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第15話 モイーからの打診 上

 モイーは重荷が一つ降りたように、ホッとした態度を隠さなかった。

 これまで何事に対しても粘り強く、そして確実に成功を収めてきていたモイーにとっては痛恨事だったのだろう。


「謝罪を受け容れてくれて感謝する」

「意図したものではない上、その後の責任も取ると仰られているのですから、俺としてはお任せします」

「助かるな。……そのうえで、次の相談がある」

「なんでしょうか?」

「うむ、リボーバライン王国が領土拡大の野心を抱えていることが分かった以上、ハノーヴァーの領地の運営に、代官ではなく領主を置くことが議題に上がっているのだ。交通の要衝というわけではないから、本来は代官でも良かったのだが、古代都市の倉庫があり、狙われていたとなれば話が違ってくる」

「遺産がどうなったか、他の人は知りようがありませんもんね」

「そうだ。正式に神々に納められたことは声明を出すが、諦めずに狙うことだろう」


 頭の痛い話だ、とモイーは両手の人差し指で、こめかみをグリグリと揉みほぐした。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの財務次卿といえども、あるいはだからこそ、心労が耐えないのだろう。


 庶民感覚の抜けない渡では支えられないほどの重圧が背中に乗っている。

 モイーの目が、渡ではなくマリエルに向けられた。


 ピクッと反応したマリエルが、体を緊張させる。


「そこで、マリエルの両親、ダニエルとマリーナに領主を再度務めるつもりはないか聞いておきたい」

「ええっ? 私の父と母は領地を返却することになりましたが……」

「国から防衛費を目的に予算が確実に出るし、渡のコーヒー農園などの収入源が確保できるなど、状況は相当に違う。何よりも一度は治められなかったとはいえ、かつての領地を荒らされる可能性を考えると、希望する選択もあると思っていてな」

「それは……そうかもしれません。ハノーヴァーの地を、領民を誰よりも愛していましたし」


 マリエルたちの両親は、領地運営が嫌になって放りだしたわけではない。

 特産品がなく、交易地というわけでもないにも関わらず、モンスターの襲撃を受けて資金繰りが大きく悪化したことが問題だった。


「再興、及び防衛予算は、ハノーヴァーの税収を一〇年間全額免除、国から駐屯兵が送られ、この駐屯地の建設予算も降りる。駐屯兵の食事や酒の提供、慰労なども考えれば、相当に潤うはずだ」

「それは……相当に太っ腹ぶりですね」

「なによりも、返り咲くことで名誉を取り戻すことができる」


 マリエルが喜色を浮かべて頷いていた。

 貴族にとってしてみれば、土地を手放すことほど不名誉なことはないだろう。


 それを、今回は補助金まで得て帰ることができると言うなら、体面も保てるというものだ。


 これだけを聞いていれば、一も二もなく頷いてしまいそうな話ではあった。

 だが、モイーがわざわざ相談してきたことが、渡にはすごく引っかかる。


 本来はすぐさま両親に話を持ちかければ良いはずだからだ。


「モイー様、とはいえいい話ばかりではないんでしょう?」

「ふむ、分かるか?」

「わざわざ、こうして事前に俺やマリエルに意思を尋ねているのですから、何かしらあるのは分かります」

「話が早くて良い。まずは、侵攻される危険性はいまだ高いということだ。軍を駐屯させるとはいえ、絶対に安全とは言えない。これが一つ目」


 領土を守るために戦わなくてはならないとはいえ、わざわざ危険が分かっているのだから覚悟がいるだろう。

 貴族とはいえ、誰もが文武両道ではなく、文官として優れている人もいる。


 今の生活が保証されているのだから、危険を冒す必要はないかもしれない。


「二つ目は、渡とマリエルの関係だ」

「俺とマリエル、ですか?」

「うむ。貴様は奴隷としてマリエルを所有しているわけだが、貴族として復帰したならば、親として、貴族として娘を買い戻そうとするのは自然な話だ。しいては、後々にマリエルは領地の跡継ぎとして戻ることになる可能性が高い。それを受け容れるか?」

「マ、マリエルが……?」


 貴族の体面を考えれば、マリエルを手放さない、という選択肢は非常に取りづらい。

 マリエルを思わず見つめた。


 ……嘘だろう……?


「とはいえ、必ずしも、あの二人を領主に据えなくても構わない。まあ、愛着のある自分たちの領地が攻め込まれるとなれば、自然と必死に取り組むだろうから、望ましいのは確かだが、これは国を預かる次卿としての職務の判断だ。本人たちが自分たちから苦労を求めて重責を負うことを求めているわけではないし、一領主として考えるなら、貴重な蒐集品を持ってくる貴様の機嫌を損なうようなことはしたくない」


 絶句する渡の前に、モイーが用紙を取り出した。

 正式な書類らしく、達筆な文字で細々と取り決めがなされている。


 話を要約すれば、モイーの説明のとおりになっていた。


「王宮の認可印もすでに押されている。あとは本人の承諾のサインがあれば、命令が遂行される手筈になっている。まだ打診はしていないが、状況を考えれば本人たちが否と断ることもまずあるまい」

「……少し考えさせてもらってもいいですか?」

「もちろんだとも。とはいえ、事は国防に関わることだ。あまり長期間放置するのは望ましくない。一週間以内に返事を寄越せ」

「はい……」


 なんてことだ。

 マリエルを手放さない、と決めれば、両親たちは復帰後に困ることになる。


 とはいえ、マリエルとハノーヴァーで離れ離れになるなんて、考えられない。

 渡は押し黙って、髪を掻き上げた。


「悪いが、話はまだある」


 そして、そんな渡に対して、モイーはまだまだ用件が残っているようだった。

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