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第87話 清涼の羽衣の効果と、奥さんの裁き

 最初、榊原は懐疑的だった。

 渡されたジャケットを、ギロリと睨めつけて、袖を通そうとしない。


「なんでえ、このクソ暑いのに、ジャケットなんて着るのか。オレは嫌だぜ」

「そう言わず一度着てみてくださいよ。俺達もこの技術を使った服を着て、今日は来たんです。ぜんぜん体感の暑さが違いましたよそれに今後売り出す予定の新技術なんです。上手く行けば世界的に販売できるかも知れません」

「ほう、大きく出たな。どれ、じゃあちょっくら試してみるか」

「ぜひぜひ」

「これで効果がなかったら知らねえぞ?」


 最初はただでさえ暑いのに、余計に暑くなるんじゃないか、と疑っていた榊原だったが、渡が再度着用を勧めると、重い腰を上げてくれた。

 袖を通し、眉をひそめてしばし。


 その表情に驚きが浮かぶ。


「ほぉおおおおうっ!? 本っ当に! 涼しくなってくるじゃねえか! なんだこれは!」

「でしょう?」


 目を見開いて、両手を上げる。

 ペタペタと生地を触って確かめるが、特段変わったところはなにもない、普通のサマージャケットだ。


 榊原は驚きに大きくなった声で、しきりに感心してみせた。


「ああ。こいつぁ良いな。へええ、不思議なこともあるもんだ! 炎天下で日除けに長袖や帽子をしたほうが涼しくなるってんなら納得もできるが、室内でこれだけ違うのか。上半身全体がスウッと涼しくなってきやがった」

「エアコンが良く効いてるところだと、肌寒いくらいになるので、その時は脱いでください」

「暑さ対策といえば空調服が最近はできたが、あいつは充電も面倒だし、音がでかいんだよな。これはかさばらんし、音も出ないし良いな! おい、一体どんなカラクリだよ」

「それは企業秘密です。言ったところで真似できないとは思いますが、スミマセン」

「なんでえケチなやつだな。んで、これは作務衣さむえにも使えるのか?」

「ええ、できますよ」

「ほうほう……。もし良かったら、オレの弟子たちの仕事着に用意してくれやしねえか?」


 渡はステラに目を走らせた。

 実際の作業は、渡たちではなくステラの管轄だ。


 現状、ポーションの開発も進捗してきていて、ステラの仕事が増えている。

 地球さんの薬草でポーションを作れるかどうかがわかる、大切な時期だ。


 そんな時に世話になっている榊原とはいえ、受けて良いものかどうか。


「負担になるなら断るが、どうする?」

「大丈夫ですぅ。何着もだと困りますので、一人一着まででお願いしたいですねぇ」

「おおっ、やってくれるかい、ありがとうよ。うちの弟子どもは八人いるからよ、手間だけど、この通りよろしく頼まあ」


 ステラが意外にも即断で了承してくれたので、榊原も相好を崩した。

 深く頭を下げる姿を見れば、一度心を許した人には、やはり良い人なのだろう。


 榊原は着ていたジャケットを脱ぐと、しげしげとそれを眺めた。

 ジャケット自体は、既製品の珍しいものではない。


 どれほど穴が開くほど眺めても、その秘密は分からないだろう。

 渡たちはどこかの衣料品メーカーと提携したとして、その技術を盗まれる可能性はほとんどないことにも繋がる。


「いやあ、これがあれば外出も捗るな。店通いも足が軽くなるってもんだよ」

「いったいどこの店に通うつもりなんですか……」

「そりゃ決まってるじゃねえか。へへへ、お前さんも連れてってやろうか。最近可愛い子が入って――」

「へえ、どこに行こうって言うんです……?」

「ま、真理!?」

「楽しそうな話をされているやないですか。いけずせずにうちも話に入れてほしいわあ?」

「ち、違う。誤解だ。これはお嬢ちゃんらと、お茶でも飲みに行こうって話でだな」

「あらあら、よぉく回る口ですこと。貴方が飲みに行くのはお茶じゃなくてお酒で、ここのお客さんじゃなくてお水の女でしょうが」

「男にとって女は鏡みたいなもんやねん。人類は男と女がいて成り立ってるわけで、これも一つの人間学の勉強でいたいいたいいたい! 耳を引っ張るな耳を!」

「それならここにいい女がおるんとちゃうかなあ? お前さんみたいな男とわざわざ生涯ともにいることを誓った、ええ女やと思うんやけど、違うんやろかなあ?」

「ち、千切れるぅぅぅぅううう! お、おい、見てないで助けてくれ」


 救いを求めるように手を伸ばした榊原だが、妻の真理がその手をパシリと叩き落とした。

 阿修羅像のような顔だ、と渡は背中が冷え冷えとした。


 目の奥に怒りの炎が燃えている。

 清涼の羽衣よりもよほど背筋が寒くなる。


「あ、俺達急用を思い出しました!」

「あとはお二人でごゆっくりしてくださいね。ご主人様、行きましょう」

「事務所で作務衣を預からないといけませんわ!」

「ニシシ、笑ってるのにめちゃくちゃ怒ってる、こわっ」

「さようならぁ」


 渡たちはクワバラクワバラ、とその場をそそくさと退散した。

 いだだだだっ~~~~~! という榊原の悲鳴が事務所中に大きく響いたが、弟子たちの反応はまたか、という日常茶飯事なものだったのが、渡には印象的だった。


 渡は理解に苦しんだ。

 まったくもって、これのどこが悟りなのだろうか?


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