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第32話 人違い

 伯爵様はわたしに罰を与えなかった。

 今まで通り、わたしにも孤児院に対しても、よく接してくださる。


 温泉計画は順調に進んだ。

 人がわらわらとやって来て、工事が進められている。

 そうだったのに、何かの知らせに顔を真っ青にしてお屋敷にすぐに帰らなければいけないと言った。先生に話して、お医者様とメイドをひとりつけ、お嬢様を孤児院に預けると言った。

 ええっ?

 お嬢様は大喜びしている。

 わたしたちの生活に慣れ親しんでいくお嬢様。

 とても身体が弱いようには見えず、わたしたちと同じ作業をこなしている。




 カーテンの隙間から陽の光が入ってきた。

 うっすら目を開けると、お嬢様が横向きになってわたしを見ていた。


「おはようございます。目が覚めてたんですか?」


「ええ。からだがとっても楽なの。だから朝がまちどおしい!」


 お嬢様は元気に飛び跳ねて起きた。

 わたしは両眼を擦った。

 ふあーっと大きなあくびが出る。


 お嬢様が手に取ったのはわたしの孤児院のワンピースだ。

 わたしに取ってくれようとしているのかと思ったけど、それを着ようとしている。


「ソフィアお嬢様、その服はわたしのです」


「取り替えっこしましょ」


「え。嫌です」


「なぜ? メイはこういう服とってもにあうわ。私はこっちのワンピースが気にいっているの。動きやすいんだもの!」


「メイドさんに言って、動きやすい服を出してもらえばいいんじゃないですか?」


「ダメよ。まだ朝早くて寝ているわ。起こすのかわいそうだし。ねー、ポッサムは朝早くなら巣にいることが多いのでしょう?」


 それか。

 ポッサムは臆病だから。日中、子供たちが川原に来ることが多くなったからか、どこかに出かけているみたいなんだよね。子供たちが見える時は巣に近寄らない。でも巣を使った跡があるから、住処は変えていない。


 お嬢様は朝食前にポッサムを見に行きたいみたいだ。

 服の取り替えっこも、わたしはもちろん断ったけど、聞いてくれるようなお嬢様ではない。強引に押し切られ一緒に川へ行った。

 お嬢様はどうしてもポッサムを見てみたいらしい。


 巣の前のところで、お嬢様と手を取って一緒に飛び跳ねる。

 驚いたポッサムが巣から出て来た。

 目にも止まらない速さだったけど、お嬢様は大興奮!


「ねぇ、見た、メイ? 茶色かったわよね。ふかふかしてた!」


「お嬢様、今です。いないうちに手を入れてみましょう」


 お嬢様は覚悟を決めた顔で頷く。そうして手を入れた。握って引き出してくる。

 お嬢様が手を開くと、銅貨に混じって銀貨が!

 ここのポッサム、できるやつだな!

 わたしたちに根こそぎ宝物を取られた後、また貯めていたみたいだ。

 硬貨をいただいたお礼に、ポッサムが好きだという木の実をいくつか巣に入れた。

 川で土に塗れた硬貨を洗う。


「ポッサムも見られたし。ねー、これでおかいものができるわね?」


 お嬢様の満面の笑顔にわたしは頷く。洗った硬貨を布に包んで、お嬢様は服のポケットにしまい込んだ。


「かえろうか」


 わたしたちは手を繋いだ。

 大人がふたり、こちらに歩いてくる。

 こんな朝早くから。

 こっちを見て、ニヤニヤしている。

 わたしはお嬢様の手をギュッと強く握る。


「お嬢様、走りますよ」


 お嬢様が頷いた。わたしたちは男たちを避けるように斜めに土手を駆け上がる。口笛を吹かれた。

 走ったけど、すぐに追いつかれて、先回りされた。


「ハッシュ家のお嬢様ですね?」


 その目はわたしを見ていた。


「違います!」


 わたしはお嬢様の手を引いて、横をすり抜けようとした。


「ガキに乱暴なことはしたくないんだ。大人しく捕まってくれ」


 はい、そうですか。という人はいるのだろうか?

 わたしはお嬢様の手を引っ張って、逃げようとしたけれど、わたしは抱き上げられてしまう。


「何をするの!」


 お嬢様がわたしを抱えた男に突進する。


「孤児院のガキには用がないんだよ!」


 男はお嬢様を振り払った。


「逃げて!」


 男の手に噛みついてやった!


「いてててててて!」


 悲鳴が上がる。

 お嬢様と目が合う。


「逃げて!」


 お嬢様は孤児院に向かって走り出す。

 服を取り替えていたことが、こんな作用をもたらすとは。

 お嬢様が捕らえられたんじゃなくてよかった。

 それにしても、何が目的?

 誘拐して、伯爵様からお金を取るとか?


「おい、お嬢様には傷つけんなよ」


 わたしが手を噛んだ男は、わたしを憎々しげに見ていた。

 ジタバタしたら何かをかがされ、そこで意識を手放した。

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