渡たちは、レンタカーに乗って山に向かっていた。
空は曇り模様で、どんよりとしている。いつ降り出してもおかしくない天気だ。
「今にも降りそうだな」
「傘は用意していますけど、薬草の採取を考えると降ってほしくありませんね」
「ああ」
マリエルの言葉に渡は頷いた。
暦は七月に入った。
じっとりと汗ばむぐらいの湿度と暑さだ。
渡たちは去年の夏に大活躍した『清涼の羽衣』の効果が施された服を着ている。
今回はマリエルたちも、同様の付与が施されていた。
それもこれも、錬金術師であるステラのおかげだ。
ステラは付与を施したり、ポーションの製造、開発を行ったりと、非常に忙しくしている。
特に付与の品は『気配の遮断』や、各『身体能力の向上』、隠密能力を高めるものなど、多岐にわたる。
おっとりとした態度だが、動き自体はとても洗練されていて、テキパキと物事をこなしていく姿は頼もしい。
今は静かな表情で、車の窓から道路沿いの山を眺めていた。
時折なにかに吸い寄せられるように視線が動くのは、彼女の精霊眼によって、なにかが見えているからだろう。
これで下手に褒めて、あへえ❤ おほお❤ と言わなければ、完全無欠とも言える存在なのだが……。
まあなくて七癖というし、それもまたステラの特徴のひとつなのだろう。
「数日は留守にしていたのに、まだ監視されてるんだから、仕事熱心だよなあ」
「アイツらしつこすぎ」
「わたくしも、ずっと追われるのは性に合いませんわ。黒狼族は獲物を追うのは得意ですけど、追われるのは好きじゃありませんの」
渡とともにエアとクローシェがうんざりとした声で言った。
ハノーヴァーに訪れていた間は、渡たちの姿を追えなくなっていたはずだが、監視の目は帰ってからまたすぐに復活していたのだ。
今回も尾行を撒くために、エレベーターを利用したりと、余計な手間をかけさせられた。
一度だけならともかく、山を知られたくない渡としては、今後も続けないといけないと思うと溜息が出る。
それでいて向こうからはそれ以上の接触をしてこないから、対処が難しい。
そろそろ本格的に対応を決めて、相談する必要があるだろう。
山にそのまま車で入って行くと、只野が陽に焼けた顔で、渡たちを出迎えた。
いつも欠かさず仕事をしてくれているだけあって、真っ黒な顔をしている。
体もよく動かすためか鍛えられて脂肪も落ち、以前よりも精悍な印象を受けた。
久々に会ったが、満面の笑顔でいつも会うからか、渡は只野のことが好きだった。
祖父の紹介ということもあるが、会うたびに信頼できると感じる。
「こんにちは。堺社長」
「只野さん、社長はよしてくださいよ。慣れませんって」
「いえいえ、起業されたんですから、れっきとした社長ですよ。それに、前の話だと大きな規模になるかもしれないんでしょう。今から慣れておいてください」
「まいったな」
渡は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
自分より遥かに年上で社会経験もあるからか、只野の言葉は簡単には否定できない重さがあった。
今後薬剤師を雇ったりして、規模を大きくしていくのも事実予定している。
マリエルたちとだけで動く、個人経営の店のようなやり方も、今後は変わっていくのだ。
只野は帽子を被り、長袖の白シャツに手袋、長靴といった服装で、首からタオルを下げている。
羽織っているのが空調服などと呼ばれる扇風機付きの作業服だった。
渡が来たことで風量を調節したのか、静かなフォオオオという音が鳴り響いている。
山の気温は町中よりも涼しいとは言え、太陽の下長時間農作業をするのはかなり酷だろう。
曇り空ではあるが、今日も最高気温は三〇℃を超えるようだ。
そんな天候でありながら、汗をかいている只野と違い、渡たちは涼しい顔をしていた。
こんな時、涼風の羽衣をもっと大量生産できたらなあ、と渡は思い――その考えが実際に実現可能ではないか、という疑問に変わった。
これは大きな商売の種になる!
「なあステラ、だいぶ前に、錬金術の付与は同じ文字を書いたり刻んだりしても、術者によって効果が違うって言ってたよな」
「はい、そうですねぇ。術式への理解がそのまま効果に影響を与えます」
「たとえ効果が多少下がったとしても、大量生産する方法ってあるのか?」
「うぅん……ううううん……」
「あ、いや、なかったら無理に考えなくてもいいぞ?」
ステラが耳の先をギュッと引っ張って、うんうんと唸りだした。
相当真剣に考えてくれているようで、目をぎゅっとつむり、難しそうな顔を浮かべている。
ステラは渡の発言に対し、いつも本気で受け止め、本気で行動してくれる。
だからこそ、無理をさせないように渡のほうが気を使う必要があった。
「一番効果がありそうなのは、付与の目的に適した素材を扱うことでしょうか。分かりやすく例を上げると、風竜の鱗で作ったわたしの杖が、風の魔法の適正に優れているように、その目的に合った物を使うのが一番単純かつ効果的な方法だと思いますぅ」
「なるほどな。じゃあ清涼の羽衣の場合は、どういう物が考えられるかな……?」
「万年雪を解かした水を素材に使ったり、寒冷地の生き物の素材を利用する方法でしょうか」
「よしよし、だいぶ案が浮かんできたぞ……」
渡は一人、商売のアイデアが浮かび上がって、ニヤニヤと笑った。
地球温暖化は世界的な問題で、日本だけに留まらない。
すぐに汗が乾燥する下着をはじめ、只野が着ている空調服など暑さ対策の商品は数多開発されているが、涼風の羽衣のように着ているだけで本当に涼しく感じるほどの効果があり、かつ邪魔にならない素材は今のところ見たことも聞いたこともなかった。
おまえポーションもまだ形になっていないのに、別のものにも手を出すのか、という現実的な己の声を聞きながらも、渡の妄想は止まらなかった。