「くわぁ……と。午後の英語二連チャンは、結構ヘヴィーだな」
悠瀬……じゃなかった、美雄があくびを一つ。
もうその顔には、メガネはない。
「あはは、美雄もそんなこというときあるんだ」
「玲はなんだかいつもより元気じゃん。そんなに俺がボクシング部加入が嬉しかったわけ?」
「うん、それもあるんだけど……実はさ……」
――
「あ、あのさ、お前等……一緒に住んでるの?」
ん?
ま、まさか、へんな誤解されてない?
「ち、違うよ! そういうんじゃ! いま拳聖さんと玲於奈、喧嘩中だから――」
な、なんで急に耳打ちするのさ……。
ゴショゴショゴショ「……あ、あのさ、お前等……」
「な、何?」
ゴショゴショゴショ「……もしかして……もう……ヤった?」
「……はっ? な、何のこと? 君は何を言ってるの?」
「何ってほら、アレ、だよ。つーか言わせんなって、恥ずかしい」
「ひ、肘でつつくのやめてよ! ただ玲於奈は今一時的に僕のマンションに同居してるだけだから! それだけだよっ!」
まったく……変な勘違いされても困っちゃうんだけどなぁ……。
「そんなことよりさ、美雄のほうはどう? 誰か見つかりそう?」
「予想以上に厳しいな……俺も知り合いは、特進にしかいないし……」
くせになっていたんだろうか、眼鏡もないのに美雄は眉間を人差し指で抑えた。
「それに、ただでさえこの辺の人間には悪評立ってるしさ」
――ガタガタッ、ガラッ
「遅い! 三分も遅れてるじゃない!」
「れ、玲於奈!? 今日も中学サボった――ぐえっ……ネ、ネクタイ引っ張らないで……」
「玲於奈……さすがにここまで堂々と学校の中に入り込むのは……」
「あら美雄じゃない。今日もあたしたちは部員集めをしなくちゃならないから。それじゃ」
呆然と見送る美雄を尻目に、まるで足腰立たない老犬を引っ張るかのようにして、玲於奈は僕を引きずって行った。
――
「ちょ、ちょっと待ってよっ!? わ、わかったからそんなに引っ張らないでって!」
「何悠長なこと言ってるの? バカなの? 死ぬの? 残り時間は長いようでほとんど残されてないのよ!? じじいのラジオ体操の方がまだスピーディーよ!」
なんで次から次へとこんなに罵倒する言葉が出てくるもんだよっ!
「とにかく落ち着いてよっ! 確かにその通りだけど、ただやみくもに探したところで――」
「ふふん、っまあ、普通の人ならそう思うでしょうね。けど、この絶世の美少女玲於奈さんに手抜かりはないわ」
そいうと、玲於奈はがさごそとくしゃくしゃのプリントをポケットから取り出した。
「これはね、去年のインターハイの組み合わせと結果よ」
「それはいいんだけど、これが何の関係が?」
「あんたって本当に鈍いのね。この優勝者の名前と高校を確認してみなさいよ」
うーん、あの時あの場にいたはずなのに、いまいち覚えて……って、ん?
「鈍いあんたにしては、気がつくの早いじゃない。そう。定禅寺西高校のインターハイ優勝者はお兄ちゃんだけじゃなかったのよ」
「この人……まだ一年生だ。てことは……今二年生にいるって事か! 名前は……えっと……石神……拳次郎でいいのかな?」
「そっ! 大正解! 一年生でインターハイライト級を、しかもお兄ちゃんもできなかった全試合ナックアウトで優勝しているわ! まずはこの男を捜して勧誘するのよ!」
「けど石神さんって今二年生だよね。どのクラスいるか調べないと」
「このあたしが何にもしないとでも? あんたがちんたら勉強している間に調べたわよ」
「すごいじゃん! どうやって調べたの?」
「学校中の下駄箱の名前探した」
「結構すぐに調べられそうじゃないか……それまで何やってたんだよ……」
「あんたんちにおいてあったゲームずっとやってた」
「単に遊びに飽きただけじゃないか!」
「うるさいわね。結局あんたが授業終わらなくちゃ行動できないんだから同じことよ。あんたもまたマニアックなゲームやってるのね。なにあれ、二次元アイドルのリズムゲーム?」
「ほ、ほっといてよ!」
「とにかく、そんなくだらない会話している場合じゃないわ。さっさと探しに行くわよ」
「はいはい……わかりましたよ……」
って、まてよ……。
「あのさ……石神さんのクラスって……」
「二年F組よ」
――
「何もじもじしてんのよっ! さっさと行きなさいっ!」
「お、お願いだから、も、もうちょっと! もうちょっとだけ心の準備をっ!」
だって……F組って言ったら……。
「た、体育科のクラスだよ!? なんていうか……怖いって言うか……」
スポーツをメインに高校生活を送っている人たちの集まりだ。
僕みたいなオタクにはハードルが高すぎる。
けど玲於奈は、僕の気持ちなんてまったく無視で体育科に放り込もうとする。
「ビビッてないでっ! さっさと! いきなさいっ!」
「あわっ?」
てててて……また転んじゃったよ……本当に強引なんだから――って?
「よう、大丈夫か?」
「ひっ?」
無理やり教室に放り込まれた僕の顔を、坊主頭の気合のはいった感じの人が覗き込んだ。
「お前、一年生か? こんなところに何の用だよ」
坊主頭の人はそういうと、右手を差し出してくれた。
「あ、あと、あのですね――ひゃっ?」
うわっ!
その人はその手にこたえた僕の体を軽々と引っ張りあげた。
すごい力だな……。
「す、すいません。あの、人を探してまして……。石神拳次郎、さんなんですけど……」
僕がそう訪ねると、その野球部っぽい人はきょろきょろと周囲を見渡す。
「……いねえな……よォ、拳次郎どこ行ったかしらねえか?」
「おお? 拳次郎なら、またあそこ、学食じゃね?」
「そういやそうだな……ってことだ。たぶん学食にいるから、行ってみな」
――
「ほら、スムーズに聞きだすことができたじゃない。いちいちヒビらなくてもいいの」
学食までの廊下、玲於奈はえらそうに胸を張った。
「そんなこと言っても……まあ、そうだね……」
見た目より優しい人がいるんだな、体育科って。
「そんなことより、石神さんって人、どんな人だか知ってるの?」
すると玲於奈は、ポケットから写真を出して見せた。僕はその写真を受け取って確認する。
「インターハイの集合写真。お兄ちゃんの横で腕を突き上げてるのが石神よ」
「へー、結構格好いい人なんだね」
ちょっとウェーブのかかった黒髪に、ばたばたと長いまつげ、ウィンクも陽気に笑顔を見せる。
拳聖さんとは違ったタイプのワイルドな感じのイケメンで、外国の俳優みたい。
「そんなに背は高くないけど、いかにも筋骨粒々って感じだね」
「確かラテン系のクォーターって聞いたわ」
――
そういえば、学食って初めてきたかも。
体育科とかの人がたくさんいて、ものすごく競争率が激しいって聞いたから、僕は毎日お弁当持ってくることにしているから。
「拳次郎? 拳次郎なら、あそこでバトってるぜ」
バトってる?
戦ってるって事?
その親指の方向を見ると、黒山の人だかり。
……もしかして漫画とかでよくある、男達が拳をかわして学年の番長を決めるとかそういう……。
「いけー拳次郎! やったれやぁ! お前に二千円かけてんだからなぁ!」
「光岡ぁ! そこだそこ! 手ェ抜いてんじゃぁねえぞ!」
よし、今度こそ、玲於奈に言われる前に自分からきちんと言い出さなくちゃ。
「すいません……ちょっと……ちょっと、通してもらえませんか……」
や、やっぱりこれだけ男の人が並んでると……もうなんだか……身動きが――
「んしょっと! あの、す、す、すいません! 石神――」
――ガツガツガツガツ
「石神選手、カツ丼完食ゥ!」
あの人……誰?
「石神選手、ラーメン入ります!」
頭がもじゃもじゃの、でっぷりと太った無精ひげの男が、しょうゆラーメンをむさぼる。
「あ、あのぉ……」
僕は隣で声援をあげている一人の先輩に訊ねた。
「えっと……あの人……いったい誰ですか?」