渡は少し安心した。
というのも、ここまでの話はマリエルに関するものにしろ、クローシェに関するものにしろ、どちらも規模が大きく、手に余る内容だったからだ。
しっかりと決断は下すべきだが、これが商談となればグッと話題は身近なものになる。
モイーが相手とあっては、商品を満足してもらうのに気が抜けないが、それでも自分の土俵で戦えることが今はありがたかった。
「我のよく知る知人に、美術品に目がない蒐集者がいる。その者が満足する美術品を用意してもらいたい」
「モイー卿ご本人の商品ではないのですか。……珍しいですね」
「うむ。個人的な付き合いも深いのだが、彼女は東方における要衝地を治めていてな。今後の国防を考えると、協力が欠かせないのだ」
「適切な商品を贈るために、人となりを教えてもらえますか?」
「もちろんだ……」
軽く頷いたモイーは、しばし黙ったあと、話を切り出しはじめた。
「相手はリュティエ公爵だ。リュティエ領は知っているな?」
「い――」
「――はい、存じています」
渡がいいえ、と答えそうになった瞬間に、横から珍しくマリエルが口を挟んだ。
意図もなく口を挟むマリエルではない。
ここは話をじっくりと聞くべきだろう。
渡は驚きそうになった表情を意識して平静に保つと、言葉に耳を傾けた。
「リュティエは東の都などと呼ばれるほどに発展していて、海運と交通の両面での要衝地ですよね。遠浅の海は交易船がズラッと並んだ光景と、漁に出る船で圧巻です。領民は公称で二十五万人ほど。旅行や商売などで一時的に滞在している者も含めれば、三十万人にも達しようという都だと聞いています」
「うむ、よく勉強しているな」
「ハノーヴァーとは離れているとは言え、王都に向かう際には必ず通りますから。立派な表通りの宿に泊ったのを覚えています」
「すごい大都市ですね」
マリエルに補足してもらって、意味がわかった。
ゲートを利用して中継地点を通っていない渡は知らないが、ハノーヴァーに向かうならば、必ず通っていないとおかしい大都市だった、ということだ。
ナイスアシストだ。
ありがとうの意味を込めて、見えないところでマリエルのむっちむちした太ももを撫でていると、なぜか思い切り手の甲を抓られた。
頬を染めたマリエルがじとーっとした目で渡を見ていて、嫌な汗をかいた。
ち、違う!
これは場をわきまえないセクハラじゃなくて、面と向かってお礼を言える状況じゃなかっただけだから!
俺だって時と場所を選ぶぐらいの良識はあるから!
目で必死に誤解を解こうとしたのだが、マリエルはモイーに視線を戻してしまって、渡の気持ちは伝わらなかった。
仕方ない、後で謝ろう……。
「モ、モイー卿。リュティエ公爵について教えてもらえますか?」
「うむ。彼女は政治や軍事に優れていて、領主としての才は抜群に秀でている。女の身でありながら馬術や弓術も非常に上手い。蒐集家としても有名で、古今東西の美術品に詳しく、本人も芸術家としての側面を持ち合わせていてな。特に油絵が得意だが、色々な画法に熟達している。悔しいが非の打ち所がない傑物だ……」
なんだその完璧超人。
組織人としても個人としても優れていて、かつ貴族として生まれてくるとか、あらゆる面で恵まれすぎているだろう。
とはいえ、自分とは関係のなかった人となりだ。
渡はそれほど反感も覚えなかったが、これが貧乏領主の家に生まれたマリエルなら、また感じ方も違うかもしれない。
マリエルを横目で見たが、特にこれと言った感情は見られなかった。
というよりも、気になるのはモイーの言葉だ。
「モイー卿がそういった感情を持たれるのは珍しいですね」
「彼女は王立学園における同級生なのだ。当時、我は首席を狙って文武ともに励んでいたのだが、彼女のせいで常に二番手になってしまってな……。生まれも育ちも彼女のほうが良かったから、せめて成績だけはと思ったのだが、一度も敵わなかった」
「ライバルというやつですか」
「そんな良いものではない。言っただろう。一度も敵わなかったと。あまつさえ彼女は自分の成績を当然として捉えていてな。苦々しいことに、挑戦しているこちらを歯牙にもかけなかった。まったく憎いやつだ」
言葉ほどに憎々しげかと言えばそうではなく、どちらかと言えば親しみを覚えているような語り方だった。
学生時代、モイー卿とリュティエ公爵の関係が気になった。
あるいは惹かれていたのだろうか。
「しかし、そのような関係ならモイー卿がお願いすれば、融通を効かせてもらえないのですか?」
「彼女は利があれば十分に説き伏せられる可能性はある。とはいえ、これは蒐集家同士の
「はい……」
「常に後塵を拝してきた我だが、今回ばかりは仰天する姿が見れそうだ。フッフッフ……」
ニンマリと笑うモイーは、老獪な政治家ではなく、今は一人の少年のような表情を浮かべていた。
コレクションは集めたい、揃えたいという欲求とともに、他者が持っていない希少な物を抱えていたい、という優越感も大きな欲求の一つだ。
工芸品や美術品は、見るものの目も問われるため、生半可な商品では通用しないだろう。
とはいえ、技法的にも、あるいはそれを成り立たせる技術的な意味でも、近現代の地球の美術品は、十分に勝算のある商品に違いなかった。
「ああ、もちろん、可能であれば我にも同様のものが欲しい! 頼んだぞ!」
「希少な一点ものも多く、約束はできませんが、善処いたします……」
こうして自分の分を忘れない辺りも、モイーらしい。
渡は苦笑いを浮かべながらも、希少性を謳うことを忘れなかった。