憂鬱な中で時間はあっという間に過ぎ去り、今日は日曜デートの日。
僕は朝早くからたたき起こされて、メイクに着替えに大忙しだった。
ちらり、僕は校門の影を確認する。
グッ、サングラスをかけて変装した玲於奈と美雄が親指を立てる。
何かあったらすぐに助けてくれるって言ってたけど……。
ワンピースって、結構スース―して寒いんだな……。
いくら春先でも、こんなの着て風邪ひかないの?
このウィッグもなんだか気になるなあ……。
口紅とか、これでどうやっておかしとか食べんの?
美雄のお姉さんは「すごく似合ってる」って言ってくれたけど……。
女装やお化粧が似合ってるなんて言われてもちっともうれしくないんだよ!
「よっ、レイコちゃん、だよな? 待たせて悪かったな」
……?
誰かが――いやいやいや……本当に――
「ど、どなたですか?」
「ん? あのガキどもから俺の写真見せてもらってるはずだよな。俺だよ俺」
もしかして――
「初めまして、ミ・デスティナード」
「い、石神さんっ!?」
ちらりと二人を見れば、表情は確認できないけど全身が固まってるのが見える。当然だ。何度も目を疑ったもの。だって、見た目が全然――
「あ、あの……な、なんだか……佐藤君からお伺いしていた印象と……」
「落としたんだよ、一週間で。十五キロな」
まじで?
人間って、そんなにすぐに体重落とせるものなの?
「もともと俺は太ったように見えてしっかりと筋肉は残ってたしな。代謝が半端ねえから、落とそうと思えばいつでも落とせんだよ」
鼻高々の石神さんが丸太のような腕でシャツをめくると、完璧に割れた腹筋が覗いた。
「へっ、すげえだろ。しっかし――」
石神さんのじっとりとした視線が、僕の体中を行き来しているのがわかる……。
「――かわいいぜ。ミ・デスティナード」
ええええええええ?
「そ、そんなことないですっ! か、かわいくなんて――」
い、いやっ!
ちょ、ちょっと!?
ち、ちがう!
そ、そこは僕のお尻です!
右手が僕の髪の毛をさわさわとなでて――
「おっと、そんなに緊張しなくてもいいんだぜ。大丈夫さ、俺は女性の意に反するようなことはしない主義なんだ。積極的だが女性を大切にする、それがラテン男のモットーさ」
ああ、なんかすごく怖かった……。
無理矢理迫られる女の人の気持ちがちょっとわかった気がしたよ。
ん?
僕の背中に何か当たったような。
石ころ?
玲於奈と美雄がなにかを合図している。
そ、そうだ。美雄が言ってた、男が引く女の特徴、それを実践するんだ!
「い、石神さんこそ、格好いいですにゃあん」
「にゃ、にゃあ?」
僕は右手を猫のようにして言った。
どうだ!
語尾に“にゃ”をつけて自己演出する、オタサーの姫的な痛い女だ!
「す、すごく男らしくて、格好いいにゃ!」
ふふふふ……石神さん困ってるぞ。
石神さんはきっと派手な女の人とか好きそうだから――
「“ガータ”……」
ひいいいいいいいいい!
いやああああああああ!
か、髪の毛をなでないでぇ!?
「かわいい子猫ちゃんだ。こんなかわいい仕草を見せる女の子、俺の人生にはいなかったぜ」
れ、レアもののとして気に入られてるしっ!
「心配ないさ。子猫がどれほどセクシーか、知らないほど俺はガキじゃない」
た、助けて、玲於奈、美雄――って、何で馬鹿笑いしてんだよっ!
――
古い水族館、ベンチに座る僕の肩をつつく人。
振り返るまでもない。
「玲於奈……美雄……」
「石神はどこに行ったのよ」
「トイレ……ていうか、なんで助けてくれないの!? いろいろ危なかったんだよ!?」
「いやぁ、なんだか……いい感じの恋人同士みたいだったから、声かけづらくってさ」
「ちょっと! 美雄まで馬鹿なこと言わないでよっ!」
「けど、なんか懐かしいわ。ものすごく久しぶりだわ。“ミトシー”」
「い、一体何だよ、“みとしー”って?」
「はあ? あんたまた全静岡県民を敵にする言葉を口にしたわ。あんたもこの静岡で暮らしていくんだったら、“ミトシー”くらい覚えておきなさい」
腕組みをして美雄が頷いた。
「この三津シーパラダイスのことだよ。しっかし懐かしいな。昔と全然変わらないな」
「あたしもよ。昔はよくお兄ちゃんに――」
「ちょっと! 僕を置いて地元トークはじめないでよ!」
ああもう!
僕のことなんかどうでもよく、単純に遊びたいだけなんじゃないのか?
「それで、この後あんたたちはどうする予定なの?」
「えっと、水族館出た後、石神さん行きつけのうなぎ屋に行くっていってたけど……」
え?
な、なんでそんな顔を見合わせて複雑な表情なの?
「うなぎ、ねえ……まあ、考えすぎだとは思うけど……うん、俺は大丈夫だと思うよ」
「ま、いいんじゃない? いざとなればその寸前になって男だって気がつくはずだから」
その寸前?
どの寸前?
「いやまてよ……アレだけのパワフルな感じの男がうなぎなんか食べようものなら……」
「そうね……いっそ男相手でも、って……」
「ちょっと待って! 一体君たちは何の想像しているの?」
「これもボクシング部のためよ。いざとなったらあんたのうなぎでも食べさせてやりなさい」
「ぼ、僕のうなぎって何だよ!」
「まあ言うじゃない?“パンがなければお菓子を食べればいいじゃない”って。女に飢えたあいつなら、おいしく召し上がってくれるわよ。じゃ、あたしたちは水族館まわってるから」
「おっ、いいね。じゃあね、玲。何かあったら電話くれればいいから」
「ああっ! ひどいっ! ひどすぎるっ!」
結局玲於奈と美雄は、僕を置いてけぼりにして、連れ立って水族館の奥へと消えていった。くそう……人でなしどもめ……。仕方ない、石神さんが帰ってくるのを待って――
「カーノジョッ」
ひいっ!
い、石神さん……じゃない!
こ、この人達は――
「ねえカノジョ。こんな水族館にたった一人でいるなんてどうしたの?」
そうだ!
あの時の……玲於奈にちょっかいをかけてた不良達だ!
「そうそうそう。サメに襲われてぱっくり食われちまうぜ?」
ちょ、ちょっと!
う、腕をつかまないでよっ!
そもそも僕は男だしっ!
もし女装していることがばれたら――僕は大切な何かを失ってしまう気がするっ!
な、なんでこんな時に玲於奈も美雄もいないんだよっ!
「てめえら、何してくれてんだ?」
もしかしてこの低くて渋い声は――
「ああん? 誰だてめえ。引っ込んで――」
「――お、おい待て! も、もしかしてこいつ――」
「え? こ、こいつは……い、石神拳次郎!?」
へ?
な、なんでこの人達、石神さんのこと知ってるの?
「あいつが……“石の拳”“マノス・デ・ピエドラ”……」
「ってことは……あいつがあのこの辺一帯を閉めていたチーム、“ザ・ブレード”をたった一人で壊滅させたっていう……」
石神さんはベレー帽をとって髪をかきあげた。ぽきり、指を豪快に鳴らす。
「だったら知ってるよな? 俺を怒らせたらどうなるかってのを。今なら許してやる。だがこれ以上その人に触れようもんなら――」
「うわあああああああっ」
不良たちは一目散に逃げだした。