その建物は、お世辞にも立派とは言えない粗末な二階建ての木造住宅で、とても帝国の宰相が住んでいるようには見えません。経年劣化によりところどころ歪んでいて、屋根は端が崩れてボロボロになっています。
建物の近くにきて、やっとしのび足ができると嬉しそうに目を輝かせているミリアに、ゴドリックが小声で話しかけます。
「入口の鍵開けと内部の調査を頼む」
盗賊としての仕事ですね。実際にやるのはシルフですが、その方が遥かに信頼できるでしょう。
「うん、待ってて」
そう言って、念願のしのび足で入口に近づいていきます。命をかけてると言うだけあって、一切音を立てずに接近すると、シルフに合図を送る動作をしました。なんと扉を指差すだけです。それでシルフが全てやってくれるのです。
「罠はないみたい。中にいるのはユダ一人だけ。でもこちらに気付いて迎え撃つつもりよ」
シルフの報告を聞いて、パーティーは顔を見合わせました。彼等も気配を悟られるような行動はしていません。シルフの干渉に気付いたとなると、魔術のスキルは相当高いと思われます。そして逃げるのではなく迎え撃つつもりということは、腕に自信があるということ。
相手は世界最大国家の宰相ですから、甘く見たらこちらが全滅するかもしれません。ゴドリックが細剣を抜き、ガウェインが
「ユダ・タデウス、覚悟!」
ミリアが扉を勢いよく開け、短剣を中に向けて突き出しながら声かけをすると同時に飛び込んでいきます。これはちょっと危険ですかね。
「喰らえ、
部屋の中から男性の声がすると、竜の頭のような形をした黒い塊がミリアに襲いかかります。これは闇の魔法、それも闇エルフが使う強力な攻撃術です!
「危ない!」
ゴドリックが叫ぶと、手にした細剣が赤い光を放ちます。目にも止まらぬ速さでミリアの前に立ち塞がると、闇の顎を刃で受け止めました。切り裂こうとしたのですが、そう簡単にはいきません。
「ヴォルカー神よ、正義の鉄槌を!」
すかさずラーマが神に祈りを捧げると、杖から放たれた光が闇をかき消しました。
「助かったぜ!」
「ちっ、これでどうだ!」
中の様子が見えます。そこには予想通りのソフィーナ帝国宰相ユダが青い刃を持つ剣を構えています。これは……
小太りの中年男性は、その見た目からは想像もつかないほどの素早さで斬りかかってきました。嫌な気配を感じたのか、ミリアとゴドリックは地を蹴って後ろに下がります。
そこにガウェインが割り込み、両手剣でユダと刃を合わせます。
「気をつけて!
初めて聞く騎士見習いの声は高く澄んだ声でしたが、感動している間もなくユダとガウェインの
全身鎧のガウェインもユダ同様、見た目に反して素早く動き、二人は意外と広い室内を縦横無尽に駆け回りながら斬りつけ合います。
蒼銀剣は非常に硬くて軽く、魔力を増幅する効果まである最強クラスの剣です。具体的には宝石のダイヤモンドと同じ硬さがあり、竜の鱗すら切り裂きます。通常の剣で受ければ簡単に刃を砕かれるでしょう。ガウェインの武器も特別製のようです。
「なにこのおっさん、見た目詐欺でしょ!」
ミリアが素直な感想を述べながら、シルフに合図を送ります。すぐに強風が起こり、ユダを吹き飛ばそうとしました。
「ふんっ!」
ユダはガウェインの斬撃を受け流すと、迫りくる風を斬り上げます。その刃からは闇の波動が生み出され、風を切り裂くとそのままミリアに向かって飛んでいきます。
すぐにゴドリックがミリアを突き飛ばし、闇の軌道上から彼女を外すと、細剣を振り下ろしユダと同じように炎の波動を飛ばしました。
「甘いわ!」
それも身体を半回転させて最小限の動きでかわすと、今度はガウェインに闇をまとった刃で斬りつけます。
「正義の加護を!」
ラーマが杖をガウェインに向けると、彼の鎧が光を放ち闇を弾き飛ばしました。
形勢不利と見たのか、ここでユダが窓に向かって駆け出します。
「させるかよぉ!」
ここでゴドリックが細剣を顔の前に掲げ、祈るような姿勢をとります。
次の瞬間、彼の身体はユダの進行方向に移動していました。
「なにっ!?」
さすがに予想外だったのか、ユダがたたらを踏みます。そこにガウェインが接近し、ユダの剣を打ち払って取り落とさせました。
「シルフ、
ミリアが浮遊の精霊術を使うと、ユダはその場に浮き上がり、もがいても動けなくなります。
「ヴォルカー神よ、この悪党を捕らえたまえ!」
更にラーマが神に祈りを捧げ、光の檻でユダを閉じ込めました。これで闇魔法も使えません。
「ふう、
ゴドリックがやれやれといった様子で床に落ちた蒼銀剣を拾いました。
なんとか捕らえることに成功しましたが、この四人が全員ともかなりの使い手だったから辛うじて対処できただけで、並の冒険者だったら返り討ちにあっていたでしょうね。ユダはとんでもない強者でした。
「くそ……あと少しでモルング王朝を再興できたのに」
「なにそれ?」
悔しそうに呟いたユダに、ミリアが聞きます。確かヘルミーナが説明していたはずですけど、ミリアですからね。
「かつてソフィーナ帝国に滅ぼされたカーボ王国の王朝だよ。私はその末裔だったのだ」
「ふーん、どうやって再興するつもりだったの?」
「セドリアンに皇帝を非難させ、世論を味方につけて皇帝を退位に追い込めば次の皇帝は私になる予定だった。そこでモルング王朝の復活を宣言するという寸法だよ」
ほほう、思っていた以上に浅い考えで動いていましたね。そんな簡単にいくわけないでしょう。
「そうですか、あなたの計画は実につまらないですね」
入口から新たな人物が入ってきました。浅黒い肌にターバンで頭を覆ったその姿は、今まさに話題に上がった商人ギルドのマスターでありカーボ共和国議長でもあるセドリアンその人です。
「ブラッドレーからソフィーナ陛下がエルフと手を結ぶと聞かされましたが、それで私があの方を非難すると思ったのですか? あまりにも考えが浅い」
そうですね。もうちょっと何かあるのかと思ったのですが。
「あまりに可哀想なので教えてあげましょう。あなたはブラッドレーに利用されたのですよ、そのモルング王朝再興という夢をね。彼はハイネシアン帝国と共謀して、私を現在の地位から追い落とそうと画策しています。今まではなかなか尻尾を掴めませんでしたが、冒険者ギルドのおかげでなんとかなりそうです」
セドリアンはユダの目を見ながら淡々と語ると、ゴドリックに向かって一礼しました。あとのことは任せてユダを連れていけというメッセージです。これで彼らの任務は完了しました。
その日の晩にはユダはクレルージュの支部に連行され、パーティーは解散となりました。
依頼の成功を祝う宴を終え、ギルドのベランダでミリアとゴドリックが夜空を見上げています。
「なあ、お前のことを聞いていいか?」
「ほらね、私のファンになったでしょ」
ミリアが相変わらずの態度で自信満々の笑みを向けました。ゴドリックは微笑みを返します。
「ああ、そうだな。お前はすげえ奴だよ」
「……私はね、父親を探してるの」
すると、急に真面目な顔をしたミリアが自分のことを語り始めました。ゴドリックは黙って聞きます。
「トレフェロって知ってる? 最近、ハイネシアン帝国に滅ぼされたエルフの国。私はあそこで生まれたんだけど、生まれてすぐにオークにさらわれてね。色々あってそろそろ自分の親に会いに行こうと思ったら、滅んでた」
相当大変な目にあってきたと思われますが、その部分は「色々あって」で済ますところが彼女の強さでしょうか。
「逃げてきたエルフに、母親は天使みたいな女に殺されたって聞いたわ。一度も顔を見たことがないから何の感慨も湧かなかったけど、それなら父親に会ってみたいなって思って」
「……そうか。手伝えることがあったら言ってくれ。俺はだいたいここにいるからさ」
そう言ってゴドリックはミリアの肩を叩くと、自分の部屋に戻るのでした。
彼等の物語はこれからも続いていくのでしょうが、私が覗き見するのはここまでですね。エスカ様とソフィア様に事の顛末を伝えるとしましょう。