じつは、紹介者はすでに大阪に来ているらしい。
渡が了承すれば紹介するし、ダメなようなら一緒に大阪を観光する予定だったそうだ。
渡は緊張した表情を浮かべる綾乃の前で、一度ゆっくりとコーヒーを飲んだ。
信頼できる綾乃が紹介する人物だ、まず引き受けても良いと思っている。
温泉の素自体は、名前の通りのものでしかない。
入浴剤は医薬部外品としても販売できるので、
とはいえ、この商品の持つ力を見ると、誰でも彼でも販売したら、余計な騒動を引き起こしかねない。
特にポーションと違って大量生産できる見込みもないため、在庫管理の面からも販売先は絞ったほうが現実的だろう。
口を湿らせて、ゆっくりと話す。
「直接お会いする前に、どういう人か教えてもらえますか?」
「もちろんです。多分堺さんもテレビで見たことがあるんじゃないでしょうか?」
綾乃が紹介したい、と伝えてきた芸能人は、渡でもその名と顔がすぐに浮かぶぐらいには著名人だった。
松岡美緒、五四歳。
タレントとして、番組司会役として、冠番組に多数出演している有名人だ。
非常に端正な顔立ちで、色っぽさよりも清潔な美しさを感じる外観。
ハキハキとした聞き取りやすい発声に、周りへの気配りがすごく上手なのだという。
また責任感が強く、番組の準備を徹底したり、自己管理も非常に高い水準を保っている。
そんな松岡の様子がおかしくなり始めたのは、この半年ほどのことだそうだ。
「美緒はいつも明るくてハキハキしてて、とても気配りできる優しい人なんですけど、最近ちょっと様子が変なんです」
「変とは? 具体的に教えてもらえますか?」
「どうも現場ですごくピリピリしてて、照明さんに過剰なぐらいライトの指示をし始めたり、憔悴してる姿を見せてるみたいです。彼女のマネージャーさん、あと担当のメイクさんに話を聞くと、最近急にシワとかをものすごく気にするようになってるみたいなんです。少し前は自然な老化は受け入れていたはずなので、何かあったんだと思うんですね」
なるほど。
それはうちの商品を紹介したくなるわけだ。
「失礼ですけど、綾乃さんと松岡さんは――」
「親友だと私は思っています」
「そうですか。じゃあ心配ですね」
「ええ」
綾乃はつらそうに目を伏せた。
あるいはそこにあるのは、
自分だけ見た目が若返ったからこそ、同じく老いで悩む親友を助けてあげたい。
「なにか思い当たる原因はありますか? 同業でしょうし、仲がいいんでしたら、思い当たる節とかは」
「直接的な原因は、やっぱり機材の画質がものすごく発達したことだと思います。これが同年齢の同業者に共通する問題ですから」
「はああ……なるほどぉ」
ハイビジョンテレビが登場した当時から、画質の向上に伴って、肌の質感がよく分かるようになった。
その後、FHD、4K、最新の規格では8Kが登場しはじめた今、カメラに収まる姿は、メイクでは隠せないほどに鮮明だ。
肌の調子はもちろん、毛穴から産毛までが映ってしまう。
松岡がライトを気にするのも、シミやシワを光で少しでも誤魔化すためだろう、と綾乃はいった。
「美緒は、食事や睡眠、運動といった自己管理はほとんど完璧にしてると思います。体型維持もいつも完璧で、同業でも彼女ぐらいストイックに取り組んでる人はあまりいないんじゃないかな」
「つまり、やるべきことはちゃんとやってる人ってことですね。では、彼女は約束を守れる人ですか? 綾乃さんみたいに、同業やお世話になった人に頼まれたからって」
「そういう不義理は決してしない人。彼女、そういうのを何よりも毛嫌いするタイプだから」
「そうですか。問題ないようですし、呼んでいただいて結構ですよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
深く頭を下げた綾乃が、スマホで連絡を取り合った。
ものの十分もしないほどで到着できるらしい。
話が通った時に待たせないという配慮だろうが、用意が良いことだ。
歓談しながら待つことしばし。
カウベルの音とともに、松岡美緒が入店してきた。
似たような変装をしていた松岡がサングラスと帽子を取ると、その姿がハッキリとした。
同じ有名な芸能人である綾乃と比べると、カリスマのような力が弱いように感じるのは、本人が精神的に参っているためだろうか。
テレビでも美しい顔つきが知られている松岡だが、生身で見るとよりその端正さが分かる。
時代を代表する美人なのは間違いないし、年齢よりもはるかに若々しかった。
十歳は若く見られてもおかしくないだろう。
アンチエイジングケアとして十分な範囲ではないだろうか。
それでも、よく見れば年齢相応の老いは、少しずつ表面に現れていた。
特に濃いメイクは、明らかにシワやシミを意識したものだろう。
松岡は本質的に華がある人なのだろう。
精神的に参っているはずの今でさえ、入店した途端に部屋の雰囲気がパッと華やいだ気がした。
身長はおよそ一六〇センチ半ばほど。
少し痩せすぎでは、と心配になるほどにほっそりとしているが、芸能界ではこれぐらいは許容範囲なのだろうか。
「美緒、こっちよ」
「小雪……」
松岡は綾乃の顔を見ると、ふっと表情を緩めた。
テーブル席に歩いてくるのに合わせて、渡は席を立った。
「はじめまして堺さん。わたくし松岡と申します。今日は忙しい中お時間を頂いてありがとうございます」
「よろしくお願いします」
松岡が美しい自然な所作で頭を下げる。
綺麗に手入れされた髪が、お辞儀とともにふわっと前に垂れた。
渡としては、突然の商談のため、挨拶としてもあまり話せることがない。
「概要だけ小雪から聞きました。……本当に、夢のような化粧品があるんですね」
「一応、対外的にはただの入浴剤って扱いですけどね。お風呂に入れても効能がありますし」
「フフフ、分かりました。そういうことですね」
渡がじっと松岡を見ると、あくまでも自然な範囲で目が逸らされる。
少しばかり居心地が悪そうなのは、やはり注視されることを避けたい心の現れだろうか。
居心地が悪そうに、軽く身じろぎした。
「販売するのは問題ないと考えていますが、いくつか質問させてください」
「はい、何でしょうか?」
「綾乃さんに販売して一年弱が経とうとしています。当時から変化を知っていたでしょうに、今になって急に悩み始めたのは、どういう理由でしょうか?」
「それは…………分かりました、お話します」
しばし絶句していた松岡だが、渡がじっと見つめていると、観念したように頭を下げ、ぽつりぽつりと話しはじめた。
声音は低かった。
「わたくしは、これでいて、あまり年齢は気にしていないつもりでした。小雪がビックリするぐらい綺麗に若返ったときも、良かったとは思っても、羨ましいとは思わなかったぐらいです」
「そんな松岡さんの心境が変わるきっかけが有ったんですね?」
「ふと番組の評判を知ろうと、自分の名前で検索した時です、ある芸能人ニュースサイトがヒットしました。そこには、私の外見について、嘲笑じみた表現がされていました」
老けた、ババア、老化、超絶劣化www、ページビューを稼ぐために過激なタイトルで煽られたコメント制記事を見て、強いショックを受けたのだという。
「気にしないほうが良いのは分かっているんですけど、一度目に入ってしまったときに、すごくショックで……。本当は調べないほうが良いって頭では分かってるんですけど、どうしても調べてしまうんです」
気丈に振る舞ってはいるが、強いショックを思い出したのだろう。
松岡の膝の上に置かれた手が、ギュッと握りしめられた。
隣りに座っていた綾乃が、その手の上にそっと、自分の手を置いた。
芸能人が誹謗中傷で心を病んでしまうのは、珍しいことではないはずだ。
SNSなどと距離をおいていたり、マネージャーが管理していることも多いという。
松岡もこれまではいい意味で適当な距離を保てていたはずだ。
気になって仕方がなくなったのは、老いへの自覚があったからだろう。
「松岡さん、一点だけ気になることがあります。うちの商品に効果があったとして、それはそれでなにか言う人は言うと思うんですね。たとえば必死に若作りしてるとか、美容整形で弄りすぎだろ、みたいな酷いことを言う人。彼らはページが見られれば良いわけだから、好き勝手書くんじゃないでしょうか」
「こんな形で頼っていて言うのもなんですが、最悪自分だけなら、仕方がないって諦めもつけれたんだと思います」
「他の人が関係するんですか?」
「ええ。娘です」
松岡はスマホを取り出すと、画像を開いて差し出してみせた。
写真の中で、松岡に似てとても美人な女の子が、松岡と隣に立って笑っている。
「可愛らしい娘さんですね。高校生ぐらいですか?」
「今年高二になります。親の仕事について、気になるんですかね。それとも、私が弱くて参ってしまったから、余計に調べたんでしょうか……。あの子が私の評判について色々と調べて、ショックを受けていることが分かって、このままじゃいけないって、気付かされました」
直接言われたわけではない。
だが、娘の心配そうな態度から違和感を感じた松岡は、少しずつ娘が何を心配しているのか、何を調べていたのかを理解した。
「お願いします。今だと、自分に自信が持てないから、気にしない、戦うって心構えがどうしてもできなくて。……弱い自分が悪いんですけど、どうか力を貸してもらえませんか?」
「別に販売は構いませんよ」
「本当ですか!?」
「はい。他言無用を守っていただけるなら、別に問題ないわけですし、事情も分かりました」
「あ、ありがとうございます!」
希望を得た松岡の目に、強い光が宿った。
パッと血色のさしたその表情は、先ほどまでよりもはるかに輝いて見える。
「良かったね、美緒」
「うん、ありがとう……小雪。貴女のおかげよ」
「私たち友達じゃない。いいっこなしよ」
軽く顔を伏せた松岡は、涙こそ零さないまでも、かすかに声を震わせていた。
心から嬉しそうに笑う綾乃小雪の姿を見て、友情とは良いものだな、と渡は心から思った。