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第20話

 ここは……体育館?

「あの……バスケ部が練習してますけど……」

 石神さんは一切の遠慮もなくコートに乗り込む。そしてゴールの下、センターポジションでで高々と手を上げる、一人の男の人の前に立つと――

 ――ゴンッ

 ジャンプしてその男の人の頭を殴り倒し、僕たちの前につれてきた。


――


「おら、自己紹介しろ」

 うわあ……背高いな。

 一八〇以上……八十四、五は、いや、もっとあるかな?

 それだけじゃない。

 全身筋肉の塊だ。

 色は浅黒くて、全体的にごつくていかつい感じの人だ。

 けど――

「あの自分、馬呉、馬呉阿嵐っていいます……。アニキがいつもお世話になってます……」

 大きな体を、小さく折りたたんで頭を下げた。

 見た目と違って、礼儀正しい人なんだな。

「と、ところでアニキ、一体何の用ですか? 今練習中なんすけど……」

「ああ、やめだやめ。今日中に退部しろ」

「え? 俺はボクシング部やめてフードファイターになる、お前はバスケ部に入れって――」

「つべこべいうんじゃねえ! お前もボクシング部復帰だ」

「てことは……またアニキと一緒にボクシングができるんですね――ってあいたっ!」

「気持ち悪ぃんだよ!」

 石神さんは僕たちにウィンクして見せる。

「っつーわけだ。ミドル級確保。これで後二人、だな」


※※※※※


「あれから一週間よ? 全然集まらないじゃない!」

 部室の机を叩き、玲於奈が苛立ちの声を上げる。

「ま、まあまあ玲於奈。こればっかりはあせったところでどうしようもないよ」

「玲の言うとおりだよ、玲於奈。そもそものハードルが高過ぎるんだ」

「なによ! 上級生も! あんたら真剣に集めようって気があるの?」

「無茶言うんじゃねえよ。俺は馬呉つれてきて、ミドル級の枠埋めてやったじゃねえか」

「す、すいません玲於奈さん……」

 尊大に足を組む石神さんの後ろで、馬呉さんが巨体をかがめてぺこぺこ頭を下げた。

「真面目にボクシングやっていた連中は、もう大体転校してたりしまして……」

 僕と美雄は顔をあわせてため息をついた。

やっぱりあの一件以来、ボクシング部の評判は芳しくないみたいだ。

僕たちが頭を抱えていると、ノックの音が響いた。

「石切山先生!」

 石切山先生は例のぎょろりとした目で、石神さんと馬呉さんを睨む。

「なんだ、お前達が復帰したってのは、嘘じゃなかったみたいだな」

 石神さんは舌打ちをして、肘をついて吐き捨てた。

「あんたこそ何の用だよ。あの一件以来部活投げ出して、何もしようとしなかったあんたがよ」

「中途半端にボクシングを投げ出したお前のせりふじゃないな」

「なんだと?」

 石神先輩は、石切山先生につめより胸倉を掴む。

「や、やめてください、アニキ!」

「そ、そうです! ここで何かあったらそれこそ活動再開なんて――」

 美雄と馬呉さんが、何とか二人の間に割って入った。

「まったく……相変わらずな奴だ……。ところで、人数は集まりそうか?」

「ライト、ライト・ウェルター、ミドルは何とかなったんだけどね……」

「? 君は確か……」

「あ! え、僕と同じクラスの玲於奈君です。マネージャーを引き受けてくれるって……」

「ん、そうか。だがどこかで……まあいい。それじゃ佐藤、これから出るぞ」

「え? どこへですか?」

「興津学園だ。来月の対抗戦の打ち合わせにな。メンバーも集まらない中、はっきり言って、向こうがこの対抗戦を引き受けるメリットは何もない。その上で試合を組んでもらえるよう、誠意を尽くして頭を下げてみるしかないだろう」

「わかりました。行きます」

「だったら、あたしもいくわ」

「あたし?」

「あ、え……俺も……いく、ぜぇ……マネージャー……としてぇ……」

 ようやく自分の口調がおかしいことに気づいたか。

 ちょっと語尾がワイルド過ぎるけど。


――


「興津学園って、どんな学校なんですか?」

 恐竜のようにのしのし歩く石切山先生の後に続き、僕と玲於奈は校門への道を歩く。

「興津高校は、この定禅寺西高校のライバル校だ。インターハイの常連校さ。まあ、あいつのおかげで、ここしばらくはうちが勝ち越してきたがな」

 あいつ?

 あいつってもしかして……。

「拳聖さんのことですね!」

 こくりと石切山先生は頷いた。

「あいつの姿をジュニアの大会で見てな。こいつは間違いなく光り輝く原石、いや、すでにダイヤモンドの輝きを放っていた天才、怪物……もう形容のしようがないほどの存在だった。俺はなりふり構わず、それこそ女を落とすみたいに、うちに来るように口説き落としたよ。そしてあいつは、期待通り定禅寺西高校ボクシング部に黄金期をもたらしてくれたんだ」

「改めてお伺いしたいんですけど、拳聖さんは何でボクシングをやめちゃったんですか?」

 石切山先生の表情は一瞬の強張りを見せたが

「言ったとおりだ。あいつにはもう、ボクシングに対する情熱が残ってないんだ」

 そう言うと、石切山先生は足早に僕たちから距離をとった。石切山先生のその言葉に、玲於奈は小さくため息をつく。石切山先生までそういうってことは、やっぱり拳聖さんがリングに復帰するってのは、相当難しいことなんだろう。けど――

「ねえ玲於奈。拳聖さんにはまだボクシングへの情熱が残ってるんだよね?」

 玲於奈は、その言葉に答えることなく、うつむいたまま歩く。

「僕は信じてるよ。だから、ね? 玲於奈も元気出して」

「別に……あんたに言われなくったってわかってるわよ……」

 あらら、また怒らせちゃったかな。励ましたつもりなんだけど……やっぱり女の子って、よくわかんないや。

 ん?

 校門にまた……そうか、下校時間なんだから当然って言えば当然か。

「拳聖さん!」

「――そっか、そりゃ大変だった――ん? 少年……」

「こんにちは。拳聖さんもお帰りですか?」

 周りの女の人たちの声にかき消されないよう、ちょっとだけ声のトーンを上げる。

「ん、まあな……あれ? お前……」

 口元に人差し指を当てる玲於奈の表情に、拳聖さんは察してくれたようだ。

「ん、ん、ところで、イシさんまで一緒になって、何やってるんだ」

 拳聖さんの顔を見て、石切山先生はため息をついた。

「俺はこれから、興津まで部活動の引率だよ」

「大変だなイシさんも。せっかく廃部になって少しは楽できるようになったはずなのにな」

 石切山先生は、何かを訴えかけるような視線を、無言で拳聖さんに突き刺す。

 ヒュウ、はぐらかすように口笛を鳴らすと

「おっかねえ」

 拳聖さんはそううそぶいてその視線を避けた。

 ん、なんだか石切山先生不機嫌そうだ。

 僕たちを置いてのっしのっしとあるいていく。

「少年、その様子だとまだ夢みたいなこと言ってるみたいだな」

 夢みたいなこと……ははは、そうですね、そのとおりです。

「いい加減、夢なんかより“現実”見た方がましってものじゃないか、少年」

 そういうふうに考えられたらよっぽど楽だよね。

 だけどもう振り返らないって決めたんだ。

「僕は、“現実”に負けたくないですから」

「……寝言ってのは、寝てから言うべきだと思うんだがな」

 あれ、なんだろ……長い髪の毛に隠れてわからなかったけど、一瞬拳聖さんの表情が……。

 それに、一瞬感情があらわになったような……。

 おっと、そんなことより、早く行かなく――

「お兄ちゃんは、何にも思わないの?」

 玲於奈は拳聖さんの前に仁王立ちすると、悲しそうな目で拳聖さんを見た。

 え?

 ちょっ……。玲於奈に腕を掴まれた僕は、拳聖さんの前に引き寄せられた。

「玲はね……お兄ちゃんに……リングの上で戦うお兄ちゃんの姿にあこがれて、わざわざこの定禅寺西高校を受けに来たの。本当に痛い思いまでして、部の再開を夢見てがんばってるの」

「えー、まじー?」「拳聖くん、ボクシングやめたんでしょー?」「拳聖をへんなことに引っ張り込むの、やめて欲しいんだけどー」

「うっさい! あんたらは黙ってろ!」

 玲於奈の悲痛な叫び声は、周りの女の人たちの口をふさいでしまった。

 玲於奈……泣いてる、の?

 玲於奈は顔をぐじぐじとこすると、拳聖さんに向かって言った。

「お兄ちゃんがボクシングをやめて、その女たちと好き勝手遊んでたいってんなら、あたしはもう何もお兄ちゃんには期待しない。だから、好き勝手にすればいい。だけど――」

 きっと顔を上げた玲於奈の頬を――水晶のように美しい涙が伝った。

「だけどこいつはね! 本当にお兄ちゃんみたいなボクサーになりたいと思ったの! こいつの純粋な気持ちをバカにするような真似はやめて!」

「悪りぃな。けど、お前らがなんと言おうと、俺は――」

 ――バシッ

「つう……」

 気がつけば、玲於奈の右手のひらが拳聖さんの左頬を張っていた。

「玲於奈! ちょ、なにやってんのさ!? いくらなんでも――玲於奈?」

 怒りと悲しみの中に、困惑が浮かんだ複雑な表情のまま、玲於奈はその場に立ちすくむ。

「れ、玲於奈! いいから早く行くよ!」


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