モイーとの対談を終えた渡たちは、領主館を出た後に、軽食屋に立ち寄っていた。
表通りに面した一角には長椅子が置かれていて、そのまま町並みを眺めながら、軽いものを摘みつつ、お茶を飲めるようになっている。
いわゆる喫茶店、というお茶をメインに出している店は、この国にはない。
どちらかと言えば、軽食のお供にお茶を出す、というスタンスが多かった。
もっと喉だけを潤わせたい場合は、果実水が売られている。
渡は椅子から町並みを眺めながら、はあ、を溜息をついた。
「いや,マジで疲れたわ。今回ばっかりは、キツい。モイー卿もすごい話を持ちかけてきたなあ」
「どれもこれも大変な内容でしたね」
「わ、わたくしも困りましたわ。まだ何も説明できておりませんし。故郷に戻る時には、主様と婚姻関係になって、奴隷の立場を解除されてると思っておりましたし」
「俺がマリエルとエアに出会ってまだ一年と少しなんだよな」
モイーとの対談は、いつも緊張を強いられる。
特に今回はもたらされた情報も多く、どれもこれも重たいものが多かった。
元気なのは、護衛に徹していたエアぐらいのものだ。
今もニシシ、と笑いながら、目と耳は油断なく周りを警戒していた。
彼女は彼女で自分の仕事をしている。
頭を使うのは、主人である渡の仕事だ。
彼女たちにくだらない男だと見下されないためにも、しっかりと良いところを見せておきたい。
少し考える時間が必要だろう。
こちらでは一般的に飲まれている香草茶の入ったコップを傾けながら、考えをまとめた。
考えるべきことは大きく三つ。
マリエルの家族のことと、クローシェの家族との対面、そして美術品の提供だ。
このうち、マリエルの家族については、本人たちの意向も聞いてみないことには、どうしようもない。
モイーは故郷を治めたいはずだと考えていたが、打診自体を断る可能性もあるのだ。
もう貴族ととしてのゴタゴタに疲れたから、余生を静かに過ごしたい、とか。
今の生活はとても安定しているだろうから、まったくない可能性の話とも言えない。
そういった意向を聞く前に、渡たちがやきもきしたところで、無駄になってしまう可能性が高いだろう。
悪く言えば問題の棚上げだが、こちらは近々のうちに何かしらの結論は出る。
どちらにせよ、渡にとって揺るぎない結論は一つ出ている。
「マリエル、これだけは言っておくけど、俺はお前を手放すつもりはないぞ」
「……はい」
「お前は俺のものだ。側にいてくれないと困る」
「ありがとうございます。私も、ご主人様の側にいさせてほしいです」
「そう言ってくれるとホッとするよ」
マリエルは喜んでいるとも、困っているとも、どちらともつかない難しい表情を浮かべた。
マリエルとしては実の両親のことである。
渡としても、嫁実家との決定的な決別は望んでいない。
可能であれば仲良くしていたいし、仲良く過ごしていて欲しい。
まあ、だからこそ厄介なのだ。
これが赤の他人ならば、知ったことかと突っぱねて終われた話なのだが。
とはいえ、貴族の家の体面のために、マリエルと離れ離れになるのもまた、話は違う、と思っていた。
それでは渡が犠牲になるばかりだ。
渡は合法的にマリエルの権利を購入したのだし、一時的にお金を工面するため、騙されていたため、などの同情すべき余地はあるが、マリエルを借金の形にしたのは、彼ら自身だ。
厳しいことを言えば、どのような理由があるにせよ、マリエルをそんな危険な立場に置くべきではなかった。
というわけで、もし彼らに貴族として復帰するつもりがあるなら、別の方法を模索するなりして、何らかの妥協点を見出したい。
愛するマリエルは今後も手放さない、という前提での話だ。
ある意味では厄介事を持ち込んできたモイーには文句の一つも言いたいが、マリエルの両親にとっては、悲願かもしれないのが悩ましいところだった。
「クローシェは……どうするんだ?」
「ど、どうもこうもありませんわ。主様に売らずともいい勝負を吹っかけて、負けて奴隷堕ちしたなどと知れたら、わたくし失望されてしまいますの!」
「クローシェだし、でどうにかならないか?」
「どういうことですのっ!? なるわけありませんわ! 主様はわたくしを何だと思っていらっしゃるんですの!?」
「ご主人様、いくらクローシェとはいえ、流石にそれは言い過ぎですよ……クローシェだって、これまでにたくさん貢献してきていますから」
「むっ、そうか」
さすがに家族であれば、笑って許せる範疇を超えているのかも知れない。
とはいえ、黒狼族の間でもきっとクローシェのやらかし癖は知られていたと思うんだよなあ。
あるいは、族長の娘ということもあって、周りから上手くサポートしてもらっていたのか。
本人が気づいてなかったあたり、相当優しくしてくれていたのかもしれない。
一体どうすれば、クローシェの立場を悪くせず、再会を果たせるのか。
こちらは相当な難問だった。
特に『この親にしてこの子あり』という言葉があるように、クローシェの父が盛大な先走りをしでかさないか、心配でならなかった。