レイラの提案はとても魅力的だったが、渡はやんわりと断った。
彼女ひとりならばともかく、その後ろについている巨大な権力は、大きな味方にもなるが、同時に抱き込まれてしまうことにもなりかねない。
そんな選択肢を取るのならば、渡はとっくに祖父江の手を握っていただろう。
可能な限りフリーな状況を保ちたい、外部から干渉されたくない、という気持ちが、渡の中にはいまだ強く残っていた。
とはいえ、いざという時に頼れる先があるのは良いことだ。
大胆な手も打ちやすくなる。
渡たちは今回はあえて尾行を撒くことはせず、堂々と警察署へと向かった。
お前たちのことは気付いていて、対処を始めるぞ、という示威行為だ。
スパイ天国などと呼ばれる日本でどれだけ効果があるのかは不明だが、完全に泳がせておくよりはマシだろう。
自宅から徒歩十分もかからないところに、地域の警察署がある。
入口に立つと、渡は建物を見上げた。
「警察署か。普段あんまり来ないから緊張するな」
「兵舎とか詰所を訪れるようなものですから、悪い事してなくても気になりますよね」
「ああ、そうだな」
自分の場合は、完全に悪いことをしていない、とも断言できない。
ポーションの販売はかなりのグレーゾーンで、場合によっては薬機法の違反として検挙されてもおかしくなかった。
一日も早く、このあたりは解決したいものだ。
「主が襲われたらアタシとクローシェが全員撃退してあげるから、心配しなくて良いよ」
「わたくしとお姉様にお任せですわ!」
「やめろ、マジでやめろよ。これはフリじゃないからな?」
「大丈夫ですわぁ……貴方様に責任が及びそうならぁ、わたしが全員洗脳してさしあげますからぁ」
「だめだコイツラ、早くなんとかしないと……」
渡が先頭に立ち、ぞろぞろとマリエルたちが続く。
所内に入るとすぐに受付があるのだが、警察官だけでなく、いろいろな人の注目が集まった。
「すみません、相談したいことがあるんですが」
「はい、どうされましたか?」
「開けんかい、開けんかいコラ!」などと横柄な態度が時に問題になる大阪府警察だが、署内や交番などの対応はとても丁寧なものだ。
渡がマリエルたちのストーカー被害について相談したいと言うと、少し待った後に、部屋に案内された。
大きなスチールのテーブルに、安っぽい椅子が並べられ、向かい側に女性警察官が一人、男性警察官が一人座った。
女性警察官がいるのは、やはり相談内容がストーカーだからだろう。
威圧的な雰囲気はどこにもなく、むしろ親切そうな二人だった。
「あらためて、今日はどうされましたか?」
「俺の会社に勤めている彼女たちが、同じ集団からストーカー被害に遭っているようなんです」
「なるほど、まず、皆さんのお名前と勤務先を教えてもらえますか」
書類作成に名前や住所、連絡先などは必須だろう。
マリエルたちは、就労ビザもしっかりと発行してもらっているし、今は手続き的な心配はまったくない。
おかげで不審な態度を表すこともなく、堂々と手続きができた。
唯一困ったのが、筆記の問題だ。
すでに何度か問題になっているが、異世界と地球を行き来するに当たって、文字の読解は問題ない。
ただし、転移先の言語を筆記する場合は、新たに覚える必要があった。
ここで意外にも問題になったのが、エアだった。
マリエルとクローシェ、ステラは面倒だっただろうに、かなり日本語の筆記を覚えていた。
だが、エアは護衛こそが自分の領分である、という意見を強く持っていたから、現地語を覚える必要性を感じていなかった。
身分証明としてパスポートとビザを持ってきていたから、それを見ながら筆記する、という事態になった。
「うう、日本語難しい……マリエル、書いて」
「自分の名前と住所ぐらいはちゃんと書けるようになりなさい」
「うううう、いけずぅ……」
「外国語を覚えるのは大変ですよね。発音は本当にとてもお上手ですけど」
「でしょ!? だから書かなくても良くない!?」
「そんなわけありません!」
もはや恋人関係になったマリエルたちだが、それでも一応マリエルは教育係の役割をふんわりと負っている。
エアのある意味では怠惰だった現状に、厳しい態度で反した。
エアがしょんぼりした顔をしながら必死に書類に名前を書き写す姿は、むしろ警察官たちには好意的に映ったようだった。
外国人が流暢に喋りながらも、筆記で躓く姿は微笑ましく見えるものなのだろう。
そして、最低限の身元がハッキリとしたことで、相談に内容が移った。
「最初にストーキングに気づいたのはいつぐらいでしょうか?」
「一月ぐらい前です。たしかエアが誰かに見られてると言いはじめたんです」
「うん、そう。アタシは武術やってるから、視線に鋭い」
「彼女たちは見た目も綺麗でしょう。人目を引くのはごく普通ですが、ストーキングされてるとなると、話が変わってきます。で、最初は勘違いじゃないかって、歩く道を変えたり、歩く速度を変えたりしたんですよ。でもやっぱり後をつけられてるらしいとなりました」
「お話からすると、直接の接触があったわけではないんですね?」
「うん、そう。あいつら最初は近くだったけど、気づかれたことに気付いたのか、離れたところでついてくる」
「何か心当たりとかはありますか? これまでにお付き合いしていたとか、お仕事で接触があったとか」
「ない、全然知らない相手」
「尾行している相手の顔をカメラで撮ってます」
「日本人ではなさそうですね。中国系の顔立ちですかね……」
渡が撮影したカメラデータを見せると確認してくれたが、同時に危険だから気をつけたほうが良い、と警告を受けてしまう。
自分たちが撮られたことに気付いて、なんらかの強硬手段に出るリスクもあるためだ。
そして、相談の結果は予想した方向で落ち着きそうだった。
「現状では直接的な被害が出ていないということで、逮捕などの具体的な対応はできません。スミマセンが、現時点では違法行為としては当たらなくなりそうです……」
「いえ、仕方がないことだと思います。ですが、相談自体はちゃんと受理していただけるんですね?」
「はい、もちろんです。住所付近の巡回をするので、何か身の危険を感じたりしたときは、すぐに110してください」
「わかりました」
「オマワリサン、ヨロシクオネガイシマス」
マリエルがわざとらしいカタコトの日本語で言うものだから、渡は思わず噴き出してしまわないか、注意が必要だった。