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第12話

 わめき続ける玲於奈の腕を引っ張り、ようやく階段の踊り場にまで引っ張り上げた。

「はあ、はあ……いい加減にしなよ! 君が出てきたらいろいろややこしくなっちゃうだろ!?」

「それはそれこれはこれよ。ま、あんたが勇気出して一歩前に踏み出さなきゃ、ボクシング部の部室の鍵なんかもらえなかったんだから。それくらいは、あたしも褒めてあげる」

 褒められたのはいいんだけど、何でそんなに上から目線なんだろ。

「そんなことより、石切山先生が言ってたのって、あれ出場資格のある階級だよね?」

「まあ、そうだけど。あんた、知ってるの?」

「フライ級は四九キロから五二キロまで、ライト級は五六キロから六〇キロまで、ライト・ウェルター級は六〇キロから六四キロまで、ウェルター級は六四キロから六九キロまで、一番重いミドル級で六九キロから七五キロ……どうしたの? そんなにぼけーっとして……」

「い、意外ね。あんたの口から、そんなにすらすら階級とその体重まで出てくるなんて……」

「あははは、それなりに勉強していたからね、ボクシングのこと。けど――」

「そいうこと。それぞれの体重にかなった、それでいて一ヵ月後の交流戦に間に合わせることのできる人間を探さなくちゃいけないってわけ」

 そっか。

 部を復活させるためには、五人の部員を、しかも対抗戦で三勝できるだけの実力を持ったボクサーを集めなくちゃいけないのか。

 いったいどうした――ぐえっ

「なに情けない顔してんのよ!? 躊躇せずに進まなくてどうすんのよっ!」

「わ、わかった! わかったってば! とにかく、部室に行かない? 玲於奈は、ボクシング部の部室見たことないでしょ? せっかく部室の鍵預かったんだからさ」

玲於奈にも知っておいて欲しいんだ。僕たちが立ち向かわなければならない“現実”を。


――


「なによこれ……」

 目の前に広がる廃虚に玲於奈は顔をしかめて眉を顰め、唇をかみしめた。

 玲於奈は窓際の、ボヤで真っ黒にすすけた壁の前に膝をついた。

「このグローブ……わかる……すごい使いこまれてたんだよね……なんで……」

 そういって、そして病気の赤ちゃんを抱くように、愛おしそうにグローブを抱きしめた。

「グローブってね、それを使ってきたボクサーにとって、汗と血が染み着いた自分の分身、子どもみたいなものなの……。全てのボクサーは夢と希望を託すの……。それがこんな風に消し炭みたいになっちゃうなんて……ひどすぎる……」

「僕も石切山先生にこの惨状を見せられた時、すごく絶望したよ。玲於奈もそうじゃない?」

 こくり、玲於奈は両目を潤ませ、頷いた。

 けど玲於奈だってわかってるはずだ。

 今はどん底だけど、それでも希望はあるって。

 僕はポケットの中のメダルを力いっぱい握り締める。

「色々なものが僕たちに取ってアゲインストだけど、この部室は僕たちのスタートライン、希望をかなえるための基地なんだ。だから、頑張ろうよ玲於奈。ね?」

 玲於奈は右手の袖でぐじぐじと顔をぬぐった。それ僕の制服なんだけど……ま、いっか。

「ああもう! あんたみたいなバカ見ていると、悩んでいるのがばかばかしくなるわ!」

 ははは……煤けたグローブ抱きしめて、僕の制服、なんだか真っ黒になってるし。

あーあ、今度はクリーニング屋さんの場所も確かめなきゃね。

「いい? 今日は今からこの部室をぴかぴかにするのよ!」

「え? 今から? このぼろぼろのジ――ぐえっ」

「話し聞いてた? 刻一刻と対抗戦までの時間は過ぎていくのよ? 一分一秒だって無駄にできないの! わかったらさっさと支度する!」

「イ、イエッサー?」

 げほっ、げほげほっ、もう、乱暴なんだから。

 けど、ああやって落ち込まれちゃうと、なんだかこっちの気もめいってくるもの。

 むしろこれくらいのほうがいいよね。

「ところでこの部室に清掃用具とかはあるの? それに、どう見ても洗剤とかも必要ね」

「見たところ……モップとほうきくらいしかないね。あとは、バケツくらいかな?」

「そう、それじゃああたしは用務員室探して必要そうなものいろいろ探してくるわ。あんたはここにある使えないものまとめるとか、できることしっかりやっておくのよ」


――


「あーあ、ひどいなこりゃ……」

 ぼろぼろになったタオルやバンデージ、グローブなんかを、ビニール袋に入れる。

 これって全部、定禅寺西高校のボクサー達が、玲於奈の言うとおり汗と血を流したその痕跡なんだよな。

 なんだかすごく悔しい。

 石切山先生の気持ちがわかったような気がするよ。

「んしょ、っと……って、?」

 なんだろう、グローブの影に……もしかしてゴキブリ?

 じゃない、なんだろうこれ。

「これって……タバコの吸殻?」

 そうか、この部室のこの惨状は、そもそもタバコの失火でおこったんだっけ。

 けど、ちょっと、量が多すぎないか?

 しかもなんだか、真新しいのも混じっているような気がする。

 ――ガタッ

 扉が開け放たれる音に僕は振り返る。

 玲於奈……じゃない。

「えと……どなた……ですか?」

 乱暴に開け放たれたドアのほうを振り返ると、五人ばかりの男の人達が立っていた。

 みんな制服を着崩して、なんだかおっかない雰囲気を漂わせている。

「お前こそ誰だよ。こんなところで何やってるんだよ」

「あ、は、はい。あの、ボクシング部に入部して、それで合鍵預かって……それで……」

「ああ? ボクシング部に入部だぁ?」

 も、もしかして、この人たち、先輩かな?

けどこの雰囲気……もしかして……。

「あ! てめえ、見やがったな?」

 やっぱりだ。この人たちはここを溜まり場にしていたんだ。

「おぅ、合鍵渡してさっさといなくなれ。くだらねーこと考えてると痛い目見るぞ」

 僕は無意識の内にポケットに手をやっていた。

 落ち着け、玲。

 確かに、怖くて仕方ない。

 けど思い出せ、玲。

 玲於奈の悲しそうな、石切山先生の悔しそうな顔を。

「お断りします。今日から、ボクシング部の活動を再開させますから」

「活動を再開させるって……お前がか?」

「もし真剣にボクシングをするつもりがないのであれば、今すぐここを出て行ってください」

「てめーみてーなオタク野郎がボクシングぅ!?」「そうそう! てめーみてーな奴に勤まるほどボクシングは甘くねーんだよ!」「ぎゃはははっ! ほら、さっさと鍵渡して出てけよ!」

 こういう人たちにとっては、ギャグにしか映らないだろうね。けど――

「あなたたちみたいな人たちに鍵を渡すなんて、死んでもお断りです」

 男達の笑い声が止まる。

 僕みたいなオタクがこんな舐た口を叩いたら、そりゃ怒るよね。

 すごい視線だ。

 少し前の僕なら、怖くてしり込みして、許しを求めたのかもしれない。

「死んでも嫌ってことは……死ねばその鍵くれるのか?」

 僕なんかに勝てっこないけど、死んでも守り通してみせる。

僕のプライドにかけて。

「試してみたらどうですか?」

「じゃあしかたねえな、っと!」 

 ってててて……みぞおちに拳がめり込んだ。

 僕は思いっきり足払いを掛けられて、そして地面に引きずり倒された。

 けど、この体勢なら、左のお尻のポケットにある鍵は取り出せないな。

「おらっ!」「さっさっと鍵出しやがれ!」「死ねやこらっ!」


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