マリエルの両親との対話を終えた渡たちは、再び地球へと戻ってきていた。
まだクローシェの家族との初対面を先に控えているが、彼らの到着がいつになるかは定かではない。
それまでの間に、渡たちは地球側で新薬の開発を行う予定だった。
開発とは言っても、ポーション自体は地球産で創ることができた。
あとの問題は、これを新薬として国に認可された状態で発売できるようにすることだ。
これは今現在での一般的な創薬のやり方とは少し順番が違うが、大昔であれば漢方薬などの実績のある薬を成分分析して、有効成分を抽出していた過程と似たようなものになる。
これからどうやって新薬としてポーションの認可を受ければよいかを調べていた渡だったが、あまり作業に集中できていたとは言えない。
というのも、隣りに座っているマリエルが渡の肩に頭を乗せているのだ。
渡はノートパソコンのキーボードに置いていた手を下ろすと、呆れた顔で隣を眺めた。
マリエルは満足そうに目を細めて、とても幸せそうだ。
「おい、マリエル……」
「ンフフ……ご主人様ぁ。ふやぁ……」
「やれやれ。今日のマリエルは使い物になりそうにないな」
「そんなことありませんよー。んふー。お仕事もがんばりますよー」
猫が鼻先を押し付けるように、渡の胸元に顔をうずめたマリエルが、額でグリグリと渡の胸板を押し撫でた。
にへらとした表情は、普段とキリッとしたデキる女感が完全に失われていて、ただただ可愛い。
腕を回されてぎゅっと抱きつかれると、たとえ仕事中であっても、渡としても突き放すことはしたくない。
仕方なく背中に手を回し、渡も軽く抱きついた。
甘酸っぱい爽やかな香りがして、全身に柔らかな感触が伝わってくる。
すでに幾度となく抱いて、知らない場所もないような関係ではあったが、なお魅力的だった。
ダニエルとマリーナへの宣言が、よほどマリエルには嬉しかったようだ。
自宅の仕事部屋とは言え、一応勤務時間なのだ。
本当は時と場所を選んだほうが良い、と言うべきなのだろうが……。
とはいえ、愛した女性に甘えられていて、嫌な気持ちはしないし、わざわざ跳ね除けるようなこともしたくない。
「渡さん……旦那様、あなた……フフフフフ」
「主様、わたくし、苦いブラックのコーヒーが飲みたいですわ!」
仕事部屋に唯一入っていたクローシェが、げんなりと砂糖を吐きそうな顔で言った。
見れば尻尾がペタンと垂れていた。
わかる、わかるぞ。
俺も何も言わないが、甘すぎる空気が漂ってるのは申し訳ない。
ちなみにエアは護衛が必要ないからとリビングでゲームをしているし、ステラは今もポーションの量産計画を練っていた。
「じゃあ私が淹れますね」
「頼めるか?」
「はい。ご主人様の大好きなコーヒーを、淹れてあげたかったので」
「ありがとう」
フンフンと鼻歌を歌いながら、マリエルが仕事部屋を出る。
残された渡を、クローシェが恨めしい目で睨んでいた。
ほんとごめんって。
「わ、わたくし、そのコーヒーをいただいたら、ウェルカム商会用に商品を運搬してきますわ」
「そうか……。悪いな、クローシェ。ついでに羽根を伸ばしてくれて構わないから」
「そうさせてもらいますわ」
この場にいてたまるか、というクローシェの言葉を聞いて、渡には許可することしかできなかった。
少し時間が経てば、マリエルも調子を取り戻すだろう。
これまではマリエルが一番のまとめ役だっただけに、彼女がフニャフニャになってしまうと、チームとしての活動に大きな支障が出てしまうことが分かった。
余談ではあるが、マリエルは次の日には元のキリッとしたデキる女の姿を取り戻していたという。
◯
渡が創薬関係について調べて分かったことは、これは素人の付け焼き刃ではどうにもならない、ということだった。
経営者としてすべての工程を把握している必要はないが、だとしても製造から承認、販売までのプロセスは複雑を極めている。
渡がいくら自分たちでなんとかしたい、と思っても、それこそ実務経験を積む必要が出てきて、かえって遠回りになってしまう。
経営者はすべてをできる必要はなく、できる人を雇い、しっかりと働いてもらうことの方が、役割としてより重要だ。
そのために全体像を把握する必要はあるが、まったく未経験の分野ということもあって、これは今後に要勉強といった感じだった。
渡がマリエルにそのことを相談する。
「となると、ご主人様が外部から経験者や助言者を雇う必要があるということですね?」
「ああ。創薬研究の薬剤師と、新薬承認の専門的なコンサルタント、この二人は最低でも必要だ。ただ、問題はどうやってこの人材を雇うか、というところだな」
「口が固くて信頼できる人でないといけませんものね。エアとクローシェに面談の際にいてもらうのが良さそうですね」
「嘘をついてないか、誠実に受け答えしているかを判断するには最適だよな。そういう能力を頼みにしてなかったけど、すごく助かるよ」
秘匿性を求められる仕事だからこそ、人を見極める能力はとても助かる。
契約でガチガチに縛ったとしても、情報はどうしても漏れてしまうだろうし、産業スパイを警戒しなければならない。
エアとクローシェがいれば、これらの心配はほとんど無くなる。
ステラのエルフとしての優れた聴覚を利用する方法もあるが、彼女の負担はこれ以上増やせない。
今でさえオーバーワークだった。
「あとは能力のある人をどうやって雇うか、でしょうか?」
「そうだな。人づてに優秀な人がいないか聞いてみるか、あるいは専門分野の求人募集をしてくれるところがあるみたいだから、そこに頼むという手があるな」
渡は指を二本立てた。
ハローワーク求人などもあるが、今回は求める技量や専門性が高いため、あまり考慮に入れていない。
市場規模を考えれば、日本でもトップクラスの人材を採用したいところだった。
とはいえ、渡たちの公的には何の実績もない企業だ。
有料職業案内所を利用したとして、そんな優秀な人が上手く集まるか、というと難しいところだ。
それこそよほどの人に推薦でもしてもらわなければ、試してみようという気持ちすら湧き上がらないだろう。
「ご主人様の場合ですと、祖父江さんですか?」
「一番に考えられるのはそこだよな。あとはファイサル家の力を借りる方法かな。中東に力を入れるならともかく、日本国内でまずはって所だと、あまり頼りたくないのが本音だけど」
「準備から承認までは早そうですが、ご主人様が取り込まれないか心配です」
「それは俺も気になってる……」
王族の力を借りれば、物事は遥かにスムーズに進むだろう。
だが、借りを増やせば増やすほど、いつか借りを返すときがやってくる。
積み上げた借りの大きさを考えれば、あまりに頼りすぎも考えものだ。
「ひとまず、祖父江さんに相談してみるか。あの人にも借りを作りたくないんだけどな」
「とはいえ、一番商人としてやり方を熟知されてる方ですよね。私も、良いと思います」
ひとまずは話だけでも聞いてみよう、ということになった。