石切山先生は頷いた。
「男が自分自身のプライドにかけた決断だ。責任は俺が取る」
「……わーったよ! とにかく勝ちゃあいんだろ、勝ちゃあよ!?」
石神さんは、腕組みをしてどっかと椅子に座りなおした。
けど、どういうことだろう……。
石神さんも、拳聖さんにあこがれてボクシングを始めたって言ってたのに……。
――
「おっし、早速はじめんぞ! とにかく時間がねえ。素人二人抱えて戦うんだからな」
「まあ、慌てるな」
いきり立つ石神さんをなだめる拳聖さん。
「今の俺たちは、経験もサイズもみんなばらばらだ。だから、それぞれバディをくんで練習をした方がいい。えっと、悠瀬、だっけか。お前……いま身長体重いくつだ?」
「あ、はい。一七七センチ六三キロですが」
「そうか……松濤館、習ってたんだよな。よし悠瀬、俺とバディを組め。ライト級で出場だ」
美雄は、口元に笑みを作り、そして頭を下げた。
「光栄です。よろしくお願いします」
「んじゃ、俺はライト・ウェルターに階級上げろ、ってことか」
「キツいなら、やめてもいいんだぜ」
「へっ、誰に言ってんだよ」
煽るような言葉ににやりと笑い立ち上がり、目にも留まらぬスピードで拳を繰り出した。
「俺の拳なら、ライト・ヘビーでも通用するぜ」
「なら都合がいい。馬呉、お前は石神とバディだ。こいつがまた食べ過ぎないように、しっかりと見張っとけよ。わかったか」
「了解っす! アニキ、また一緒にボクシングできますね!」
「だあっ! 気持ち悪りいんだよ!」
ん?
まてよ……。
「あ、あの拳聖さん。僕は誰とバディを組めばいいんですか?」
「バディ? いるだろ、そこに」
拳聖さんが指した指の先、そこには――
「ってわけだ。よろしくな玲於奈」
玲於奈は、渋い顔をして腕組みをしていた。
「おいおいおい、拳聖さんよ。大概にしろよ。いくらなんでも、こんな経験もないガキに指導なんかできるわけねえだろうが」
「大丈夫さ。何しろこいつは――血を分けた俺の妹だからな。実力に関しては――」
「……」「……」
石神さんと馬呉さんの表情が固まる。
「「いもうとぉ!?」」
あ、本当に気がついていなかったんだ。石神さんが、無言で玲於奈の下に歩み寄る
「な……何よ……」
身構える玲於奈、その玲於奈の――
――ペタン
「ぎゃあああああああああああああっ!」
「洗濯板だが……一応は――ほげヴぁっ?」
石神さんの顔のど真ん中に、玲於奈の拳がめり込んだ。
「最低! バカ! 変態! 助平! 死んでしまえ!」
「――ま、見ての通りだ」
ま、まあ、玲於奈のパンチは、あんなに華奢だけど、すごい威力なんだよね……。
「もう……おにいちゃん以外には絶対触らせないつもりでいたのに……」
胸元を押さえ、両目に涙をためながら玲於奈は僕を振り返った。
「いい? あんたみたいなもやしでもあたしのトレーニングに生き残れたら最強のボクサーになれることを保証してあげるわ!」
うん、君と一緒ならきっと頑張りとおせる気がするよ。
「けどその日まで、あんたはウジ虫よ! 地球上で最下等の生命体よ!? もう今日からあんたは人間じゃないと思いなさい! 両生動物の○○をかき集めた値打ちしかないって思いなさい! わかったわね!?」
前言撤回……鬼軍曹め……。
――
「いっただっきまーすっ! ……って、なによ……文句でもあんの?」
「いえ別に……何にもありません……」
玲於奈の前に並べられたのは、ガーリックチキンステーキにポテトサラダ、コーンポタージュにお皿いっぱいのライス。
それに引き換え……僕は……。
「確かにあんたは、体重自体はフライ級の枠におさまっているわ。だけど、はっきりいって筋肉が全然ついていない。ただやせてるだけなの」
サラダチキンのスライス、納豆、形ばかりの玄米ご飯と、豆腐のお味噌汁……。
「一ヶ月間、脂肪を落として必要な筋肉をつけていくの。そのために一番重要なのは食事なんだから。勝つためよ。我慢なさい。むしろ感謝して欲しいくらいよ」
「はい……」
※※※※※
“――い――”
ん……んんん……誰か呼んだかな……。
“――なさい――”
あれれれ……なんだか苦しいな……。
“――きなさい――ってば”
なんだか、重いものが僕の上に乗っかっているような……。
「起きなさいっていってんでしょおがああああああ!」
「うわあああああああああっ! れ、玲於奈?」
「いい加減にしなさいよ! このあたしがこれだけ早起きしたってのに、何であんたがそんなに気持ちよさそうに寝息を立ててんのよっ!」
「って今、まだ五時だよ!?」
「あんた頭わいてんの? ボクサーに朝のロードワークは必須でしょうが! さっさとジャージーに着替えてきなさい! あと、炊飯器のスイッチも入れときなさいっ!」
「す、炊飯器!? バディなんだから、それくらい手伝ってよ!」
「この美少女が優しく朝の目覚めを手伝ってやってんのよ? 百回飯炊きしたっておつりが来るわよっ!」
「理不尽すぎるっ!」
――
「終わったね……」
「ああ……。これほど昼休みが待ち遠しかった日はなかったなあ……」
聞けば美雄も、朝拳聖さんとロードワークに出かけていたらしい。
二時間目からは美雄とお互いに気を配っておいて、眠りそうになったらお互いに起こしあうって協定を結んだけど……。
「本当に眠いと、ゆすったくらいじゃ起きないもんなんだね……」
僕たち二人は、深海のように深いため息をついた。さて、早速お昼ごは――
「遅い! 何やってんのよ!」
「「玲於奈?」」
真っ白なのブレザーにチェックのスカート、同系色のかわいらしいリボン、制服姿の玲於奈がそこにいた。
男子校では絶対に見ることのできない光景に、教室内は騒然となる。
「あ、あのさ、その制服って聖カタリナ富士のじゃないか?」
「ええそうよ。別に隠してたってわけじゃないけど」
「ねえ美雄……その学校、有名なの?」
「有名も何も、この辺でも有名な大学附属の女子一貫校だよ。なんていうか……高嶺の花?」
成程、だからみんなこんなに盛り上がって……って――
「中学校には通うって、拳聖さんと約束したんじゃ?」
「はあ? あんた何が特進よ。今が昼休みだってわからないくらい疲れてるってわけ?」
そっか、僕たちのために、わざわざ昼休みに学校に来てくれたのか……。
「ようバディ。体調はどうだ」
「「拳聖さんも?」」
「俺もいきなり玄関に呼び出されたときは驚いたけどな」
「仕方ないでしょ? こんな美少女が欲求不満の塊のような男どもの巣窟に、一人では入れるわけないんだから!」
「おいおい、いくらなんでもその言い方――「――お兄ちゃんに言う資格はないわね」」
あらら、拳聖さん苦笑したまま黙っちゃった……。
本当に、いったい何があったんだろう……。
「さ、昼飯前の筋トレよ。ひょろひょろもやしの体、しっかり鍛え上げなくちゃなんだから」
「了解っす」
「あ、僕も……あらっ?」
がくん、いきなり立ち上がろうとしたら、かっくんされたみたいにひざが折れた。
「情けないわね。いいから早くしなさいよ。トレーニング終われなかったらお昼ご飯食べられないから。まあ、とはいってもそれほどきついもんじゃないから、さっさと終わらせなさい」