前方から姿を現したのは、何人かの女の子と一緒に、楽しそうにおしゃべりしながら歩く拳聖さんだった。
「お楽しみじゃない、お兄ちゃん」
ギロリ、と鋭い視線で嫌味を口にする玲於奈。
「大丈夫だ。お前が想像してるようなことは、あれから一度もしてない」
「どうだか」
玲於奈は不機嫌そうに、ぷい、と顔をそむけた。
「この子拳聖の妹さん? かわいいじゃん」「後ろの男の子もかわいいねー。彼氏?」
へ?
い、いやいやいやいや!
違います、お姉さん!
「はぁ? 馬鹿げたこと言わないでよ。あんたたちには関係ないでしょ?」
玲於奈の憎まれ口に、女の人たちは苦笑する。
けど、この人たちみんな美人だなあ。
一人ひとりタイプが違うんだけど、とにかく綺麗な女の人だってのはわかる。
それに……うん、拳聖さんの好きなタイプってこう……胸元の、ねえ?
「悪いけど、あたしたちは今お兄ちゃんにかまってる暇ないんだから」
敵意をむき出しでそう言うと、玲於奈は僕の右腕をつかんで引っ張った。
「あたしたち、ボクシング部を復活させるので忙しいの」
「ボクシング部を……復活?」
拳聖さんの眉間が、ほんの少しだけピクリと動いた。
「ええそうよ。これ、イシちゃんがあたしたちを信用して預けてくれた部室の鍵よ」
そう言うと、僕のポケットをまさぐり、キーホルダーを取り出した。
「五人集めて対抗戦で勝てば、ボクシング部を復活させることができるんだから」
「対抗戦って……興津とのか」
玲於奈は勝ち誇ったように胸を張る。
拳聖さんのその表情はうかがうことはできなかった。
「ボクシング部が復活したときは、お兄ちゃんも戻ってきてもいいのよ?」
「好きにするがいいさ。そんなくだらないものより――」
そう言うと、拳聖さんは両隣にいた女の子の肩を抱き寄せた。
「な……」
唖然として体を硬直させる玲於奈の目の前で、拳聖さんは右隣の女の子の耳元に口づけをする。
女の人は、照れながらもどこかうれしそうだった。
「俺は今、こいつらとこうしてるのが一番良い」
「な、な、な――」
玲於奈の顔は、破裂しそうなほどに紅潮した。
「何やってんじゃあああああああああああああああああ!」
「ちょ、れ、玲於奈落ち着いて!」
や、やばい!
早く止めなくちゃ血の雨が降る!
「“現実”を受け入れることも大切だと思うがな」
そう言うと玲於奈の頭をポンポンと撫で
「ま、せいぜい頑張りな」
僕に小さくウィンクをして通り過ぎた。
「あーん、待ってよぉ拳聖ぃ」
艶めかしい声を上げる女の子が、その後に――ガクン「きゃっ?」
え?
な、なんで女の人が前のめりに転んじゃってるの?
「逃げるわよ玲!」
足を引っかけてその女の子を転ばせた玲於奈が、僕の手を取って一目散に駆けだした。
「な、な、な、なんてことするのさっ! い、い、いくらなんでもやりすぎでしょ?」
「何がやりすぎよ! たかだかJKがローリングしただけでしょ? 何てことないわよっ!」
「そんな某ファンタジー小説の作者の名前みたいに言われてもっ!」
――
「なんなのよあの女ども! ちょっと位背が高くて胸がでかいからってさあ!」
僕がご飯を作っている間も、ご飯を食べている間もずっと、玲於奈はぶつぶつ恨み節。
二つも三つも“あげ潮”を口に放り込むと、ミルクティーで流し込んだ。
「あたしだって……絶対そのうちたゆんたゆんになるはずなのに……」
うーん……拳聖さんもスリムな感じだから、たぶんそっちの方面は……。
「何としてでもあのイベリコブタを対抗戦出場させてやるっ!」
やる気を出してくれたのはいいんだけど、はあ、けどどうしたらいいんだろうな。
「こうなったら学校中の男たちひねり上げて、女紹介しろって脅しつけてやるわ!」
「ちょ、ちょっと! そんな物騒なことしないでよ! ただでさえ君は男の制服着てるくせに、女の子だってこと隠そうとしないんだからさ!」
「何言ってんのよ。そもそもあんたが女のあたしが着てもぴったりな制服着るくらいきゃしゃなのが悪いんでしょ?」
「そんなのめちゃくちゃだよ! 大体、僕は君が僕の制服勝手に着ること――」
な、何? 何にやにや笑ってるの?
なんだか悪魔みたいなんですけど……。
「やっぱりあたしって天才ね。良く考えたら、ものすごく簡単なことだったのよね」
な、何かものすごく……ものすごく嫌な予感がする!
ここにいちゃいけない!
「さらばっ! って、いたたたた! う、腕の関節はそっちには曲がらな――」
「さ、今からあたしの言うことには“イエス”か“はい”以外の返答はいらないわ。大丈夫。天井のシミの数でも数えていれば、すぐに済むわ」
「え? ちょ、だめだっ――や、いやっ、そんなこと――い、いやあああああ!」
※※※※※
「石神さん」
放課後の食堂、一試合終えてアイスクリームを楽しむ石神さんの前に僕は座った。
「おう、ここに顔を出すってことは、それなりの解答を期待していいんだろうな」
無言でスマホの画面を示すと、石神さんの表情が固まる。や、やっぱり駄目だよな。
け、けど……うん、正直に言う。正直、かなりほっとした。
「お、お気に召さなかったみたいですね……。ではまた別の――「――“エル・デスティナードォオオオオオ”!」」
へ?
ちょ、いたたたた!
そんなに強く肩掴まないで!
「よくやったガキ! ドストライクだよ!」
マジで?
「じゃ、じゃじゃあ……石神さん、対抗戦に……」
「会わせろ」
「へっ?」
「この“エル・デスティナード”とデートさせてくれたら対抗戦でてやるよ」
「えええええええ?」
「あ? なんでそんなに驚いてんだ? デートさせろって言ってるだけじゃねえか」
そ、そりゃあ驚く……っていうか、無理ですって!
だ、だってその子――
「ええ。当然OKよ」
え?
玲於奈?
「石神先輩とデートできるなんて、きっとその子も喜びます」
なんで美雄まで?
「そうか」
そう言うと石神先輩は、ガンッ、テーブルを叩いた。
「一週間後だ」
へ?
「来週の日曜日、十時にこの学校の校門で待ち合わせだ。この子……名前なんてんだ?」
ええええええええ? ちょ、ちょっと、いきなり?
「あ、あの……いくらなんでも――「――了解。伝えておくわ」」
ちょっと玲於奈!
「あ、名前は“レイコ”って言うから」
ふんっ、鼻息荒く石神さんは立ち上がる。
「おう。“ミ・デスティナード”、レイコに伝えておけよ。それじゃあな」
そう言うと石神さんは、巨体を揺すって食堂から出ていった。
「ちょ、ちょっと! どうするんだよこの状況!」
「はあ? あたしのナイスアイデアのおかげでしょ? ありがたく思いなさい」
「ああ。これで目標に一歩近づいたってわけだ」
「っていうか、何で美雄までここにるの?」
「玲於奈からいろいろ事情を聞いてさ。面白そうだからついてきた」
お、面白そうって何だよ!
「ちょ、ちょっと美雄?」
「へー、なかなかかわいいじゃん」
勝手に僕のスマートフォンとり上げないでよ!
「でっしょー? どう? あたしのメイクの腕前は」
こら二人とも! 見つめ合って笑わないのっ!
「髪の毛はどうやったんだ?」
「あたしの写真トリミングして加工して合成したってわけ。あたしって、天才よねー」
「へー、なかなか大したもんだ。しかしわからんだろうなあ。これが――なあ」
「うん――」
そう……。
「――玲だなんてね」
この写真は僕……。
昨日無理やり玲於奈に化粧をさせられて、玲於奈の持っていたキャミソールを着させられて無理やり写真を取られてしまったんだ……。
「これで決まりね。玲、あのイベリコブタとデートしてきなさい」
「無茶言わないでよ!」
「良く考えれば、最良の方法じゃん。俺らの友人関係にもひびが入らないし、ボクシング部再始動の夢にも近づく、一石二鳥じゃね?」
「ところで、デート用の服はどうしようかしら。あたし、家出の時必要最低限の服しか持ってきてないんだけど」
「あ、俺がなんとかするよ。姉貴がスタイリストやってて、家に色々衣装置いてあるから」
「勝手に話進めないでよ! 今後石神さんとお付き合いとかしなくちゃいけないわけ?」
「……あ、あんたそう言う趣味があったの? お兄ちゃんを見る目が怪しいとは思ったけど」
「ちょ、ちょっと誤解しないでよ! そんなわけないでしょ!?」
「大丈夫大丈夫。わざと嫌われるとか、引っ越すとか、適当に言っとけば何とかなるさ」
「これ以上つべこべ言わないの。じたばたしないで、静かな気持ちで日曜日を迎えなさい」