まだあるのか、というのが渡の正直な感想だった。
マリエルとの大きな関係の変更を余儀なくされるかもしれない事態を前に、できれば一度じっくりと考える時間が欲しかった。
とはいえ、モイーは多忙を極める人だし、こうして伝えてくるからには、それなりに重要なことなのは間違いない。
となれば、ぐっと気を引き締めて、続きを聞かなければならない。
渡はテーブルに手を伸ばし、ジュースを口に含む。
先ほど美味しいと感じたジュースが、なんだか急に味気ないものに変わってしまった気がした。
「二つ目の話は、ハノーヴァーだけでなく東方を中心に傭兵を雇って調査、間諜の備えとすることだ」
「はぁ……。そりゃまたお金がかかりそうな話ですね」
「たしかに腕の良い傭兵団は金食い虫だ。正規兵を置き続けるのとどちらが高く付くかは考えものだな」
渡は気の抜けた返事をした。
話している内容は分かるが、それをわざわざ渡にする意図が分からない。
安全対策は十全にするから、安心してマリエルの両親を貴族に戻せる、ということだろうか。
(主、傭兵同士が戦っても、国が関与しないって言い分が立つから)
(ああ、なるほどな。水面下でバチバチやりつつも、戦争にはしたくないわけだ)
(それに一部の傭兵は、正規兵よりも索敵や調査に向いてますわ)
エアとクローシェに知識を補ってもらうことで、ようやく全容が見えてきた。
ヘルメス王国はリボバーライン王国と表向きは戦いたくない。
とはいえ、リボバーラインの勝手を許すつもりもない。
特にハノーヴァーの古代遺跡の倉庫から武器を得ようとしていた動きは、国防上けっして看過できないだろう。
そこで非正規兵である傭兵を放って、防諜を敷きつつ、侵入者があればこれを撃退する。
……で、なんでそれを俺に話す必要が?
結局疑問はそこに行き着く。
「索敵や調査に秀で、かついざ接敵した際の戦闘力も優れている。黒狼族を雇おうと思っていてな。すると貴様の護衛を思い出したというわけだ」
「ああ、なるほど~……って、えええっ!?」
「どういう経緯で側においているのかは知らないが、顔つなぎをしてもらえないかと思ってな。難しければ、こちらからコンタクトは取るが、どうだ?」
「どうだ、と仰られても……。クローシェ?」
「かかかか、構いませんわよ!?」
「構わないそうです」
クローシェが顔を青くして答えた。
犬耳ならぬ狼耳がへにょんと力なく垂れて、ゆらゆらと規則正しく揺れていた尻尾もダラっと垂れしぼんだ。
兄のクローデッドは上手く報告する、と言っていたため、一族全体には今のクローシェの状況はバレていないはずだ。
だが、招いて直接会うとなれば、クローシェが奴隷堕ちしていることは、否応なくバレてしまうだろう。
残念ながら、クローシェは嘘を暴くのは大の得意だが、自分の嘘を隠すのはものすごく苦手だ。
一瞬で嘘を吐いています、と全身で表現してしまって、腹芸などできるものではない。
秒速でバレてしまうだろうことは目に見えていた。
奴隷堕ちした経緯を知れば、一部は自業自得だと理解を示してくれても、家族愛の強い一族ならば、余計な騒動を招きかねない。
クローデッドも最初は認めなかったのだ。
かといって、長らく離れている家族を避けたほうが良い、とも言えない。
傭兵一家など、会える時に会わなければ、いつ死別が待っているか分からない。
せっかく向こうからやって来るというのならば、親には会わせてあげたほうが良い。
萎縮してしまったクローシェの姿を見て、モイーはどう思っただろうか。
訝しげに片眉を上げると、再度念を押してきた。
「本当に大丈夫なんだな?」
「クローシェが問題ないと言っている以上、俺には断る理由はありません」
「……分かった。それでは連絡を頼む。団長の娘からの連絡なら、話を聞いてくれそうだ」
「恥ずかしながら、あまり傭兵団について知りません。話を聞かない、なんて事があるんですか?」
「名と力のある傭兵団は、特に貴族位を持つことも許されているぐらいには、諸侯に認められている。当然、こちらの言いなりに呼び寄せられるものではない」
「はあ……なるほど」
「彼らは力ある一つの組織であり、下手に関係を悪くすれば敵陣営につくことも考えられる。迂闊な接触は避けねければならない。その点、親族と伝手があるのは助かった」
「できる限りの説得をしてみます」
「頼んだ」
東側が落ち着かなければ、コーヒー農園も上手くいかないし、最悪マリエルの両親が戦火に巻き込まれる。
財務次卿であるモイーからの依頼であれば、金銭的にも大きな額が動くだろうし、黒狼族にとっても悪い依頼にはならないだろう。
後は、渡とクローシェの関係をどうするべきか、だ。
マリエルの両親の件と合わせて、一気に大きな問題が生まれて、渡は胃がキリキリと痛んだ。
「さて、相談事はこれで終わりだ」
「どちらも大きな問題ですが、近日中に進展を報告します」
「頼んだ。最後に、貴様に商人として仕事を頼みたい」