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ソクレースの影

 海の上で襲ってくる敵もなく、平和な航海が数日続いた。ヨハンはもちろんのこと、シトリンも長い船旅に退屈したようで、二人して甲板に出たり部屋に戻ったりしながら何か変化が起こることを期待している。


「退屈そうだね。若い子には刺激が足りないか」


 そんな二人の様子を見て、船長が話しかけてきた。ヨハンが暇そうにしていると過去の航海で起こった事件の話などをしてくれるので、二人はこのブタ族のことをすっかり気に入っている。エルフのシトリンがブタと仲良くするのは、本人達が思っているよりもずっと重大な事件なのだが、それが形になるのはもうしばらく先の話だろう。


「今度はどんな話っすか?」


「そうだね……あんたらは創造神ソクレースに興味はあるかい? この海の水は、ソクレース様が常に作り出して循環させているんだ」


「知ってる! この世界の裏側で生命の元になる水を作っている魚の姿をした神様でしょ」


「へー」


 神話か始まったので、ヨハンは反応が薄くなった。彼には神様の話よりも冒険活劇の方が楽しいのだ。だがそんなことは船長も分かっている。ニヤリと笑うと、話を続けた。


「そのソクレース様が、定期的にこの海に姿を見せるのさ。私も一度お会いしたことがあるけど、とても大きくて、頭を島かと思ったほどさ」


「あんな感じっすか?」


 船長の話を遮り、ヨハンが海の向こうを指差す。


「そうそう、あんな感じで頭を出して……って、出たあああああ!!」


 ヨハンの指差した方向に目を向けた船長が、海の中からせり上がってくる島のように巨大な魚の頭を目撃して叫び声を上げた。


「あれがソクレース様なのね。まさか創造神にお会いできるなんて!」


「でっけーっす!」


 シトリンは感激し、ヨハンは無邪気にはしゃぐ。だが船長は青い顔をして船員達に指示を出し始めた。考えてみれば当たり前のことだが、島と間違えるほどの大きな魚が海中から顔を出せば、それだけ巨大な波が生まれる。特に攻撃を受けなくても、ソクレースが少し動いただけで船が転覆して全滅する危険があるのだ。


「あんた達、早くどこかにつかまらないと海に放り出されるよ!」


 もう既に船は大きく揺れ始めている。ソクレースが完全に頭を出す頃には船の高さの十倍以上はある波が連続して襲いくるだろう。甲板でヘラヘラしている二人などは、あっという間に海の藻屑だ。だが、不思議なことにヨハンとシトリンは揺れを感じていないように平然と立っていた。


「あれ、なんか光ってるよ」


 周囲の様子を不思議そうに見ていたシトリンが、ヨハンの腰に差してある剣を見て言う。勇者の証である光の剣だ。その柄と鞘の間から何やら光が漏れている。ヨハンが剣を鞘から抜くと、剣身ブレードから柔らかな光が溢れるように広がっていき、船全体を包み込むと先ほどまでの揺れが嘘のように静かになった。海を見ると船は空に浮いているわけでもなく波に揺られているのだが、乗っている者達は揺れを感じない。船自体も痛むことはなさそうだ。


『久しぶりに見たな、その剣』


 不思議な声が響く。重低音で大音量の声だが不思議と優しく鼓膜を震わせ、不快感は一切なかった。すぐに全員がソクレースの声だと理解する。


「やっぱこの剣、すごい剣なんっすか?」


 創造神が相手でもヨハンの態度はブレない。海から顔を出した巨大な魚は、ヨハンの言葉に口を開けて答えた。


『その剣はかつてエルフの英雄がパズズを倒した時に使ったものだ。トゥマリクの力が込められているから、今もそうやってお前達を守っているだろう?』


 ソクレースの説明を聞いて、ヨハンとシトリン以外の者はとんでもない話を聞いたという顔で光る剣を見つめている。シトリンはやっぱりそうだったのかと、どことなく得意げな顔をして頷いていた。


「それで、神様は何をしてるっすか?」


『今ここにいる私は、創造神ソクレースの影だ。本体は今も世界の裏側でドンケルハイトの残骸をリヒトブリクに変換し、この世界に供給している』


 ソクレースの影が語る言葉の意味を知る者はこの場にいない。誰もが、神はいったい何を話しているのだろうと顔を見合わせる。


「ドンなんたらってなんっすか?」


『ドンケルハイトは闇の結晶。この世界で命を落とした生物の身体から抽出され、破壊神が集めて力の元としている。奴が生み出した生物や鉱物は、やがて朽ちて土に還り、川の水に運ばれて海に流れ、この私が集めて世界の端から水と共に落とすのだ』


「世界の端から……ですか?」


 見た者はいないが、この世界の端は滝のようになっていて、海水がずっとそこから流れ落ちているという。それで減った分の水をソクレースがまた世界に供給しているという話だ。


『ああ、そこで本体の方が受け取り、光の結晶リヒトブリクに変換するのだ。リヒトブリクは世界に水と共に満ち、新たな命を生み出す元になる。闇と光、どちらの結晶も世界に生命と物質をもたらす材料なのだ。テュポーンがドンケルハイトを使い、私がリヒトブリクを使う。テュポーンに生み出された命は闇の軍勢となり、私に生み出された命は光の軍勢となる』


「なるほど、そういうことっすか!」


 ヨハンが全てを理解したかのような返事をするが、おそらくなにひとつ理解していない。


「とんでもない世界の秘密を知ってしまったような気がするのですが、光の剣を持つヨハンはやはり特別な存在なのでしょうか?」


 シトリンが願望混じりの質問を投げかけるが、ソクレースの影は淡々と答える。


『特別な存在などというものはない。我々神も含めてな。誰かがその者を特別だと思っていれば、その者は誰かにとっての特別になる。ただそれだけのことだ。――私が声をかけたのは、頭の上に懐かしい気配を感じたからだよ。トゥマリクが君達を守ってくれると分かっていたしな。この図体でうかつに顔を出すと命を奪ってしまいかねないのでね』


 そこまで話すと、ソクレースの影はまた海に沈んでいった。自分の役目を果たさなくてはならないということだ。船の乗員は、このとんでもない邂逅にしばらく興奮冷めやらぬ様子でわいわいと騒ぎ続けるのだった。

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