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第12話 松岡美緒の恍惚

 最近、おかあさんの様子が変だ。

 松岡美緒の娘、悠里はダイニングでもそもそと食事を口に運びながら、思い悩んでいた。


 夕食は自分で作ったスパゲティだ。

 ちょっと茹ですぎてしまって、あまり美味しくない。


 タブレットでWebブラウザを流し見しながら、一人で食べる。


 おかあさんが頻りに鏡を見るようになって、しばらくが経つ。

 ふいに黙り込んだり、暗い顔をしたり、ため息ばかり吐いたり。


 何かに悩んでいるのが、悠里にはすぐに分かった。

 子供は親が思っているよりも、周りのことをよく見ているし、隠そうとしてもすぐに気づく。


 だというのに、悠里の前ではけっして弱みを見せまいと、あからさまに元気そうな姿を振る舞って見せた。

 心配させたくない、という気持ちも分かるから、気づいていないフリをしている。


 テレビ画面では上手に演技もするし、『芸能人の仮面』を被った美緒も、娘を前には演技をする必要もないためか、少しも騙せていない。

 おかあさんには『家族の仮面』はもっていないらしい。


 それが、娘である自分を心配させないためだというのは分かる。

 だが、家族として愛する母の力になりたい、ともどかしく思った。


 こんなとき、おとうさんならどうしたんだろう?

 両親が離婚して、悠里はずっと母親の美緒の下で育ってきた。


 売れている芸能人が忙しいのは、その娘として生きてきたから人よりも分かっているつもりだ。

 正直、真似できるとは思えないほどの、凄まじいバイタリティだと思う。


 学校のことで余計な心配をさせないことが、自分にできる一番の方法だとは分かっていても、ただ見守ることしかできない自分が歯がゆい。


 一体何に悩んでいるのか、打ち明けてくれないまでも力になりたくて、色々と調べた結果、芸能ニュースで好き勝手に書かれていることに気づいた。

 鏡をじっと見つめる姿を思い出して、原因はこれだ、とピンときた。


 誹謗中傷だ。

 たしかにおかあさんはオバちゃんという年齢だとは思う。


 でも、実年齢よりはよっぽど綺麗なのは、ぜったいに家族の贔屓目じゃない。

 以前に授業参観に来てくれた時も、周りの母親に比べても一番若く見えた。


 おかあさんは誰よりも綺麗で、優しくて尊敬できる人。

 私のおかあさんが松岡美緒であることは、いつも、いつでも悠里の自慢だった。


 ババアだとか、劣化だとか言われる筋合いはまったくない。


 玄関のガチャ、という物音がなった瞬間、悠里はタブレットの電源を慌てて落とすと、出迎えに向かった。

 大きな荷物を抱えて、美緒が帰宅している。


「ただいまぁ。つっかれたああああ」

「おかえり、おかあさん。……しんどそうだね、大丈夫?」

「うん、さすがに泊まり込みの収録は、わたしでもちょっと疲れたわ。今日は早めに寝るから」

「うん。ゆっくり休んでね」

「心配しないでも、明日から元通り元気になるわよ。とにかく今は寝かせて……」

「おやすみ」


 美緒は長時間の撮影で疲れた顔をして帰ってきた。

 軽くシャワーだけ浴びると、すぐに自室に入ってしまう。


 仕事で多忙を極めながらも、なんとか家族の時間を両立させようと苦労してきた姿を見ているからか、反抗期を迎えることもなく、ただただ自慢の母親だった。

 そんな母の初めて見せる弱った姿には、心配が勝る。


 大丈夫かな、おかあさん。




 ……そんな美緒だったが、出張から帰ってきてから、なんだか様子がおかしい。

 耳をすませば、自室から抑えきれないような含み笑いが聞こえてくるのだ。


「ふっ……ふふふっ……んふっ、うふふふふ……」


 なに。

 なんで笑ってるの。


「ああ……すごい……こんな物があるなんて……」


 おかしくて仕方がない、と言わんばかりの態度には違和感しか感じない。

 あまりにも機嫌が良すぎて、怖いぐらい。


 もしかして、ついに我慢の限界を超えて、変なクスリにでも手を出したんじゃ……!?

 嫌な想像をして、つい扉をソっ……と開くと、美緒は鏡を前に恍惚とした表情で、自分の顔を見つめていた。


 コットンに浸した化粧水を、丁寧に丁寧に顔に塗り拡げている。


「え、あれ、おかあさん……?」

「悠里? どうしたの?」

「え、うん……」


 良かった。クスリじゃなさそうだ。


 ホッとしたのもつかの間。

 パッと母親の顔を見て、強い違和感を覚える。

 母なのは間違いないはずなのに、まるで別人みたいに……。


 まるで会ったことのないお姉ちゃんがいたら、こんな感じ。

 そう、すごく、若い……っ!?


「ええええええっ、おかあさん、若くなってるっ!?」

「ふっ、ふふふ、良いでしょう?」

「なになになに、なんで!? どうして!?」

「おかあさんね、魔法の化粧品を買っちゃったの。シワもシミも綺麗に消えるのよ」

「ええええ、ずるい! 私も使いたい!」

「バカね、貴方がもっとわたしの年ぐらいになったら、考えなさい」


 化粧水の小さなボトルをしっかりと握って、キャップを固く締める。

 あああああ、良いなあ。


 残念な気持ちもあったが、それ以上に元気そうになった美緒の姿を見て、悠里は心から喜んだ。

 きっと世間も手のひらを返すことだろう。




 ――やっぱり、おかあさんは世界で一番綺麗だ。

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