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第84話 クローシェのご褒美

 ゲートの設置については一旦諦めることになった。

 クローシェの指摘は、直感的に正しいと思えたからだ。


 たしかに世界が違えば、使う言葉も変わってくるだろう。


「よくそこに気づいたな。お手柄だぞ、クローシェ」

「ムフッムフフフ、オーッホッホッホ! わたくしにお任せくださいな! どんな難事件も難問も、聡明なこの頭脳が必ずや解決に導いてみせます――あっ、ちょ、お姉様、いたいッ、痛いですわ!! イダッ~~~~ッ!!」

「おい、あんまり車の中で暴れるなよ。俺はまだ運転に慣れたっていっても、限度があるんだから」

「はーい」

「ちょ、お姉様っ! いたっ、痛いですってば! スミマセンでした! わたくしが調子に乗ってましたわ!」

「ふん」


 調子に乗りすぎている姿にイラッときたのか、エアからビシビシと手刀や貫手を食らっているクローシェが悶絶している。

 隣に座っているステラが、おっとりとしながらも迷惑そうだ。


 渡は苦笑しながらバックミラーで確認していたが、山道を走る時は特に神経を張り詰めているため、あまり助け舟を出すこともできなかった。

 というか、割とマジであまり動き回らないで欲しい。


「しかし、となると文字も素材もまったく変わってくるんだよな……。ラスティさんから教わったの大変だったんだけどなあ……」

「まあまあ。ご主人様、考えようによっては、向こう側で新しいゲートの設置をラスティさんに頼らず、自分の意思でできるということですから。ラスティさん本人がどれだけご主人様に心から協力していても、教会の思惑が別になる可能性はあります。無駄ではありませんよ」

「それもそうか」


 お地蔵様に彫られていた文字については、渡にも覚えがある。

 というか、お地蔵様を修繕する時に何枚もスマホで写真を撮っていたから、彫られていた文字を確認するだけなら、渡でも難しい話ではなかった。


 ただ、問題はこれらが『力ある言葉』だということだ。

 榊原千住。

 彼に修繕を頼んだ時の、不思議な呪文を唱え、その際の発光現象は強く印象に残っていて、忘れられるものではない。


 異世界に繋がっているので、当然普通のお地蔵さんではないと思っていたが、まさか現代日本で魔法のような現象が起きるとは予想していなかったし、それを日本人の職人ができたことにも、驚きを隠せなかった。


 そんな言葉は、異世界の神字のように、厳密さを求められてもおかしくない。

 それに、修繕後に千住が唱えた呪文についても、渡は知らない。


 ラスティが起動させた時の請願のように、何らかの特定の所作が必要であれば、千住に教えを請うのがもっとも早いように思えた。


「頼むとしたら、あの人しかいないよな」

「はい。おそらくは、私たちの事情を知った上で、誰よりも事情に詳しいことかと思います」

「まあ、そもそもほとんどの人に相談してないから、頼れる相手が極端に少ないんだけどな」

「事情を知る人は少ないほうが良いでしょうから仕方ありません。今後の商売の規模を考えれば、不必要なくちばしを挟む輩は一人でも減らしたいでしょうし。それに榊原氏は、色々な候補の中から、エアが直感でこの人、と見定めただけに、なんとなくですが信用が置けます」


 マリエルの発言に苦笑する。

 豪放磊落、天衣無縫、とでも称すべきか。


 自侭気ままに生きているようで、世の中との折り合いをつけつつ、かつ誰にも真似できない業績を打ち立てている。

 渡たちの前でも偉そう振るでもなく、卑屈になるわけでもなく、自然体で接してきた。


 それでいて、お地蔵さんの秘密については特に吹聴するわけでもなく、黙ってくれている。

 その一点を鑑みても、信頼するに足るだろう。


「なんにせよ、クローシェには無駄になりそうな試行錯誤の時間をなくしてくれて、感謝しないとな」

「お手柄でしたね」


 マリエルに話かけていると、後部座席からクローシェが身を乗り出して、渡に顔を近づけた。

 満面の笑みを浮かべ、とても得意げだ。


 クローシェの努力や貢献を願う気持ちは疑う余地がない。

 空回りした時には叱っているのだから、役に立った時には十分に労って当然だろう。


「ご褒美をいただいてもよろしいのですわ!」

「ああ、そうだな」

「そうですわよね、分かってましたわ。ただちょっと閃いただけでご褒美なんて……って、今そうだなって仰りました!?」

「ああ。助かったよ」

「ほわっ!? ムフ……ムフフフフ」

「なにか希望はあるか?」


 クローシェのご褒美は、主人である渡からすると結構難しい。

 特に傾倒している趣味があるわけではなく、特定の料理やスイーツ、酒を欲しがるわけでもない。


 好きは好きでも手広く好き、という感じで、なにを与えてもそれなりに喜ぶが、同時に一番の満足を与えられるわけでもないのだ。

 夜の営みでご褒美おしおきを与えるとしても、それはまた別の話で、何らかの形で報いてやりたかった。


 直接聞いたら何かやりたいことや欲しいものでも出てくるかな、と思って渡は問いかけてみたのだが、クローシェの答えが返ってこない。

 不思議に思ってバックミラーを見ると、クローシェは顔を赤くして、もじもじとしていた。


「わ、わたくし……主様と二人でお出かけしたいですわ……」

「お、おう。もちろんいいぞ」

「ケッ、発情した牝犬が」

「躾が必要では?」

「あらあらぁ……」


 あまりにも意外な要望に、渡は運転のことを一瞬だけ忘れるぐらいに激しく動揺してしまった。

 いつものうるさいぐらいに元気な姿とのギャップがあまりにも大きかった。


 だが、もじもじとしながら、ぎゅっと自分の尻尾を抱えていたクローシェの姿は、いじらしいぐらい可愛いかった。

 なんだか車内温度が氷点下まで下がった気がしたのは、きっとエアコンが瞬間的に効きすぎたのだろう。


 きっとそうに違いない、と渡は震える手でハンドルを握りしめた。


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